蓮斗と七樹の一次接触は、なかなかの緊張感を孕んでいた。 「あんたが姉ちゃんの男? イケメンじゃん」 「美咲の弟か。良い面構えしている」 互いに右手を差し出して握手とかしてるけど、なんか視線が火花を散らしてる。 ライバル! みたいな感じで。 これはあれかな。 お姉ちゃんをとられる弟の気持ちってやつかな。 アン○ローゼを後宮に連れて行かれたライ○ハルトとか、そういうやつ。 やばいな。 そしたら蓮斗ってば、姉を奪った七樹に復讐するために戦わないといけないじゃん。 「一応きいとくけど、バカで貧乏で地味で顔もスタイルも普通な姉ちゃんだぜ? 本気でこんなんで良いのか?」 「ばっかお前。それがいいんじゃないか」 「OK。もう返品きかねえぞ」 「返せっていっても、もう返さないさ」 あれれー? なんか流れがおっかしいぞー? 左手で肩とか叩き合ってるし。 なんで男の友情成立しちゃってるの。 お前なんかにお姉ちゃんはあげないぞ! って流れじゃないの? 「ほら。バカだろ?」 ちらりと私に視線を投げる弟くん。 その態度はいただけないな。 きみだけノーマルカレーにしちゃうよ。 「知ってるさ。小学校のときから同じクラスだし」 「あれ? もしかしてあんたがナナキさんか」 「ん? そうだけど」 「へぇぇ! じゃあやっと想いが届いたってことかー じつはガキの頃から姉ちゃんは……」 「おっとそこまでにしてもらおうか!」 ろくでもないことを口走ろうとする弟の前に身体を滑り込ませる。 まったく。 油断も隙もない。 「んだよ? いいじゃん。せっかく初こ……」 「OK蓮斗。きさまは晩飯抜きだ」 「あ、いえ。はい。すいません。なんでもありません」 伝家の宝刀を抜こうとした私に、へこへこと卑屈な態度であやまり、自室へと引っ込んでゆく。 ごゆっくりー、とか言いながら。 おんぼろアパートだけど、いちおうは3LDKなので私も弟も自分の部屋がある。 せっまいけどねー。 まあ、だから寝るとき以外は、たいてい居間にいるわけだ。 「ふ。悪は去った」 「照れるようなことか? 俺たちは因縁は小学校からなんてレベルじゃないだろうに」 「それはそれよ」 エコバッグから出した食材をダイニングテーブルに置きながら、私は七樹に笑ってみせる。 前世が云々なんて話をしたら、それこそ精神病院おくりだ。 制服の上からエプロンを身につけ、手を洗う。 「着替えないのか?」 「いくら七樹相手でも、部屋着を披露するのはちょっとね。ぼろすぎるから」 べろべろに伸びたTシャツと中学時代のジャージズボンである。 しかも膝に穴が空いちゃったので、適当に切ってハーフパンツしたから左右の長さが違うというかっこいいやつだ。 あんなん着てみせるくらいなら、裸エプロンの方がなんぼかマシだ。 恥ずかしさの質がだいぶ違う。 「あ、もしかして裸エプロンのが良かった? だったらちょっと頑張っちゃおうかな」 「頑張らなくて良い」 呆れたようにため息を吐いた七樹が私の横に立つ。 手伝ってくれるらしい。 「できるの?」 「野菜を洗うくらいはやれるさ」 「感心感心。いい旦那さんになるよー」 うん。 こういうのも悪くない。 「ふおおおお!!」 「ぬぉぉぉぉ!!」 奇声を上げている謎の生命体がふたつ。 何を隠そう、私の母と弟である。 前者は区役所の職員で後者は中学生だ。 父親はいない。 私が小学にあがるまえに病死した。 亡くなったときはまだ二十代だったため、たいした貯蓄もなく、かけていた生命保険だって微々たるものだった。 以来ずっと貧乏暮らしである。 それでも母子家庭というのは、行政がけっこう手厚い援助をしてくれるので、なんとか暮らしていけてはいる。 といっても、かなりワーキングプアには近いが。 だから、目の前にあるカツカレーは、すごいごちそうだ。 なにしろスープとサラダまでついている。 「はい。スポンサーさまに盛大な拍手を!」 「ははーっ」 「ありがたやありがたやーっ」 私の音頭で、母と弟が七樹に感謝の意を示した。 「俺は材料費を出しただけで、作ったのは美咲なんだから」 一方の七樹は遺憾の意を示している。 「ゆーて、いくら私が泥を金に変える料理技術をもっていても、無から有は生み出せないからね」 「錬金術師まで後一歩だな」 笑い合う。 実際、七樹もけっこう手伝ってくれた。 不器用な手つきで皮むきつかってる姿なんか、かなり微笑ましかった。 「そんなわけで、あらためて紹介します。恋人の山田七樹くんです。お金持ちです」 「なんで最後つけたしたし」 母の美彩が驚いた顔をした。 「山田くんって、小学校から一緒だったあの山田くん?」 「はい。その山田ですね。きっと」 微笑する七樹。 くわっと母親が目を剥いた。 「美咲! 身分違いの恋よ!」 「おちつけ母さん! 平成日本に身分はない! それどころかもうすぐ平成おわる!」 怒鳴り返してみたものの。なかなかめんどくさい恋なのはたしかだよ。 一方は大企業のオーナー社長の息子だもの。 まともに考えたら釣り合うわけがないのさ。 ふっと笑った私の頭を、七樹が撫でる。 「そりゃ考えすぎ。うちは名家ってわけじゃない。むしろ成り上がりものだからな。格式とかとは無縁さ」 そういうものじゃろうか? 婚姻政策とかあるんじゃねーのかな。 伝統とか格式とかない分、政財界と繋がらないといけない、みたいな。 「心配ない。もしめんどくさいことになったら全部斬り破るだけだし」 「おいばかやめろ」 草薙剣を返してもらったからって調子に乗るなよ。 つーかそういう暴力的な解決法ばっかり選ぶから、邪竜とか悪竜とかいわれたんじゃねーの? 平和的にいこうよ。 「一応ね。明日から七樹の分の弁当も作るんってことになったから」 「材料費は出しますんで、よろしくお願いしまっす」 ふたりして事情を説明する。 なんだかんだいっても、これが最も一緒にいる時間を自然に増やす方法だろう。 提案してくれた雪那に感謝だ。 「胃袋をつかみにいったぜ……さすが姉ちゃん……」 「しかもお金は相手持ちで……我が娘ながら怖ろしいやつ……」 だまれ貴様ら。 その弁当作りで余った食材が、貴様らのエサになるのだぞ。 普通は夕食の残りとかが弁当のおかずになるんだろうけど、どう考えても弁当が最も豪勢になるんだから仕方がない。 櫛田家は貧乏なのである。 「ていうか山田くん。ほんとにこんなので良いの? 母親の私がいうのもなんだけど、かなりおかしいわよ? うちの娘」 おかしいいうなよ。まいまざー。 「それが良いんじゃないですか。蓮斗くんにも言いましたけどね」 まい彼氏は、弁護するつもりがあるならもうちょっと言葉を選べ。 出会ったときには愛していたとか。 ときめいたらカーニバルだったとか。 いろいろあるべや。 「ていうかね。あんたらの中での私の評価、低すぎるんじゃないかと思うんだよ」 「そんなことないよ。姉ちゃんの作るメシは美味いし」 「そうそう。お店に出せる味よね」 「俺も、食事が楽しいと思ったのは生まれて初めてだ」 OK。 誰が調理師として評価しろといったのか、責任のある回答をもらおうじゃないか。 見上げる夜空には、たぶん春の星座が広がっているんだろう。 東京じゃまったく見えないけどね。 「ごちそうさま。美咲。むちゃくちゃ美味かった」 「惚れ直した?」 外まで見送った私に、七樹が笑いかける。 「もうストップ高さ。これ以上株価があがったら市場が崩壊してしまう」 「おうおう。口が上手いことで」 肩をすくめる。 私は子供の頃から七樹が好きだった。 その思いは奇稲田姫のものなのか、それとも私のオリジナルなのか、判らない。 童女だったっていうしね。 まだ愛だの恋だのを知る年齢じゃなかったんじゃないかな。 だから、 「これから始まるのは、続きじゃないよね」 呟く。 「ああ。新しい物語だ」 微笑した七樹が私を抱き寄せた。 顔が近づいてくる。 いまはやめた方がいいんじゃねーかなー? と、口にするより早く、彼と私の唇が重なった。 「…………」 「…………」 ゆっくりと身体を離す。 微妙な顔で。 「ファーストキスは……」 「カレー味だったでしょ」 えらくしょーもない新しい物語のスタートである。
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