拳星 ― Knuckle Stars
22. 疑惑と囲む円卓

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 まだ夕暮れ時ではあるが、既に店内は多くの客で賑わっていた。  余裕を見て早めの予約を取ったつもりが、そこはさすが人気店、といったところだろうか。  客は皆、並べられた色とりどりの中華料理に、舌鼓したづつみを打っている。  至る所に、金細工で作り上げられた“龍”の彫像が並ぶ。  天井一面に描かれているのは、四方を司る守護獣と“陰陽”を表す紋様だった。  予約席である丸テーブルには、一足先に到着したマネージャーの女性・チセの姿があった。  彼女はこちらに気付くと立ち上がり、深々と頭を下げる。 「ああ、皆さん。お疲れ様です、今日は本当にありがとうございました!」  相変わらず、丁寧な対応である。  先頭の女刑事・ユカリは笑顔で会釈えしゃくした。 「遅くなってしまい、申し訳ありません。渋滞に捕まってしまいまして、面目ないです」 「ああ、今の時間だと、ちょうど帰宅ラッシュの時間ですね。こちらこそ、時間をもう少しずらすべきだったかもしれません」  なんとも丁寧で隙のない、いわゆる“大人のやり取り”である。  ユカリのすぐ後ろに立つナデシコは、こういう堅苦しい空気がどうにも苦手であった。  ナデシコ、そしてそのすぐ後ろに続くアイリスを見て、チセはまた頭を下げる。  二人ともスタッフTシャツを脱ぎ去り、いつもの私服姿であった。  一歩、店に踏み入って、もう少し着飾るべきだったかと、少なからず後悔してしまう。  ただアイリスだけは、その漆黒のゴスロリドレスが実に際立っていた。  彼女の可憐さだけは、決してこの店の風格に負けていない。  ばつが悪そうに自身の姿を眺めるナデシコ。  そして、アイリスも彼女の怪訝けげんな表情を、不思議そうに眺めていた。 「ああ、探偵の方々も――お疲れの中、ご足労そくろ頂き、恐縮です」 「いえいえ、お構いなく。全然、大丈夫ですんで」  性質が元々噛み合わないせいか、どうにもこのマネージャーとの距離感は掴みにくい。  挨拶を終え、一同は丸テーブルを囲むように、席に着く。  円卓にまだ一つ、席が余っていることに気付いた。 「あれ、あの“小説家”さんは?」 「今、ちょっとトイレのほうに。今回はすぐ戻ってきますので、大丈夫ですよ」  今日のイベントのことを気にしているのだろう。  必死に作られたチセの笑顔に、やはりナデシコは少したじろぎ、苦笑いを浮かべてしまった。  微妙な空気を察したのか、ユカリがそそくさと話題を切り替える。 「本日のイベントは、何事もなく進行できて良かったです。あそこまで警備を強めなくても良かったかもしれませんね」 「いえいえ、とんでもないです! 皆さんが協力してくださったおかげで、のびのびとした握手会が実現できましたよ」  スタッフの中には実はユカリと同様、私服警官が何人かまぎれ込み、警備にあたっていた。  いつものイベントよりもスタッフ数が多いのは、そのためである。  無論、そこにナデシコとアイリスも混じる形をとっていた。  ナデシコは水を一杯飲んだ後、ため息混じりに告げる。 「なんだか、うちらが派遣された“かい”がない感じですね。イベントの裏側にお邪魔させてもらっただけ……みたいな」 「そんなそんな。“潜入捜査”だけでなく、スタッフの仕事も手伝っていただけるなんて、光栄ですよ!」  マネージャーは笑みを浮かべたまま、ナデシコ、そしてアイリスの二人をまじまじと見つめた。 「それにしても、改めて、驚いてしまいますねぇ。探偵さんとお会いするのも初めてでしたが、まさかこんなお若い女性だなんて。“助手”の方も、凄い可憐で素敵ですよぉ」  唐突に褒められてしまい、驚く二人。  アイリスはこういう言葉に慣れてないのか、顔を赤らめてうつむている。  苦笑しつつ、ナデシコは首を横に振る。 「そんな、たいそれたもんじゃあないですよ。今日なんて、スタッフとして手伝いしてただけですし、探偵らしいことなんて、まだなんにも――」 「そんなそんな! 警察の方だけでなく、探偵さんまでご協力いただけるなんて、心強いこと、この上ないです!」  この果てしない謙遜けんそんと賞賛の応酬が、やっぱり好きになれない――ナデシコは苦笑しつつ、とにかく話題をすり替える。 「確か、ここから連日、握手会があるんですっけ。ええと、五日間でしたかね」 「ええ、そうです。なので不安で不安で……やり切れるかっていうのはもちろんですが、“例の件”がどうしても気になってしまうんです」  言いよどむマネージャーに、ユカリが眼鏡を直しながら告げた。 「例の“ストーカー”ですね。ミハルさんが戻ってこられたら、まずはその件から話してしまいましょう」  チセが相槌あいづちを打つのと、話題に上がった“彼女”が帰還したのは、同時だった。  舞台に上がっていた時のような深紅のドレスではなく、いたってラフなパーカーとズボン姿である。  ばれないようにか、黒のニット帽を深々とかぶっていた。  彼女はナデシコらの姿を確認し、すぐに笑みを浮かべた。 「あ――ああ! お疲れ様ですっ、今日はありがとうございましたっ!!」  彼女はナデシコとアイリスを交互に見ながら、何度も頭を下げている。  その姿は“雷帝”として振舞ふるまっていたあの時とは、随分違っていた。  どちらかというと、トイレで出会った時のおどおどした弱気な姿である。 「い、いや、本当、大したことしてないですから。これからですよ、これから。私らの仕事は」  どうにも調子が狂いっぱなしでならない。  とにもかくにも全員が揃い、ようやく円卓を囲むことができた。  タイミング良く、改めてユカリが説明してくれる。 「皆さんお揃いということで、本来ならばこのまま“親睦会”――といきたいところなんですが、まずは改めて、現状の認識合わせをさせていただければと思いますが、よろしいでしょうか?」  女刑事の提案に、誰もが縦に首を振る。  一呼吸おいて、ユカリは語り始めた。 「まず今回の依頼は“ミハルさんを突け狙うストーカーの調査”でしたね。当初の予定通り、我々――警察から数名と、こちらの“探偵”ら二人――ミハルさんの行われる“握手会”にスタッフとして潜入させていただき、ミハルさんの警護と怪しい人物の調査。これらを行っていく、と。ここまでは大丈夫でしょうか?」  大きく頷き、マネージャーであるチセが声を上げた。 「はい、もちろんです。このことについては当初、ユカリさんから提案がありましたように、我々以外のスタッフにも隠している状況です」 「それは結構。となれば、今この事実を知っているのは、この円卓を囲んでいる面々のみということになりますね」  ナデシコとアイリス、そして今回の正式な依頼主である女流小説家・ミハルの眼差しに、真剣な色が宿る。  新進気鋭の小説家に忍び寄る悪意――数日前、警察に対して、マネージャー・チセから相談があった案件である。  瞬く間にベストセラー作家となったミハルの姿は、テレビやネットにて連日話題となり、新作が発表されるたびに多くの注目を集めていた。  小説の出来もさることながら、彼女が作り上げた自身のキャラクター性が、世の人々に深く刺さったらしい。  そんな“雷帝”と呼ばれる女性に寄せられる声は、決して良いものばかりではない。  誹謗中傷や悪意のあるコメントも多数見受けられるのが実情だ。  しかし、それだけでわざわざ警察に相談などするわけもない。  出る杭は打たれる――注目を浴びれば浴びるだけ、それを叩こうとする者は出てくると、ミハルらも覚悟している。  汚い言葉やありもしない捏造ねつぞうなどで揺らぐほど、女流作家は弱くはない。  だが“ある一線”を越えようとしている者がいる、ということは決して無視できない大問題なのである。  ユカリは少し周囲を警戒しながら、数枚の写真を取り出し、円卓に置く。  それはいずれも、一人の女性を遠巻きに撮影したものであった。  カフェ、アパレルショップ、本屋――場所こそ様々で、中心に写っている女性の格好も、そのたびに異なる。  しかし、写されているのは紛れもなく、女流作家・ミハルその人だ。 「あれから“犯人”の動きはありましたか? なにかメールが送られてきただとか、写真が送付されてきたとかは?」 「いいえ、今のところはなにも……私もネットなども注意深くチェックしていますが、似たような書き込みなんかも存在しないですね」  ユカリが顎に手を当て「ふむ」と頷く。  写真を少し覗き込みながら、ナデシコも声を上げる。  くだんの女流作家は、椅子に深く座ったまま、不安げに話を聞いているだけだった。  少しでも緊張を和らげるべく、ナデシコはできるだけ、軽い言葉を選ぶ。 「じゃあ、今のところ“やっこさん”は特に手を出してきてないってことですね。今日の握手会の写真でもアップされてれば、手掛かりになりそうなもんなんだけど」 「それは、どういう……?」 「また“隠し撮り”したんなら、今日の握手会の、どのあたりにいた奴か――“あたり”が付くでしょ?」  マネージャーは納得し「ああっ」と目を丸くする。  推理でもなんでもなく、ただの“コツ”のようなものだが、彼女には随分と新鮮だったらしい。  数日前からネットにアップされた、ミハルの“盗撮写真”――これこそが、一同が直面している“大問題”であった。  ファンが有名人を激写、なんてことは珍しくもなんともない。  だが、この写真については別だ。  連日、お忍びで活動するミハルの出没場所を的確に把握し、気付かれることなく姿を写真に収めている。  偶然とは思い難い。  明らかに、ある程度明確な意思を持ち、ミハルの出没先を特定したうえで行動に出ている。  挙句、掲示板に投稿されたコメントは、非常に薄ら寒いものであった。  私は“雷帝の管理者”である――――夢見がちな、行き過ぎたファンの戯言ざれごとならば、気にするほどのことではない。  だが彼女の日常生活に、明らかに“犯人”は足を踏み込もうとしている。  この見えざるストーカーを暴くべく、ユカリ、そして彼女から相談を受けたナデシコら“探偵”が、事件解決に向けて動き出したのである。  これもまた、ナデシコが裏で特別に依頼を“まわして”もらっている案件の一つだった。  改めて隠し撮りされた写真を見るが、ミハルは帽子やサングラスで変装しているため、一目で彼女とはなかなか分かりにくい。  ともすれば“犯人”は明確に、ミハルだと認識したうえでこの写真を撮影したのだろう。  ユカリは眼鏡を直し、すぐ隣に座るナデシコに問いかけた。 「握手会の中で、あなた達もスタッフに混じって待機してたわけだけど、なにか怪しい人物はいた?」 「う~ん、はっきりと“こいつだ”ってのは、どうにもね。ただまぁ、おかしな動きをしてるやつはいたよ」  全員が目を丸くし、ナデシコを見つめる。  すぐ横のアイリスが「ええっ」と声を上げるのが分かった。 「全然気付かなかった……ほ、本当に?」 「うん。まぁ、あんたはずっと“雷帝”さんを見てたから、しょうがないけどね」  その一言で、アイリスがはっとして顔を赤らめる。  ミハルが壇上に登場してからずっと、アイリスは“雷帝”の立ち振る舞いに歓喜していたのだから、警戒などできるはずもない。  意地悪に笑いながら、ナデシコは続ける。 「でもまぁ、それが鍵だったんだよね。あんたの反応を見たから、余計、はっきりと“違和感”に気付くことができたんだ」 「どういうこと……?」  誰もがナデシコの言葉を待っていた。  ふぅ、と少しだけ息を継ぎ、握手会の光景を思い浮かべながら、あえてアイリスに問いかけていく。 「握手会に来るってことはさ、それ相応の目的があるわけじゃない。例えば今回だったら、それこそ憧れの女流作家――そっちの“雷帝”さんに会いたい、ってことでしょ?」  視線を投げかけられ、ミハルは少しだけ驚いたようだ。  アイリスも彼女を少し見た後、「うん、そうだね」と頷く。 「だからあの時、アイリスみたいになるのが当然の反応だと思うのさ。待ち焦がれた有名人が目の前に現れたんだ。誰だってその姿を、少しでも目に焼き付けようと思うし、その言葉に喜んで声を上げたりするものでしょう?」 「うん……でも、お客さん達も皆そうだったでしょう?」 「もちろん、大半が同じだったよ。ただ中にちょっとだけ、違う反応をしてるやつがいてね」  アイリスが「えっ」と微かな声を上げる。  ユカリやマネージャー・チセ、そして今回の事件にて槍玉にあげられているミハルも、驚いているようだ。 「マネージャーさん。今日の握手会の一部始終って、記録しているんですよね? その動画って、すぐ見えたりしますか。特に“観客側”が見えるやつが良いなぁ」 「え……ええ、まあ。ちょっと待ってくださいね」  チセは自身の携帯端末を操作し、ウェブ上で管理している動画を再生し始める。  皆一様に、小さな端末の画面を覗き込んだ。 「これで良いですかね……ストリーミング配信用に撮影した、記録用カメラのものなんですが」 「おお、ばっちりばっちり! んで、お目当ては、と……あ、こいつこいつ!」  ナデシコが指差すその小さな影を、全員が食い入るように見つめた。  壇上で演説する“雷帝”ことミハルの姿に、観客達は見惚れ、歓声を上げている。  そのはるか後方――群がる人々から離れた位置に“彼”はいた。  ナデシコが画面を操作し、ピンポイントを拡大して見せる。  会場を区切るパーティションにもたれかかるように、どこか観客とは一線を引いた位置に陣取る、一人の男。  小太りで、ニットセーターを着た男性だ。  ぴっちりと整えた黒髪のすぐ下で、どこか粘着質な眼差しを壇上に送っている。  アイリス、ユカリが男の顔を見たまま、首をかしげる。 「本当だ……皆、盛り上がってるのに、一人だけなんだか冷めたままだね……」 「スタッフでもないわね。専用のTシャツも着てなければ、そもそもこんな顔の男性もいなかったはずよ」  マネージャーのチセも、悩ましい表情を浮かべていた。 「言われてみれば、妙ですね……まぁ、もちろん、そういう方もいるのかもしれませんが……ミハルさんのファンは熱狂的な方が多いですから、こういうタイプの方は珍しいと思います」  動画では依然として“雷帝”の演説がヒートアップしているが、やはり“彼”の様子は変わらない。  あくまで離れた位置から、ただただ微笑を浮かべたまま彼方を見ている。  見れば見るほど、その様がどこか異様にすら感じてしまう。 「マネージャーさんが言ったように、もちろんこれはただの“憶測”さ。そういうタイプってだけかもしれないし、色んな趣味趣向の人がいるわけだからね。まだ犯人だと決めつけるわけにもいかないから、まずはこの男がどんな人物なのかを探る――残念だけど、今できるのはそういう“あてずっぽう”混じりの策くらいしかないってことですね」  探偵の一言に、どこか残念そうにマネージャーは「はあ」と肩を落とす。  見ただけで犯人を特定できるのなら、これほど楽なことはない。  ナデシコ自身、見つけたその“違和感”に、確証などないのだ。  期待しすぎか――少なからず誰しもが落胆しかけた、その時であった。  あの“雷帝”が、声を上げる。 「この人……知ってる!」  全員がミハルの顔を見つめた。  彼女は食い入るように画面を見つめ、目を見開いている。 「ほら、あの人ですよっ! いつも握手会に来てる!」 「あの人……ええと……」 「うちのツアーに出資してくれてる、あの製薬会社の社長さんですよ、これぇ!!」  ほうけているチセに、ミハルは興奮気味に伝える。  一拍遅れて、マネージャーもその事実に気付いたようだ。 「ああ……ああ、確かに!」 「知ってるんですか、この男を?」  ユカリの問いに、チセが慌てて頷いた。 「え、ええ……少し前から、我々――ミハルさんを前面に押し出した“雷帝”の交流ツアーに提携してくれている、“製薬会社”の方なんです。ツアーの資金援助や“雷帝”とのコラボ企画なんかを、パートナーさんとして共に進めさせていただいているんです」  ナデシコが「へえ」と唸り、視線を再び動画に戻す。 「なぁるほど。しかし社長っていうにはまた、随分と若いなぁ。ちょっとばかし、老け顔ではあるけどね」 「つい半年ほど前に、御父上が亡くなられたことで製薬会社『ヤドリギ』の経営を任された方です。御父上の資産を受け継いで、型にとらわれない大胆な経営をされているんだとか」  マネージャーの言葉に「ふぅん」と唸りながら、ナデシコは考える。  いわゆる御曹司というやつか――返す刀で、さらに踏み込んでいく。 「でも、そこまで分かっているなら、別に怪しい人物ってわけじゃあなさそうですよね? 言ってみれば、今回のイベントとは縁の深い人物なわけですし」  だが、これにはミハルが悩ましい表情を浮かべた。 「けれど握手会にいたのなら、なんで楽屋に来てくれなかったんでしょう。前までは、必ず挨拶してくれてたのに」  ほんの些細な疑問だったのだろう。  マネージャーやすぐ隣のユカリも、特に気にしていないように見える。  ただ一人、ナデシコだけが射るような眼差しを、画面の奥の“彼”に向けていた。  考え込む探偵の横で、女刑事が話をまとめる。 「どちらにせよ、これだけでは“怪しい”と決めつけられる要素はなさそうね。まだまだイベントも始まったばかりですし、ひとまずはこのまま厳戒態勢をとりつつ、注意深く探っていきましょう。お二人もなにか違和感があれば、すぐにお伝えください」  素直に頷くチセ、そしてミハル。  結局、明確な進展こそないまま、ひとまずは現状維持という形で納得するしかないのだろう。  仕事の話もそこそこに、ようやく一同の“親睦会”が始まった。  目の前の円卓に、あれよあれよと料理の大皿が運ばれてくる。  ユカリの選んだ店だけあって、どの料理もクオリティが高い。  大量の料理と香ばしい匂いに、緊張の糸が緩んでしまう。 「おお、おお、すっごいごちそう! ねえさん、良いのかい。お高いんでしょう?」 「あんた、そう言っておいて、どっちにしろしっかり食べてくんでしょ。私も仕事を斡旋あっせんした身として、中途半端な働きをしてもらっちゃ困るからね。たっぷりと精をつけときなさい」  相変わらず、ナデシコのことをよく理解している。  へへへ、と笑いながら、ナデシコは取り皿にどんどんと料理を放り込んでいく。 「んじゃまあ、遠慮なく~。ほらほらアイリス。あんたもしっかり食べときな! こういうチャンスを逃しちゃあだめだよ」 「う、うん……」  たじろぎながらも、アイリスも続いて料理の山に向き合う。  切り替えの早さにため息をつきながら、ユカリもようやく箸を手に取った。  運ばれてくる料理はどれもこれもが絶品で、丁寧な仕事に店の品格が表れている。  腹が満たされると舌もより潤滑じゅんかつになるようで、互いの身の上話や、最近の小説業界の話、小説家という職業の話など、一歩踏み込んだ会話が繰り広げられた。  約2時間ほどが経過し、大皿のものがあらかた片付けられてきた頃、ユカリの携帯電話が突如、鳴る。 「おっと、失礼。署のほうからね。すみません、ちょっと外します」  断りを入れ、ユカリはそそくさと離席してしまう。  彼女の姿を見て、マネージャー・チセも思い出したように声を上げた。 「ちょっと私もこの隙に、本社側に連絡をしておきますね。明日のこともありますので、皆様は引き続き、楽しんでください」  言うや否や、チセも立ち上がり、そそくさといなくなってしまった。  円卓にはナデシコ、アイリス、そしてミハルだけが取り残される。  満腹になり、椅子に深々ともたれるナデシコ。  量もそうだが、これほど上質な料理を口にすること自体が、随分と久しぶりのことのように思う。  重々しい腹の奥底から、いつまでも幸福感が沸き上がってくる。  しかしその横で、全く衰えることのないペースで、アイリスが料理を口に運んでいる。  皆が満腹になり手を出さない料理の残りを、次から次へと手を付けていくのだ。  彼女もまた、口の中に広がる芳醇ほうじゅんな旨味に笑みを浮かべていた。  そのか細い姿からは想像しづらいのだが、この少女は食のこととなると、とんでもない量を平らげてしまう。  思い返すと、ナデシコと食事する時も躊躇ちゅうちょすることなく“大盛”を頼んでいた。  美味そうに春巻きをほおばる彼女の姿に、たじろいでしまう。 「あんた、前々から思ってたけど、良く食うよね……その体の、どこに入ってんのよ?」 「ええ、そうかな? ナデシコ、もう食べないの?」 「ああ、うん……さすがにもう、限界」  アイリスは不思議そうに、ナデシコを見つめてくる。  その様子からすると、残りの大皿にもまだまだ手を出すつもりなのだろう。  不思議な子だよ、本当――苦笑を浮かべ、水で喉をうるおした。  だが突如、背後からかけられた声に、慌てて振り返る。 「あのぉ~、すいません」 「え……あ、はい?」  見れば、いつの間にかナデシコの隣の席に、ミハルが座っている。  彼女は何やらペンと手帳を持ち、やけに浮かれた表情を浮かべていた。  ずいと近寄られ、少しだけたじろいでしまう。 「えっと、な、なにか?」 「あの、もし良ければですね、お二人のこと、もっと詳しく教えてくれませんか!」 「え……二人って、私達の?」  アイリスも箸を止め、ミハルを見つめていた。  ミハルは笑みを浮かべ、大きく頷く。  今まで口数の少なかった女流小説家は、せきを切ったように語り始める。 「はいっ! 本物の探偵さんとお話しできる機会なんて、なかなかないんですよ! しかも、お二人とも20歳と19歳――私も今年で20なんで、すっごい近いじゃないですか!! こんなにお若い女性二人の探偵なんて、珍しいなぁ、って!!」  さらにずずいと距離を詰められ、返す言葉に困ってしまう。  先程までの会食の中では、あまりミハルは自分から喋りはせず、どちらかというとマネージャー・チセが会話をリードしている感じだった。  ところが今は一変、実に意欲的に、ナデシコらから話を聞き出そうとしている。 「お二人は、何がきっかけで出会ったんですかぁ? 学校のお友達とか? あ、もしかして、幼馴染!? 従妹いとことか? ああ、でもあんまり似てないから、それはないかなぁ」 「いや、ちょっと、そんなんじゃなくて―――」 「なにかきっかけがあるんですよね! それに刑事さんから、凄いお強いって聞いてるんですよぉ。格闘技習われてるんですか? 得意技とかありますかね!?」 「いや、あの――これは我流で」 「我流ぅ!! か――っこいい!! 縛られない格闘術で闇を切り開く女探偵!! おおおおお、すっげ、まじすっげ!! はかどりますねぇ、これは!!」  目をらんらんと――否、ぎらぎらと輝かせて、彼女はメモを取り続けている。  だが、まるでインタビューになっていない。  ミハルの勢いに完全に気圧けおされてしまい、ナデシコらはまともに会話をすることもできない。  肉体を駆け巡る“創作意欲”に、目を輝かせ、活き活きと躍動する小説家・ミハル。  その独特すぎる性格に、ただあんぐりと口を開けたまま、背もたれに寄りかかるナデシコ。  対照的な二人のテンションを横目に、とにもかくにもアイリスはまた一つ、皿の上の焼売しゅうまいを口に放り込み、堪能していた。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません