嵐山さんはどうして冬子先輩に会いたがっているのか。小春さんは既に答えに辿り着いているようだった。俺の問いかけに一瞬きょとんとしたあと、買い忘れに気付いたみたいに眉を寄せて笑った。 「ええ、何となくですが」 つまり、俺が説明した範囲に嵐山さんの目的を特定するための情報が含まれていたということになる。 すぐ思い付くのは冬子先輩に一目惚れをした嵐山さんが先輩に交際を申し込むという可能性なのだが、 「藤宮さんの話では嵐山さんにはお付き合いをされている方がいらっしゃいますよね」 そう、嵐山さんは真莉という女性と同棲している。断片的な情報でしかなかったが恐らくは間違いないだろう。付き合っている相手がいるのに他の異性と交際をしようとする人間がいるだろうか? いる。もちろん吐いて捨てるほど。ただ、嵐山さんは真莉さんと別れたくないようにも話していた。彼はそういう類のひとではないのではないだろうか。 「でも、何か伝えたいことがある、というのは間違いないですよね?」 「会って話をしたいという以上はそうなるでしょうね」 段々と会話がクイズ染みてきた。 小春さんは膝を崩して縁側から脚を下した。その仕草がどこか優雅で見入ってしまう。錯覚だろうか。さらりと揺れた黒髪から草木の匂いが感じられたような気がした。 二人並んで縁側から雲を眺める。 (隠居した爺さんみたいだな……) 再び思考を巡らせた。 嵐山さんは冬子先輩に伝えたいことがある。直接会って、という点がポイントだろう。その条件は彼が伝えたい内容とダイレクトにリンクするはずだ。即ち、他人には聞かせたくないプライバシーか、あるいは確実性を求めているため他人には任せられない事柄のどちらかだ。 相手の名前も知らない嵐山さんが冬子先輩と共有すべきプライバシーがあるとは考えにくい。恐らくは後者。やはり先輩と何らかの交渉事をしたいのではないだろうか? それは男女の交際でない。内面でなく外見で判断できること。小春さんには分かって、俺には分からないこと。……ならば、そうか。 「モデル、ですか?」 絵画のモデル。人物画のモデル。嵐山さんも絵を嗜んでいて冬子先輩に作品のモデルを依頼しようとしているのではないか? 小春さんは目を細めた。 「正解です。でも、少しだけ惜しいです」 「惜しい、ですか?」 何が違うと言うのだろう。 「モデルというのは正解です。でも絵ではないと思います。ヒントは藤宮さんの目の前にありますよ」 「庭ですか?」 「もっと手前です」 正面には木柵がある。年季が入って落ち着いた色合いをしている。俺はそこからゆっくりと視線を下していく。花、植木鉢、土、踏み石、俺の靴、足……、手元にあるものは、そうか。 「写真ですね」 小春さんが「ええ」と肯定した。 「嵐山さんは冬子をモデルに写真を撮りたいのだと思います」 嵐山さんはある目的があって霧代市内を散策していた。公園やら神社やら変わった場所に用があるものだと不思議に聞いていたが、あれはあちこちを回って風景を撮影していたということなのか。 「でも、それだけじゃ写真のためだとは判断できないでしょう?」 別の研究事かも知れないし、ただの散歩かも知れない。 「ええ、でも、この根付の写真からして知識のない人の撮り方ではないんです。藤宮さん、こういう小物を撮影するときってどうすると思います?」 「どうって、そりゃあ撮りたい物にカメラを近付けて、撮影モードを接写にして……。それぐらいじゃないですか?」 小春さんは首を振った。 「マクロ機能も重要ですがそれだけでは十分とは言えません。ここまで綺麗に写真を撮ろうとするならライティングの技術も必要になってきます」 聞き覚えのある言葉だった。 「それって、テレビとか映画の撮影で出演者に照明を当てるやつですよね。こう、白い板みたいなのをスタッフが両手で掲げて」 「レフ板のことですね。あれは光源からの光を反射させて任意の場所に光を当てているんです。仰るとおりレフ板を使うこともライティングの一つですね。しかし、厳密にライティングと言えば被写体を光で照らす行為を指すわけではありません。人物をより人物らしく、花をより花らしく。その被写体が持つ性質や特徴、あるいは撮影者が望む有様を色合いや立体感によって表現する手法全般のことを言うんです」 俺は首ひねった。 「ええと……、つまり?」 俺の仕草が可笑しかったのか、小春さんがくすりと笑った。 「たとえば紙に人の顔を描くことを想像してみてください。単純な輪郭に目と鼻と口を描き込むだけでも人の顔には見えると思います。ですが、その人物をリアルに描写したいときはどうなされます?」 「……影とか、顔の凹凸とか」 「それと同じことです。ただ単に写真を撮影しただけでは被写体の……そうですね、スポーツ選手であれば逞しさであるとか、食べ物であれば美味しそうに見えるとか、そういった特徴や魅力が何も伝わらない平面的な仕上がりになってしまうんです。そうならないよう光を駆使してハイライトやグラデーション、陰影やシャドウを対象に表現する手法、つまり被写体に応じて光をコントロールする技術をライティングと呼ぶんです」 なるほど、説明を受ければ何となく理解ができる。嵐山さんに根付の写真を見せて貰ったとき、まるでカタログの商品画像のようだと感心をした。まさにその商品画像のようだという印象こそがライティングによって生み出されたもの、演出された写りなのだ。 「自然光だけで光を回すには限度がありますのでライティングには機材も必要になってきます。照明はもちろん、藤宮さんの仰るレフ板や、光を拡散させるためのディフューザー、簡易スタジオ、三脚……。日用品で代用できるものもあるそうですが、いずれにしろ思い出作りにスナップ写真を撮るようにとはいきません。特に光の影響を受けやすいこのような小物に関してはブツ撮りと言って意外と難易度が高いんです。実際、見事なものですよ。こんな小さなとんぼ玉に材質の透明感や光沢が繊細に表現されています。相当慣れていなければここまで綺麗には撮れないでしょうね」 要するに写真の出来栄えを見るだけで嵐山さんが素人でないことは一目瞭然というわけだ。俺には意図した写りなのか、偶然綺麗に撮れただけなのか、とても判断などできないが。 そう言えば、嵐山さんと風花さんもこの写真のことをカリカリだとかガチピンだとか言っていた。もしかしたらあれもカメラ用語なのかも知れない。しかし、 「小春さん、どうしてそんなこと知ってるんです?」 この人の専門は絵画のはずなのだが。 小春さんは恥ずかしそうに声を細めた。 「以前、冬子に誘われて少しだけ写真の撮り方を勉強したことがあるんです。絵画も写真も対象をフレームの中に収めるという点は同じですから、構図や、それこそ光の効果などで共通している部分は結構多いんです。知識があって損はないから何冊か本を読んでみろと」 いかにも頭でっかちな冬子先輩が言いそうなことだった。 「恐らく嵐山さんは大学で写真サークルか何かに所属されているのでしょう。風花さんとはそこでの先輩後輩の関係なのかも知れません。そして、去年の冬に市内で写真のモチーフを探していたところ偶然出会った冬子にモデルとしての魅力を感じたんです。しかし西高の生徒であること以外何も分からなかったので拾った落し物から誰であるかを特定されようとしたのだと思います。理由を隠されていたのは交渉前に依頼を断られることを心配なされたからではないでしょうか」 直接的には拒否が難しい依頼でも他人を介せば格段に断りやすくなる。頼む側としては自分が直に交渉したいというのが心理だろう。 「筋は通ります。でも、一つだけ分からないことが」 「なんでしょう」 「どうして今頃になって冬子先輩を探し始めたんです?」 嵐山さんが根付を拾ったのは去年の十一月。既に半年も前の話だ。卒業して行方が分からなくなってしまう可能性もあったのだから、すぐに探し始めたいと思うのもまた心理のはずだ。行動に整合性が取れていないのではないか? 「それはですね」 と小春さんは踏み石から脚を上げ、再び家の奥へと入って行った。振り返って目で追うと居間にある小さな引き出しからA4サイズの印刷物を二つ取り出していた。片方は一枚の用紙、もう片方は冊子だった。彼女は冊子を開いて中身を確認したあと、納得したようにこくりと頷いた。 「いくら魅力的な人を見つけたとしても写真のモデルになって欲しいとは中々頼みにくいものです。嵐山さんもその点は同じ。冬子に被写体として魅力を感じたとしても一度見かけただけの高校生の女の子を探し出そうとお思いにはならなかった。でも半年たってその必要が出てきたんです」 縁側に戻ってきた小春さんは、腰を下ろし、持ち出してきた一枚紙を俺に差し出してきた。紙の表面を見たとき俺は思わずあっと声をあげてしまった。 「霧代美術展の広告!」 「ご存知なんですね」 ゆいちゃんが教室に持ってきたものと同じチラシが小春さん手に収められていた。 「小春さんも出展するんですか?」 「去年はしましたが今年どうするかはまだ決めかねています。ただ前年の出展者には四月の初めに案内状が届くんです」 「でも……これって絵画の展覧会でしょう?」 「ここを見てください」 小春さんが示した箇所にはこう記されていた。(部門)絵画、デザイン、版画……それに、立体、書道、工芸、陶芸、写真! 「そうか、元々は県展の運営に反発して立ち上げた美術展だから……」 「ええ、募集しているジャンルは絵画だけではありません。写真もです。そして」 もう片方の冊子を開いた。こちらは美術展の目録だった。表題を見ると今年のものより開催回数が一つ少ない。つまり前年の目録ということになる。小春さんは目録の、ある一か所に指を置いた。 「写真の部、佳作・嵐山康介『旅先にて』……」 「嵐山さんは、去年の美術展に応募していたんです」 となると四月の初めに案内状が届く。冬子先輩を探し始めたのが二週間前。時期がぴったり重なっている。 つまり、嵐山さんは案内状が届いてから初めてどんな写真を応募すべきか考えたのだ。そして半年前に根付を落とした冬子先輩のことを思い出した。先輩をモデルにすればきっと良い写真が撮れる。幸いにも自分には彼女を探し出すための手段と大義名分が手元にある、と。 「もう一つの根拠は嵐山さんが期限と定めた時期です。六月末までなら三か月あるから大丈夫と、そう仰ったんですよね?」 「ええ、でも今は四月末ですから実際には二か月しか探す期間がないと思って……」 「多分逆です。七月から九月末までなら撮影期間が三か月あるから大丈夫という意味で仰ったのだと思います」 「九月末って……あ、そうか」 霧代美術展の締切期日か。 先輩をモデルにするにしろ、別の被写体を構えるにしろ、美術展に応募する以上は撮影のための期間が必要になる。いつまでもだらだらと俺たちの報告を待つことはできない。嵐山さんは成否のどちらに転んでも対応できるように……取り分け先輩を見つけられなかったときのために六月末という期限を設けたということか。 「でも……そっかあ。冬子先輩がモデルかあ」 月のような女性であるかは議論の余地があるとしても冬子先輩も確かに雰囲気のある人だ。モデルにしたいと考える嵐山さんの気持ちも分からないでもない。分からないでもないのだが……。 「綺麗に撮って貰えるといいのですけれど」 予想する結果は俺と同じなのだろう。小春さんの笑顔にはどこか苦いものが混じっていた。 つまり、まあ、十中八九、断られるだろうなあ。
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