秋葉原に存在するありふれた雑居ビル。 その地下に、件のメイドカフェはある。 店名は『ぴゅあにゃん』。 ものすごくバカみたいな名前だが、こういう店にあんまり格調高い名前とかついていたら、そっちの方がびっくりしてしまう。 「Les Misérablesとか」 「それだとむしろ意味不明だよ。誰がジャン・ヴァルジャンだよ」 さっとツッコミを入れ、姐御が知性を示した。 さすがです。 ちなみに私は、あらすじすら知らないけどね。 「思いついたことをすぐ口にするクセは、なんとかならんのか」 苦笑しながら七樹がえらくラブリーな扉を開く。 そして内装は、扉にまったく負けてないラブリーさだった。 ピンクを基調とした色彩で統一され、アニメソングが流れている。 メイドカフェってこういうもんなんだ。 初めて入ったよ。 「おかえりなさいませ。ご主人様。お嬢様」 歩み寄ってきた猫耳メイドさんが頭を下げる。 私は目を見張った。 うっわ! ものすげー美人! 芸能人なんてレベルじゃないんですけど! 背も高いしスタイルもすごい。 でも、ゆっくり観察する暇はなかった。 七樹が私と雪那をかばうように立ち、伊吹が一歩踏み出す。 警戒も露わに。 「……迦楼羅王……」 「素戔嗚尊ね。まっこと退屈しない街だこと」 花が咲くように美人なメイドさんが笑う。 つーか、カルラ王ってあんた。 あれじゃないっすか。天龍八部衆とか、そういうやつ。 仏教の神様じゃないですかやだー。 妖怪に会いにきたんじゃなかったの? なんで他の神様とかいるのよ。 「戦いにきたわけじゃないんでしょ? 妾はそれでもいいんだけどね」 婉然と微笑みながら、私たちを案内してくれる。 七樹からぴりりとした緊張感が伝わる。 ふたりの態度から、このカルラさんって人はすげー強いんだろうなって想像できる。 まさかスサノオより強いってことはないだろうけどさ。 「ねえ七樹。あの人って強いの?」 メイドさんの後を付いて歩きながら、こそっと訊いてみる。 「俺にとっては天敵だ。竜や蛇が主食だからな」 「七樹は食べられちゃうのかー」 しっかりガードしないと。 もちろん性的な意味でもね。 あんだけ美人でスタイルも良かったら、私のカレシどのだってぐらっときちゃうかもしれないし。 「余計な心配よ。クシナダちゃん。妾の彼はそんな子蛇よりずっと強いのだから。手なんか出さないわ」 振り向きもしないカルラさまのお言葉だ。 かっちーんときたよ。子蛇だとう? ヤマタノオロチが小さかったらたいていのドラゴンはちっちゃいんだぞ。 文句をいってやろうとした私の腕を、七樹が掴んで止める。 「カルラ王の大きさは十八万キロあるんだよ……」 「ぐっは……」 なんだそりゃ。桁が違いすぎる。 八つの谷、八つの山にまたがるほど大きいヤマタノオロチだって、さすがに地球の直径の十倍以上あるカルラ王から見たら豆粒だよ! 縮尺がおかしすぎるよ! 神話だからって、現実を無視するにもほどがあるぞ! やがて、席に案内された私たちの前に、女性が二人あらわれる。 カルラさんの他にね。 またしても、ものすげー美人だよ。 私もう帰りたくなってきた。 ひとりは茶色い髪でナイスバディ。ほんとに猫系って感じで、思わずぎゅっと抱きしめたくなるような愛くるしさがある。 もうひとりもやばい。ロシア系なのかな。白人で金髪に青い瞳だ。妖精って表現がそのまま当てはまるくらいの美しさだよ。 やばくね? この店。 「安藤さんから話はきいてるよ」 とくに名乗ることもなく、茶色い髪の女性が口を開いた。 たぶんこの人が仙狸なんだろう。 私と雪那が軽く頷く。 伊吹と七樹はまだ警戒を解かない。 問われていないので、私たちは誰も名乗らなかった。 たぶん正体は知られているからね。今の個人情報を渡す理由ってないから。 「話が早くて助かるよ。ウチらは誰とも手を組まないってのを明言するためにきたんだ」 代表するカタチで姐御が言う。 「アンタが交渉役なのかい」 楽しそうに、仙狸さんが唇を歪めた。 まあねー。 雪那は普通の人間だからねー。 でもでも、私たちのなかで一番肝が据わってるのが姐御なんですわ。 「押しつけられた結果としてね。それに、誰が話しても結果は同じだろうし」 「ほう?」 「だからカルラ王なんてのをぶつけた。間違ってる?」 「人間にしておくのは惜しいねえ。ぴゅあにゃんで働かないかい?」 「バイト禁止なんで」 にやりと笑い合う。 こっわ。 なんだこの人たち。 今なんで笑い合ったのさ。副音声でいろいろ話し合ったってことなんだろうけど。 さっぱりわかんねーよ。 「んじゃ。仕事の邪魔しちゃ悪いし。ウチらはいくね」 雪那が席を立った。 いやいや。 ちょっと待ってくださいよ。姐御。まだなんの話もしてねーじゃないですか。 「大丈夫。お互い不干渉って方針を確認したからね」 ぽんぽんと雪那が私の頭を叩く。 いつしたよー。そんな確認ー。 促されるままに私は立ちあがった。 「わけわかんねーんですけどー」 メイドカフェに滞在した時間は、ごく短かった。 たぶん十分くらい? 雪那が仙狸さんとちょろっと喋っただけだもん。 「安藤さんって狸だね」 わけわかんねーよ。 歩きながら、ぶーぶーと文句を言う私に、さらにわからないことを言って笑う。 「最初にカルラ王が出てきたのはね。美咲。彼女らの意思表示なんだよ」 「そうなん?」 踏み込むならば一戦も辞さず、というのを表明したものなんだって。 そもそもあの人たちは人外である。 私たちの接近に気付かないわけがないのだ。 だから、たぶん一番強い人が出てきた。 こっちだって戦えるだけの戦力があるよってのを見せるためにね。 どうしてそんなことをしたのかっていうと、雪那がいったとおり踏み込ませないため。 独自路線なんだよって判らせるため。 なんだってさ! さっぱりわかんねーよ! そんな話、まったくしてないよね! 姐御も仙狸さんも! 「大丈夫だ美咲。俺にも判らなかった」 苦笑する七樹。 だよねだよね。 私が頭悪いんじゃなくて、雪那が異常なんだよね。 「けどよ、雪那。なんで安藤が狸って話になるんだ?」 伊吹が訊ねる。 OK。あんたも判ってない口だね。よかったよかった。 「ウチらが最初に接触する相手としてさ。あの連中はきっとすごい強い陣営なんじゃないかと思うんだよね」 んー、と、下顎に右の人差し指をあてる。 色っぽい仕草である。 反則である。 「で、ウチらもきっと強い陣営だと思うのよ。そうじゃない人たちにとってはさ、二強が手を結ぶって悪夢以外のなにものでもないからね」 そーゆーもん? 視線を七樹に投げてみる。 俺に振るな、とばかりに目をそらされた。 使えないカレシである。 「一位と二位が結託しちまったら、三位はどうすれば良いんだって意味なら判るぜ」 皮肉げに肩をすくめるのは伊吹だ。 なんで嫌そうなの? 「アマテラスとツクヨミが仲良いから、スサノオは立つ瀬がないんだ。いつも」 「おおう」 七樹が教えてくれた。 なんかこいつもいろいろ苦労してんだなぁ。邪神だけど。 とはいえ、伊吹のたとえ話は判りやすい。 どうやったって逆転の目がない状態ってのは、ちょっとやってらんないよね。 「ていうことはさ、雪那。私たちがあの人たちと手を結ばないってのを、宣伝するのが目的だってこと?」 「そういうことよ。よく判ったね。美咲」 わーい。 なでなでしてもらったよ。 「て、ちっがーう! わしと姐御は同い年じゃーっ! なんで子供扱いするねん!」 「ノリで?」 ひどい話である。 なんか私の扱いが、どんどん雑になってる気がする。 「狭い業界だっていうからね。まずは安心感を流す。本命の交渉は次なんじゃないかな?」 雪那が携帯端末を取り出す。 誰と会うのかを確かめるために。 そして、にやりと笑った。 「ぬらりひょん、だってさ」
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