まだ夕暮れ時ではあるが、既に店内は多くの客で賑わっていた。 余裕を見て早めの予約を取ったつもりが、そこはさすが人気店、といったところだろうか。 客は皆、並べられた色とりどりの中華料理に、舌鼓を打っている。 至る所に、金細工で作り上げられた“龍”の彫像が並ぶ。 天井一面に描かれているのは、四方を司る守護獣と“陰陽”を表す紋様だった。 予約席である丸テーブルには、一足先に到着したマネージャーの女性・チセの姿があった。 彼女はこちらに気付くと立ち上がり、深々と頭を下げる。 「ああ、皆さん。お疲れ様です、今日は本当にありがとうございました!」 相変わらず、丁寧な対応である。 先頭の女刑事・ユカリは笑顔で会釈した。 「遅くなってしまい、申し訳ありません。渋滞に捕まってしまいまして、面目ないです」 「ああ、今の時間だと、ちょうど帰宅ラッシュの時間ですね。こちらこそ、時間をもう少しずらすべきだったかもしれません」 なんとも丁寧で隙のない、いわゆる“大人のやり取り”である。 ユカリのすぐ後ろに立つナデシコは、こういう堅苦しい空気がどうにも苦手であった。 ナデシコ、そしてそのすぐ後ろに続くアイリスを見て、チセはまた頭を下げる。 二人ともスタッフTシャツを脱ぎ去り、いつもの私服姿であった。 一歩、店に踏み入って、もう少し着飾るべきだったかと、少なからず後悔してしまう。 ただアイリスだけは、その漆黒のゴスロリドレスが実に際立っていた。 彼女の可憐さだけは、決してこの店の風格に負けていない。 ばつが悪そうに自身の姿を眺めるナデシコ。 そして、アイリスも彼女の怪訝な表情を、不思議そうに眺めていた。 「ああ、探偵の方々も――お疲れの中、ご足労頂き、恐縮です」 「いえいえ、お構いなく。全然、大丈夫ですんで」 性質が元々噛み合わないせいか、どうにもこのマネージャーとの距離感は掴みにくい。 挨拶を終え、一同は丸テーブルを囲むように、席に着く。 円卓にまだ一つ、席が余っていることに気付いた。 「あれ、あの“小説家”さんは?」 「今、ちょっとトイレのほうに。今回はすぐ戻ってきますので、大丈夫ですよ」 今日のイベントのことを気にしているのだろう。 必死に作られたチセの笑顔に、やはりナデシコは少したじろぎ、苦笑いを浮かべてしまった。 微妙な空気を察したのか、ユカリがそそくさと話題を切り替える。 「本日のイベントは、何事もなく進行できて良かったです。あそこまで警備を強めなくても良かったかもしれませんね」 「いえいえ、とんでもないです! 皆さんが協力してくださったおかげで、のびのびとした握手会が実現できましたよ」 スタッフの中には実はユカリと同様、私服警官が何人か紛れ込み、警備にあたっていた。 いつものイベントよりもスタッフ数が多いのは、そのためである。 無論、そこにナデシコとアイリスも混じる形をとっていた。 ナデシコは水を一杯飲んだ後、ため息混じりに告げる。 「なんだか、うちらが派遣された“かい”がない感じですね。イベントの裏側にお邪魔させてもらっただけ……みたいな」 「そんなそんな。“潜入捜査”だけでなく、スタッフの仕事も手伝っていただけるなんて、光栄ですよ!」 マネージャーは笑みを浮かべたまま、ナデシコ、そしてアイリスの二人をまじまじと見つめた。 「それにしても、改めて、驚いてしまいますねぇ。探偵さんとお会いするのも初めてでしたが、まさかこんなお若い女性だなんて。“助手”の方も、凄い可憐で素敵ですよぉ」 唐突に褒められてしまい、驚く二人。 アイリスはこういう言葉に慣れてないのか、顔を赤らめてうつむている。 苦笑しつつ、ナデシコは首を横に振る。 「そんな、たいそれたもんじゃあないですよ。今日なんて、スタッフとして手伝いしてただけですし、探偵らしいことなんて、まだなんにも――」 「そんなそんな! 警察の方だけでなく、探偵さんまでご協力いただけるなんて、心強いこと、この上ないです!」 この果てしない謙遜と賞賛の応酬が、やっぱり好きになれない――ナデシコは苦笑しつつ、とにかく話題をすり替える。 「確か、ここから連日、握手会があるんですっけ。ええと、五日間でしたかね」 「ええ、そうです。なので不安で不安で……やり切れるかっていうのはもちろんですが、“例の件”がどうしても気になってしまうんです」 言い淀むマネージャーに、ユカリが眼鏡を直しながら告げた。 「例の“ストーカー”ですね。ミハルさんが戻ってこられたら、まずはその件から話してしまいましょう」 チセが相槌を打つのと、話題に上がった“彼女”が帰還したのは、同時だった。 舞台に上がっていた時のような深紅のドレスではなく、いたってラフなパーカーとズボン姿である。 ばれないようにか、黒のニット帽を深々とかぶっていた。 彼女はナデシコらの姿を確認し、すぐに笑みを浮かべた。 「あ――ああ! お疲れ様ですっ、今日はありがとうございましたっ!!」 彼女はナデシコとアイリスを交互に見ながら、何度も頭を下げている。 その姿は“雷帝”として振舞っていたあの時とは、随分違っていた。 どちらかというと、トイレで出会った時のおどおどした弱気な姿である。 「い、いや、本当、大したことしてないですから。これからですよ、これから。私らの仕事は」 どうにも調子が狂いっぱなしでならない。 とにもかくにも全員が揃い、ようやく円卓を囲むことができた。 タイミング良く、改めてユカリが説明してくれる。 「皆さんお揃いということで、本来ならばこのまま“親睦会”――といきたいところなんですが、まずは改めて、現状の認識合わせをさせていただければと思いますが、よろしいでしょうか?」 女刑事の提案に、誰もが縦に首を振る。 一呼吸おいて、ユカリは語り始めた。 「まず今回の依頼は“ミハルさんを突け狙うストーカーの調査”でしたね。当初の予定通り、我々――警察から数名と、こちらの“探偵”ら二人――ミハルさんの行われる“握手会”にスタッフとして潜入させていただき、ミハルさんの警護と怪しい人物の調査。これらを行っていく、と。ここまでは大丈夫でしょうか?」 大きく頷き、マネージャーであるチセが声を上げた。 「はい、もちろんです。このことについては当初、ユカリさんから提案がありましたように、我々以外のスタッフにも隠している状況です」 「それは結構。となれば、今この事実を知っているのは、この円卓を囲んでいる面々のみということになりますね」 ナデシコとアイリス、そして今回の正式な依頼主である女流小説家・ミハルの眼差しに、真剣な色が宿る。 新進気鋭の小説家に忍び寄る悪意――数日前、警察に対して、マネージャー・チセから相談があった案件である。 瞬く間にベストセラー作家となったミハルの姿は、テレビやネットにて連日話題となり、新作が発表されるたびに多くの注目を集めていた。 小説の出来もさることながら、彼女が作り上げた自身のキャラクター性が、世の人々に深く刺さったらしい。 そんな“雷帝”と呼ばれる女性に寄せられる声は、決して良いものばかりではない。 誹謗中傷や悪意のあるコメントも多数見受けられるのが実情だ。 しかし、それだけでわざわざ警察に相談などするわけもない。 出る杭は打たれる――注目を浴びれば浴びるだけ、それを叩こうとする者は出てくると、ミハルらも覚悟している。 汚い言葉やありもしない捏造などで揺らぐほど、女流作家は弱くはない。 だが“ある一線”を越えようとしている者がいる、ということは決して無視できない大問題なのである。 ユカリは少し周囲を警戒しながら、数枚の写真を取り出し、円卓に置く。 それはいずれも、一人の女性を遠巻きに撮影したものであった。 カフェ、アパレルショップ、本屋――場所こそ様々で、中心に写っている女性の格好も、そのたびに異なる。 しかし、写されているのは紛れもなく、女流作家・ミハルその人だ。 「あれから“犯人”の動きはありましたか? なにかメールが送られてきただとか、写真が送付されてきたとかは?」 「いいえ、今のところはなにも……私もネットなども注意深くチェックしていますが、似たような書き込みなんかも存在しないですね」 ユカリが顎に手を当て「ふむ」と頷く。 写真を少し覗き込みながら、ナデシコも声を上げる。 件の女流作家は、椅子に深く座ったまま、不安げに話を聞いているだけだった。 少しでも緊張を和らげるべく、ナデシコはできるだけ、軽い言葉を選ぶ。 「じゃあ、今のところ“やっこさん”は特に手を出してきてないってことですね。今日の握手会の写真でもアップされてれば、手掛かりになりそうなもんなんだけど」 「それは、どういう……?」 「また“隠し撮り”したんなら、今日の握手会の、どのあたりにいた奴か――“あたり”が付くでしょ?」 マネージャーは納得し「ああっ」と目を丸くする。 推理でもなんでもなく、ただの“コツ”のようなものだが、彼女には随分と新鮮だったらしい。 数日前からネットにアップされた、ミハルの“盗撮写真”――これこそが、一同が直面している“大問題”であった。 ファンが有名人を激写、なんてことは珍しくもなんともない。 だが、この写真については別だ。 連日、お忍びで活動するミハルの出没場所を的確に把握し、気付かれることなく姿を写真に収めている。 偶然とは思い難い。 明らかに、ある程度明確な意思を持ち、ミハルの出没先を特定したうえで行動に出ている。 挙句、掲示板に投稿されたコメントは、非常に薄ら寒いものであった。 私は“雷帝の管理者”である――――夢見がちな、行き過ぎたファンの戯言ならば、気にするほどのことではない。 だが彼女の日常生活に、明らかに“犯人”は足を踏み込もうとしている。 この見えざるストーカーを暴くべく、ユカリ、そして彼女から相談を受けたナデシコら“探偵”が、事件解決に向けて動き出したのである。 これもまた、ナデシコが裏で特別に依頼を“まわして”もらっている案件の一つだった。 改めて隠し撮りされた写真を見るが、ミハルは帽子やサングラスで変装しているため、一目で彼女とはなかなか分かりにくい。 ともすれば“犯人”は明確に、ミハルだと認識したうえでこの写真を撮影したのだろう。 ユカリは眼鏡を直し、すぐ隣に座るナデシコに問いかけた。 「握手会の中で、あなた達もスタッフに混じって待機してたわけだけど、なにか怪しい人物はいた?」 「う~ん、はっきりと“こいつだ”ってのは、どうにもね。ただまぁ、おかしな動きをしてるやつはいたよ」 全員が目を丸くし、ナデシコを見つめる。 すぐ横のアイリスが「ええっ」と声を上げるのが分かった。 「全然気付かなかった……ほ、本当に?」 「うん。まぁ、あんたはずっと“雷帝”さんを見てたから、しょうがないけどね」 その一言で、アイリスがはっとして顔を赤らめる。 ミハルが壇上に登場してからずっと、アイリスは“雷帝”の立ち振る舞いに歓喜していたのだから、警戒などできるはずもない。 意地悪に笑いながら、ナデシコは続ける。 「でもまぁ、それが鍵だったんだよね。あんたの反応を見たから、余計、はっきりと“違和感”に気付くことができたんだ」 「どういうこと……?」 誰もがナデシコの言葉を待っていた。 ふぅ、と少しだけ息を継ぎ、握手会の光景を思い浮かべながら、あえてアイリスに問いかけていく。 「握手会に来るってことはさ、それ相応の目的があるわけじゃない。例えば今回だったら、それこそ憧れの女流作家――そっちの“雷帝”さんに会いたい、ってことでしょ?」 視線を投げかけられ、ミハルは少しだけ驚いたようだ。 アイリスも彼女を少し見た後、「うん、そうだね」と頷く。 「だからあの時、アイリスみたいになるのが当然の反応だと思うのさ。待ち焦がれた有名人が目の前に現れたんだ。誰だってその姿を、少しでも目に焼き付けようと思うし、その言葉に喜んで声を上げたりするものでしょう?」 「うん……でも、お客さん達も皆そうだったでしょう?」 「もちろん、大半が同じだったよ。ただ中にちょっとだけ、違う反応をしてるやつがいてね」 アイリスが「えっ」と微かな声を上げる。 ユカリやマネージャー・チセ、そして今回の事件にて槍玉にあげられているミハルも、驚いているようだ。 「マネージャーさん。今日の握手会の一部始終って、記録しているんですよね? その動画って、すぐ見えたりしますか。特に“観客側”が見えるやつが良いなぁ」 「え……ええ、まあ。ちょっと待ってくださいね」 チセは自身の携帯端末を操作し、ウェブ上で管理している動画を再生し始める。 皆一様に、小さな端末の画面を覗き込んだ。 「これで良いですかね……ストリーミング配信用に撮影した、記録用カメラのものなんですが」 「おお、ばっちりばっちり! んで、お目当ては、と……あ、こいつこいつ!」 ナデシコが指差すその小さな影を、全員が食い入るように見つめた。 壇上で演説する“雷帝”ことミハルの姿に、観客達は見惚れ、歓声を上げている。 そのはるか後方――群がる人々から離れた位置に“彼”はいた。 ナデシコが画面を操作し、ピンポイントを拡大して見せる。 会場を区切るパーティションにもたれかかるように、どこか観客とは一線を引いた位置に陣取る、一人の男。 小太りで、ニットセーターを着た男性だ。 ぴっちりと整えた黒髪のすぐ下で、どこか粘着質な眼差しを壇上に送っている。 アイリス、ユカリが男の顔を見たまま、首をかしげる。 「本当だ……皆、盛り上がってるのに、一人だけなんだか冷めたままだね……」 「スタッフでもないわね。専用のTシャツも着てなければ、そもそもこんな顔の男性もいなかったはずよ」 マネージャーのチセも、悩ましい表情を浮かべていた。 「言われてみれば、妙ですね……まぁ、もちろん、そういう方もいるのかもしれませんが……ミハルさんのファンは熱狂的な方が多いですから、こういうタイプの方は珍しいと思います」 動画では依然として“雷帝”の演説がヒートアップしているが、やはり“彼”の様子は変わらない。 あくまで離れた位置から、ただただ微笑を浮かべたまま彼方を見ている。 見れば見るほど、その様がどこか異様にすら感じてしまう。 「マネージャーさんが言ったように、もちろんこれはただの“憶測”さ。そういうタイプってだけかもしれないし、色んな趣味趣向の人がいるわけだからね。まだ犯人だと決めつけるわけにもいかないから、まずはこの男がどんな人物なのかを探る――残念だけど、今できるのはそういう“あてずっぽう”混じりの策くらいしかないってことですね」 探偵の一言に、どこか残念そうにマネージャーは「はあ」と肩を落とす。 見ただけで犯人を特定できるのなら、これほど楽なことはない。 ナデシコ自身、見つけたその“違和感”に、確証などないのだ。 期待しすぎか――少なからず誰しもが落胆しかけた、その時であった。 あの“雷帝”が、声を上げる。 「この人……知ってる!」 全員がミハルの顔を見つめた。 彼女は食い入るように画面を見つめ、目を見開いている。 「ほら、あの人ですよっ! いつも握手会に来てる!」 「あの人……ええと……」 「うちのツアーに出資してくれてる、あの製薬会社の社長さんですよ、これぇ!!」 呆けているチセに、ミハルは興奮気味に伝える。 一拍遅れて、マネージャーもその事実に気付いたようだ。 「ああ……ああ、確かに!」 「知ってるんですか、この男を?」 ユカリの問いに、チセが慌てて頷いた。 「え、ええ……少し前から、我々――ミハルさんを前面に押し出した“雷帝”の交流ツアーに提携してくれている、“製薬会社”の方なんです。ツアーの資金援助や“雷帝”とのコラボ企画なんかを、パートナーさんとして共に進めさせていただいているんです」 ナデシコが「へえ」と唸り、視線を再び動画に戻す。 「なぁるほど。しかし社長っていうにはまた、随分と若いなぁ。ちょっとばかし、老け顔ではあるけどね」 「つい半年ほど前に、御父上が亡くなられたことで製薬会社『ヤドリギ』の経営を任された方です。御父上の資産を受け継いで、型にとらわれない大胆な経営をされているんだとか」 マネージャーの言葉に「ふぅん」と唸りながら、ナデシコは考える。 いわゆる御曹司というやつか――返す刀で、さらに踏み込んでいく。 「でも、そこまで分かっているなら、別に怪しい人物ってわけじゃあなさそうですよね? 言ってみれば、今回のイベントとは縁の深い人物なわけですし」 だが、これにはミハルが悩ましい表情を浮かべた。 「けれど握手会にいたのなら、なんで楽屋に来てくれなかったんでしょう。前までは、必ず挨拶してくれてたのに」 ほんの些細な疑問だったのだろう。 マネージャーやすぐ隣のユカリも、特に気にしていないように見える。 ただ一人、ナデシコだけが射るような眼差しを、画面の奥の“彼”に向けていた。 考え込む探偵の横で、女刑事が話をまとめる。 「どちらにせよ、これだけでは“怪しい”と決めつけられる要素はなさそうね。まだまだイベントも始まったばかりですし、ひとまずはこのまま厳戒態勢をとりつつ、注意深く探っていきましょう。お二人もなにか違和感があれば、すぐにお伝えください」 素直に頷くチセ、そしてミハル。 結局、明確な進展こそないまま、ひとまずは現状維持という形で納得するしかないのだろう。 仕事の話もそこそこに、ようやく一同の“親睦会”が始まった。 目の前の円卓に、あれよあれよと料理の大皿が運ばれてくる。 ユカリの選んだ店だけあって、どの料理もクオリティが高い。 大量の料理と香ばしい匂いに、緊張の糸が緩んでしまう。 「おお、おお、すっごいごちそう! 姐さん、良いのかい。お高いんでしょう?」 「あんた、そう言っておいて、どっちにしろしっかり食べてくんでしょ。私も仕事を斡旋した身として、中途半端な働きをしてもらっちゃ困るからね。たっぷりと精をつけときなさい」 相変わらず、ナデシコのことをよく理解している。 へへへ、と笑いながら、ナデシコは取り皿にどんどんと料理を放り込んでいく。 「んじゃまあ、遠慮なく~。ほらほらアイリス。あんたもしっかり食べときな! こういうチャンスを逃しちゃあだめだよ」 「う、うん……」 たじろぎながらも、アイリスも続いて料理の山に向き合う。 切り替えの早さにため息をつきながら、ユカリもようやく箸を手に取った。 運ばれてくる料理はどれもこれもが絶品で、丁寧な仕事に店の品格が表れている。 腹が満たされると舌もより潤滑になるようで、互いの身の上話や、最近の小説業界の話、小説家という職業の話など、一歩踏み込んだ会話が繰り広げられた。 約2時間ほどが経過し、大皿のものがあらかた片付けられてきた頃、ユカリの携帯電話が突如、鳴る。 「おっと、失礼。署のほうからね。すみません、ちょっと外します」 断りを入れ、ユカリはそそくさと離席してしまう。 彼女の姿を見て、マネージャー・チセも思い出したように声を上げた。 「ちょっと私もこの隙に、本社側に連絡をしておきますね。明日のこともありますので、皆様は引き続き、楽しんでください」 言うや否や、チセも立ち上がり、そそくさといなくなってしまった。 円卓にはナデシコ、アイリス、そしてミハルだけが取り残される。 満腹になり、椅子に深々ともたれるナデシコ。 量もそうだが、これほど上質な料理を口にすること自体が、随分と久しぶりのことのように思う。 重々しい腹の奥底から、いつまでも幸福感が沸き上がってくる。 しかしその横で、全く衰えることのないペースで、アイリスが料理を口に運んでいる。 皆が満腹になり手を出さない料理の残りを、次から次へと手を付けていくのだ。 彼女もまた、口の中に広がる芳醇な旨味に笑みを浮かべていた。 そのか細い姿からは想像しづらいのだが、この少女は食のこととなると、とんでもない量を平らげてしまう。 思い返すと、ナデシコと食事する時も躊躇することなく“大盛”を頼んでいた。 美味そうに春巻きをほおばる彼女の姿に、たじろいでしまう。 「あんた、前々から思ってたけど、良く食うよね……その体の、どこに入ってんのよ?」 「ええ、そうかな? ナデシコ、もう食べないの?」 「ああ、うん……さすがにもう、限界」 アイリスは不思議そうに、ナデシコを見つめてくる。 その様子からすると、残りの大皿にもまだまだ手を出すつもりなのだろう。 不思議な子だよ、本当――苦笑を浮かべ、水で喉を潤した。 だが突如、背後からかけられた声に、慌てて振り返る。 「あのぉ~、すいません」 「え……あ、はい?」 見れば、いつの間にかナデシコの隣の席に、ミハルが座っている。 彼女は何やらペンと手帳を持ち、やけに浮かれた表情を浮かべていた。 ずいと近寄られ、少しだけたじろいでしまう。 「えっと、な、なにか?」 「あの、もし良ければですね、お二人のこと、もっと詳しく教えてくれませんか!」 「え……二人って、私達の?」 アイリスも箸を止め、ミハルを見つめていた。 ミハルは笑みを浮かべ、大きく頷く。 今まで口数の少なかった女流小説家は、堰を切ったように語り始める。 「はいっ! 本物の探偵さんとお話しできる機会なんて、なかなかないんですよ! しかも、お二人とも20歳と19歳――私も今年で20なんで、すっごい近いじゃないですか!! こんなにお若い女性二人の探偵なんて、珍しいなぁ、って!!」 さらにずずいと距離を詰められ、返す言葉に困ってしまう。 先程までの会食の中では、あまりミハルは自分から喋りはせず、どちらかというとマネージャー・チセが会話をリードしている感じだった。 ところが今は一変、実に意欲的に、ナデシコらから話を聞き出そうとしている。 「お二人は、何がきっかけで出会ったんですかぁ? 学校のお友達とか? あ、もしかして、幼馴染!? 従妹とか? ああ、でもあんまり似てないから、それはないかなぁ」 「いや、ちょっと、そんなんじゃなくて―――」 「なにかきっかけがあるんですよね! それに刑事さんから、凄いお強いって聞いてるんですよぉ。格闘技習われてるんですか? 得意技とかありますかね!?」 「いや、あの――これは我流で」 「我流ぅ!! か――っこいい!! 縛られない格闘術で闇を切り開く女探偵!! おおおおお、すっげ、まじすっげ!! はかどりますねぇ、これは!!」 目をらんらんと――否、ぎらぎらと輝かせて、彼女はメモを取り続けている。 だが、まるでインタビューになっていない。 ミハルの勢いに完全に気圧されてしまい、ナデシコらはまともに会話をすることもできない。 肉体を駆け巡る“創作意欲”に、目を輝かせ、活き活きと躍動する小説家・ミハル。 その独特すぎる性格に、ただあんぐりと口を開けたまま、背もたれに寄りかかるナデシコ。 対照的な二人のテンションを横目に、とにもかくにもアイリスはまた一つ、皿の上の焼売を口に放り込み、堪能していた。
コメントはまだありません