拳星 ― Knuckle Stars
14. 遊びの「王国」で

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 奇抜な看板をくぐって少しだけ進むと、痛快なバッティングの音が鼓膜を震わした。  緑色のネットの向こうでは、ピッチングマシンを相手に青年が真剣勝負を挑んでいる。  バッティングセンターを横目に進むと、そこはすでに「王国」の中心広場だった。  中央広場にはいくつもバスケットコートが並べられ、青年達がボールを奪いあっている。  広場を三つの建物が囲み、カップルや親子連れ、老若男女、さまざまな客が各々の“遊び”を求めて行き交う。  ある小屋には巨大なビリヤードのキューが貼り付けられ、ある二階建ての建物にはショーウィンドウ奥に外車の姿が見える。  かと思えば、プレハブの壁を突き破るようにプロペラ飛行機が配置されていたり、どぎついピンク色の壁面にオリジナルキャラクターがでかでかと描かれていたりもする。  とにもかくにも、そこから見える360度の景色は“無秩序”の一言に尽きるのだ。  総合アミューズメント施設「キングダム」の中心に立ち、ナデシコは変わらぬ遊び場の姿に、ほんの少しだけ安堵あんどする。 「相変わらず、ここはごちゃごちゃしてるなぁ。本当、規模のでかいおもちゃ箱って感じだね」 「すごい……街の中に、こんなところがあるなんて」 「とりあえず、ぱぁっと遊びたい――ってやからは、大体ここに来るんだよねぇ」  きょろきょろと周囲をうかがうアイリス。  その様子からすると、この施設の中で何を見たのか、どこへいったのか、といった詳細な記憶は取り戻せていないらしい。 「どう、なにか思い出した?」 「う、ううん……まだ、何も。ごめん……」 「ああ、大丈夫大丈夫~。謝らなくて良いってば! まぁ、適当に歩き回ってたら、なにか思い出すかもしれないしね」  まだまだ、少女の記憶の扉は閉ざされたままだ。  かと言え、これを無理矢理こじ開けようとしても、逆効果になるだけだろう。  あくまで気楽に、軽快に、ナデシコは歩みを進める。 「とりあえずは、この近辺で聞き込みだ。ほら、立ち止まっててもなんにも始まんないよ?」 「う……うん」  言葉に背中を押され、アイリスもまた歩き出す。  何も持たない二人にとって、今できることはとにかく歩き、そして人に尋ねることしかない。  まずは片っ端から施設に飛び込み、店員に話を聞いていく。  建物の外観もさることながら、内部も実に雑多でまさに“おもちゃ箱”のそれだった。  客とアナウンスの声に、敷き詰められたゲーム筐体きょうたいの電子音が容赦なくミックスされる。  そのうえ、建物内部に設置されたゴーカートのレースがまさに今始まったばかりらしく、子供用のカートがしのぎを削る轟音も、更なる混沌を演出していた。  すぐ真横にいたとしても、声を張らないことには会話も難しい。  そんな混沌とした状態を、客達はむしろ楽しんでいるようにも見える。  統一感のないネオンも、何を演出したいのかいまいち不明な飾りつけも、それら全ての居心地の悪さも、ある種のエンターテイメントなのだ。  店員を捕まえてはアイリスの目撃情報を確認するも、やはり有力な情報は出てこない。  そもそも店員のほとんどがアルバイトで構成されているせいもあり、当日勤務していた人間が少ないのも、大きな痛手であった。  加えて、なかなかこれだけの規模の施設に出入りしている客を、いちいち把握している店員も少ない。  騒音の中、人ごみを移動しては声を張り上げ、問いかける。  このやり取りを数回繰り返すだけで、なんだか緊張から妙に肉体が疲れてしまった。  休憩スペースのベンチに座り込み、ため息をつくナデシコ。  その手には、先程調達した炭酸飲料の缶が握られていた。 「あ~、うまくはいかないもんだねぇ。まぁ、店のほうも、いちいち一人一人の顔を覚えてるわけじゃあないだろうしなぁ」  飲み込んだサイダーは心地良く喉の奥を刺激し、ぼやけていた脳味噌のうみそを叩き起こしてくれる。  あきらめてはいけないとは思っているが、いまだにめぼしい手掛かりがないことに、重々しいため息を吐いてしまう。  一方、横に座るアイリスも両手でカフェオレの缶を持ったまま、その視線は離れた位置のゲーム筐体を見つめている。  この施設に踏み込んだ瞬間から、ナデシコは気付いていた。  アイリスの目に宿る“好奇心”の輝きを。 「よほど珍しいって感じだね。あんまり来ないの、こういう所は?」 「えっ……う、うん。始めて――あ、でも前、もしかしたら、来たことがあるのかもだけど」  覚えていないだけで、数日前にもここにいたのかもしれない。  そういう曖昧さは残るものの、少なくともゲームセンターという類の施設には、縁がないらしい。 「へえ、本当に良い所の出なんだねぇ」 「いっつも、家で過ごしてたから……あんまり外に出るな、ってお父さんとお母さんに言われてたし」  ふうんと頷きつつ、ナデシコはどこか察する。  それは、かつてアイリスが語ってくれた、彼女自身の境遇についてだ。  変――少女は、そういうネガティブな言葉を使っていた。  生まれつき宿った異常な握力、他人の本質を見抜く眼。  そして何より、時折消えてしまう「記憶」の謎。  そういった特異体質が故、彼女は外界に出ることを拒み、閉ざされた世界で生きてきた。  きっとそれは彼女だけの意思ではなく、彼女を守ろうとする両親の意向もあったのかもしれない。  箱入り娘というには、いささか行き過ぎた処遇しょぐうのようにも思う。  だが、これはあくまでアイリスらの家族の問題だ。  ナデシコはさりげなく、話題をその両親に向ける。 「あんたのことが大切だったんだね。お父さんも、お母さんも」 「そう……なのかな。でも最近じゃあ、ほとんど家にはいないよ。二人とも、凄く忙しいから」   そういうパターンか――どことなく見えてきたアイリスの両親像を思い描きつつ、寂しそうな少女の横顔を眺めた。  きっと裕福な家庭の出身なのだろう。  だがその裕福さを支えるため、両親は彼女と出会う時間を犠牲にしている。  満たされ、しかし欠けている。  そんな矛盾が、アイリスという少女の姿を創り上げているように思えた。 「うまくいかないもんだねぇ。仕事と家庭、かぁ。なんだか人間の永遠のテーマって感じだよ」 「お父さんのことも、お母さんのことも、好き。だけど――最近では、ほとんど会ってない。いっつもお屋敷にいるのはお手伝いの人達だけ……」  アイリスの目に、うれいの色が濃くなっていく。  目を伏せ、手元の缶を見つめている。 「きっと、私が悪いの……私が『変』だから……だから皆、大変な思いをしてるんだと思う……」  少女の巡らす思いは、どんどんと暗いほうへと沈み込んでいく。  ナデシコもさすがに体を起こし、真剣な眼差しを浮かべざるをえない。  どうにも、この少女には“影”がまとわりついている。  己が異質であると、誰よりも強く、色濃く思っているからだろう。  他人と違う自分は、いつも不幸を招く存在――アイリスの憂いからは、そんな仄暗ほのぐらい感情がにじみ出ている。  手元を見つめるアイリスから、視線を前に戻した。  離れた位置の筐体で、少年二人が悔しそうに声を上げていた。  画面に押し寄せるゾンビの群れに、敗北してしまったらしい。  呑気のんきに立ち去る少年達を見て、ため息をつくナデシコ。  同じ娯楽の王国にいながら、少年と少女の抱く気持ちは真逆だ。 「真面目なんだねえ、アイリスは。私なんかとは大違いだ。その歳で、両親のことまで考えてるんだからさ」 「ナデシコは……お父さんと、お母さんとは……仲が良いの?」 「まあ、一応ね。でも私の場合は真逆――私が突き放しちゃってたからさ」  えっ、と少女が振り向く。  驚いたような彼女の顔をちらりと見て、また視線を前に戻す。 「勉強も嫌いで、誰かに従うのも嫌いだったからね。親の言いつけこそ守ってたけど、まぁ、周りからすれば典型的な“不良女子”って感じだったよ」  不良、という単語にアイリスは過敏に反応して見せた。  その意外そうな顔を、またもちらりと確認する。 「ワルってやつとは、昔からなじみが深かったからね。んで、母さんから教わった“武術”を使って、やたらめったら喧嘩売ってたんだ。おかげで近所じゃ負け知らず。だけどそりゃあ、今思えば――ただの“暴力”ってやつだったんだろうさ」 「昔から強かったんだね……」 「一応、生まれ故郷の町じゃあ、そこそこ名の知れてる存在だったんだよ。何人投げ飛ばしたか、もう覚えてないくらい」  頭の後ろで手を組み、だらりと座りながらけらけらと笑うナデシコ。  アイリスもどんな顔を作っていいのか、困っているようだった。  だが、ふっとその笑顔に影が差す。 「まぁでもさ、悪いことすると必ず“ツケ”がくるもんでね。調子に乗れば乗るほど、手痛くて、きっついやつがさ」  ナデシコの目に宿った悲しい色に、アイリスも気付いたのだろう。  少しだけ息をのみ、かけるべき言葉を考えているようだった。  困惑するアイリスを見て、ナデシコ自身「しまった」と反省する。  後ろ頭を雑にかいて、雑念を振り払った。  励ますはずが、落ち込ませてどうするんだ、馬鹿――おもむろにポケットからペラペラの財布を取り出し、中身を確認した。  知り合いの女刑事・ユカリから借りた“軍資金”の紙幣が、まだ数枚残っている。  「おし」と意気込み、ベンチから立ち上がるナデシコ。  座ったままのアイリスが見つめる中、ずかずかと勢いよく歩いていく。  その先にあるのは“両替機”だ。  革ジャンの背中を見つめながら首をかしげるアイリス。  紙幣をいれた途端、ジャラララララというけたたましい音が響いた。  戻ってきた探偵の顔は、どこかにやついている。  その両手には、あらん限りの硬貨が握られていた。 「それって――」 「悩んでても始まらないよ。こういう時は、気分転換にかぎる。幸いここには、遊ぶ道具は山ほどあるからさ」 「え……あ、遊ぶって……」  ナデシコの意図を、ようやくアイリスも汲んだらしい。  ただ、それでもまだ困惑の色は消えない。 「調査しないの? それにそのお金って、借りたものじゃあ……」 「気持ちを素早く切り替えるのも、名探偵のコツだよ。そのための必要経費なんだから、大丈夫大丈夫」  なかなか無理矢理な理屈に、さすがのアイリスも理解しかねている様子だ。  しかし、ナデシコの勢いに負け、彼女もまた手にしていたカフェオレを飲み干し、立ち上がる。  ベンチの目の前にあった、シューティングゲームの筐体に、二人は並んで立った。  改めて、アイリスはゲーム機という存在が珍しくてしょうがないらしい。  中を覗き込んだり、巨大なディスプレイで動くゾンビの群れに、時折びくついたりしている。 「これ……ど、どうすればいいの?」 「難しくないよ、なーんも。コイン入れて、こいつをぶっ放しまくる」  あまりにも雑な説明を終え、ナデシコは早々に武器を構える。  無骨なショットガンの銃口を、慣れた手つきで構えて見せた。 「ぶっ放すって……撃てばいいの?」 「そうそう。やられるまえにやっちゃえ、ってね。単純単純」  戸惑うアイリスをそっちのけで、シューティングゲームが始まってしまう。  開始早々、お互いの画面にこれでもかと大量のゾンビが押し寄せ、襲い掛かってくる。  ナデシコは慣れたもので、攻撃を受ける前に素早くそれらの眉間みけんを撃ち抜いていく。  一方、隣のアイリスは銃を乱射しながら、半ばパニックに陥っていた。 「えっ!? え、えええ!? な、なにこれ、えっ、ちょっと、やだ――!!」  今までのか細い声とは一変、声を張り上げながら必死に照準を合わせている。  反動まで再現された銃のリアルさゆえに、発射するたびにか細い腕が振り回されていた。 「ひぁあああ!!」  悲鳴にも近い声を上げながら、銃口を向けるアイリス。  目をつぶりながらプレイしているせいで、弾丸があらぬ場所を破壊していく。  手元で暴れる銃を押さえこむので精一杯だ。  そんな少女の撃ち漏らしを、ナデシコがすかさずバックアップする。  自分に向かってくるクリーチャーを処理しつつ、アイリスに襲い掛かるものまで、狙いすまし、的確に撃破していった。  騒ぎながら銃を所構わず乱射するアイリスと、それを陰ながら援護する凄腕のナデシコ。  無茶苦茶なプレイスタイルながらも、ゲームの中の二人は着実にステージ3まで到達した。 「落ち着きなって。なにも、本当に喰われるわけじゃあないんだからさぁ」 「だ、だって、本物みたいで――」 「ゾンビなんて、ゆっくり歩いてくるだけなんだから、大した相手じゃあないよぉ」  けらけら笑うナデシコを見て、アイリスも少しだけ落ち着きを取り戻す。  画面に視線を戻すと、こっちに向かってゆらゆらと歩いてくるゾンビが見える。  ナデシコが言うように動きは緩慢かんまんで、こちらにたどり着く前にどうにでもできそうだ。  アドバイスにより、ふぅと深呼吸する少女。  ほんの少しだけ、落ち着きを取り戻す。 「そ、そうだね。これくらいなら、私でも戦え――」  銃口を構え、前を向き直すアイリス。  しかし、群がるゾンビ達を押しつぶし、上空から巨大な影が飛来する。  画面いっぱいに映し出されたその巨影に、再び少女は固まってしまう。 「おっと、大ボスだぁ。気合い入れなよぉ!」  ウキウキしながら構えるナデシコ。  だが一方で、銃を持ち上げたまま、アイリスは目を見開き、絶句している。  巨大な黒い“蜘蛛”が、こちらに向けてがちがちと歯を鳴らし、威嚇いかくしていた。  その足元から、小さな子蜘蛛がわらわらと一斉に現れ、画面を埋め尽くす。  湧き上がったはずの勇気は消え去り、代わりに少女の口から、ありったけの悲鳴が飛び出す。 「イ――ヤァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」  パニックに陥り、銃を乱射するアイリス。  かたや、それを必死にバックアップするナデシコ。  健闘虚しく、そこでライフポイントが尽き、ゲームオーバーとなってしまった。  再びベンチへと戻り、休憩する。  痛快に笑うナデシコに対し、アイリスはぜえぜえと肩で息をしていた。 「あはははは、すっごい声だったね、さっきの。あんな大声だせるんじゃんか」 「だ、だって……怖くって……な、なんで……ナデシコは、平気なの?」  何の騒ぎかと、周囲の客達も汗だくのアイリスを見ている。  その視線に顔を真っ赤にし、少女はうつむていしまった。 「いやぁ、なにも全員同時に襲い掛かってくるわけじゃあないからさ。一番近い奴を順番に処理すりゃあ良いだけだよ。喧嘩する時とおんなじ、おんなじ」  あっけらかんと言うナデシコに、アイリスは「へえ」と反応するのが精一杯の様子だ。 「す、すごいね……あんなゲームが、あるんだ」 「その様子だと、本当に遊んだことがないんだねぇ。おっし、良い機会だ。これも貴重な“社会勉強”ってやつだね」  意気揚々と立ち上がるナデシコ。  アイリスは息を整えながら、その不敵な横顔を見上げた。 「社会勉強……え、まだやるの?」 「コインは余ってるんだから、どうせだから色々遊ぼうよ。まあ、行く先で手掛かりが見つかりゃあ、儲けもんでしょ?」  再び「はあ」と力ない返事をするアイリス。  物事の優先順位がすげ変わっている気がしてならないが、子供のような純粋な眼差しを向けるナデシコを見ていると、とがめるのも野暮やぼに思えてしまう。  二人は“調査”と名打ちながらも、そこからまた別の筐体で遊んでいった。  テレビゲームだけでなく、パンチングマシーンやクレーンゲームなど、アイリスが興味を惹かれたものを、片っ端からプレイしていく。  手元にあったコインはあっという間に姿を消し、軍資金が尽きたことで“調査”は終了となった。  建物から外に出ると、既に夕暮れ時。  帰路につく客達を横目に、ナデシコは大きく伸びをする。  痕跡こそ掴めなかったが、久々に堂々と遊んだ気がした。 「時間が経つのは早いねぇ、まったく。目立った手掛かりが見つからないのが、ちょっとばかし残念だけど」 「でも、ほとんど遊んでたから……」 「ちゃんと合間で店員に話も聞いてたでしょ? どうにも、皆、覚えてないみたいだし、一筋縄じゃあいかないみたいだねえ」  やはりどう考えても優先順位が逆なのだが、なおもアイリスは突っ込みはしない。  ナデシコの横に立ち、夕暮れ時の少し肌寒い風に身を晒す。  手掛かりはない。  だがそれでも、不思議と少女の体の中に、それほどの倦怠感けんたいかんは残っていない。 「私……初めてかもしれない。こんなに遊んだの」 「なんだぁ、まんざらでもなかったみたいで、良かった! いや、驚いちゃったよ。あんた、意外とクレーンゲーム上手いんだね」  数々の筐体のうち、唯一アイリスが実力を発揮したのは、クレーンゲームだった。  景品こそ取れなかったものの、繊細せんさいな動きで的確にアームを動かしていたのは、センスのなせる技だろう。 「た、たまたまだよ。ただ、夢中でやっただけで」 「初めてであれだけできるのは、すごいよ! まあ、あの景品を狙うってのは、ちょっとどうかと思うけどさぁ」 「えぇ。可愛かったよ、あのマスク?」  腕前こそあれど、どうにもこのアイリスという少女の感性も独特らしい。  彼女が必死に狙っていたのは、いまいちニーズの分かりづらい“熊をあしらった覆面マスク”であった。  他愛のない会話だが、今までのようなぎこちなさはそこにはない。  夕暮れの道を歩きながら、ナデシコとアイリスは自然と笑みを浮かべ、言葉を交わす。  その姿は“探偵と容疑者”なんていう無粋ぶすいなものではなく、他者から見ればただの屈託のない“女友達”のそれであった。  ナデシコとしても、自然体で話してくれるアイリスの姿に内心ほっとする。  軍資金を使いはたした成果は、あったか――顔を上げるとキングダムの入り口が見えた。  すぐ向こうに、せわしなく行き交う人々の群れと車が確認できる。 「もうすぐ夜になるし、今日の所は引き上げかな。明日、また来てみようよ。店員も入れ替わるだろうから、もしかしたらなにか今度は掴めるかもしれない」 「見つかるかな……私の勘違いで、もしかしたらこんなところ、来てないんじゃあ……」 「それならそれで、一つの“答え”がでるじゃない。看板を覚えてるなら、この近くには来てたわけだからさ。そん時はまた、改めて探せばいいってことだよ」  得るものがなかった現状を、二人は真逆の視点でとらえている。  どこまでも前向きなその姿勢に、アイリスはついにため息を漏らした。 「ナデシコは良いなぁ。そういう風に、いつも明るく考えられて」 「簡単だよ、こんなの。結果がどうであれ、なにかしてりゃあ必ず前には進んでるんだ。こけようが、穴に落ちようが、昨日の自分よりは少なくとも前にいる。何かして、無駄なことなんてありゃあしないんだよ」  探偵のその言葉を、すぐ横の黒衣の少女は、しっかりと受け止めていた。  なにかに縛られて前に進めない彼女にとって、何があろうが前に進むと決めたそのナデシコの豪快さは、ただただ眩しく映るのだろう。  少女の心が、少しだけ前を向く。 「そっか……そうだね。また明日、探しに来よう」 「そうそう! まぁ、軍資金がなくなっちゃったのを、どうにかしないとなぁ。また姐さんにどうにかしてもらうかなぁ」 「もお、怒られるよ。そんなことしてたら」  また一つ、二人の笑い声が重なる。  資金が尽きようが、明日食っていくつてがなかろうが、それらも含めてナデシコにとっては“さしたる問題ではない”のである。  少なくとも、それらがあるから“今日”へと進んでいるのだ。  伸びをし、ナデシコはキングダムの入口へと進んでいく。 「それじゃあまぁ、暗くなる前に帰ろうか。早く退散しないと、悪いやからに捕まっちゃあ、たまったもんじゃあないしね」 「そ、そんな人もいるの?」 「そりゃあまぁ、こういう所だからね。良い子はとっとと退散するのが吉さ」  けらけらと笑うナデシコ。  その姿を見て、困ったように笑うアイリス。  立ち去ろうとする二人のその背中に、鋭い言葉が叩きつけられた。 「そりゃあ、俺らみたいなやつのことか。なあ?」  一瞬、二人の動きが固まる。  緩んでいたはずの緊張の糸が、一気に張り詰めた。  ほぼ同時に振り返る、ナデシコとアイリス。  二人の視線の先で、キングダムの建物を背景に男達が立っていた。  まだ歳の若い青年である。  皆、日に焼けており、半ズボンにスニーカーという動きやすい姿をしていた。  見る限り、バスケットボールで遊んでいた一団のようである。  皆一様に、こちらを睨みつけている。  だが、先程の一言がかんさわったとすれば、その敵意の濃度は、いささ濃すぎるようにも思えた。  束になって降り注ぐ“殺気”に、アイリスがひるむ。  しかし、負けじとナデシコは言葉で切り返した。 「おおっと、ごめんごめん。何も、あんたらのことを言ったんじゃあないんだけどなぁ?」  返答はない。  男達は皆、ただじっと黙して、こちらを睨みつけてくるだけだ。  帰路につく他の客達もその異様な光景にたじろぎ、脇を足早に通り抜けていく。  いったいなんだ――ナデシコが警戒していると、再び背後から声が響く。 「黒い、薔薇ばらのついたドレス――間違いないね、ビンゴ。君達でしょ、先輩にやんちゃしちゃったのは?」  慌てて振り返り、息をのんでしまう。  見れば、いつの間にかキングダムの入り口をふさぐように、数名の男が立っていた。  どうやらまんまと取り囲まれてしまったらしい。  先頭のキャップを逆さにかぶった青年が、少し眠たそうな眼でこちらを見つめている。  銀のピアスをいくつもはめ、頬には蜘蛛のタトゥーをいれていた。  その“いかにも”な姿に、ナデシコも歯噛みする。  嫌な予感が、当たってわけだ――すぐ隣のアイリスが、怯えているのが分かった。  先程までの柔和な雰囲気はどこにもなく、周囲から降り注ぐ殺気にただただひるんでいる。  そんな彼女との間に割って入るように、一歩を踏み出すナデシコ。  男達の視線を真っ向から受けながら、笑みだけは絶やさないようにする。  余裕であるというその虚勢を必死に保ちながら、降り注ぐ殺気の雨に、ただただ自身の細胞がざわついていた。

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