「やはりその花は死んだ人に捧げたものだったんでしょうね」 柵に体重を預けながら傍らに立つ小春さんに告げた。鳥の影でも追っていたのだろうか。丘の上の空を眺めていた彼女はなびく黒髪を手で押さえながら向き直った。 休憩所の近くで亡くなった人はいない。小春さんはその主張を固辞したりはせず、落ち着いた表情で問い返してきた。 「私が知らないずっと以前にここで亡くなられた方がいらっしゃった、ということですか」 「そうじゃありません。最近の話です」 「ですが」 「ここで死んだ人はいない。でも、ご存知ないですか?」 先々週、とある踏切で人身事故が起きた。事故が原因で電車の運行に乱れが生じ、通学途中の俺もまた遅刻を余儀なくされた。その事故が起きたという踏切が、 「あの山ノ前駅の踏切です」 休憩所の先端から見える小さな駅と踏切を指差した。小春さんは踏切に向けて目を細めた。 「……あそこで事故が起こったことは私も知っています。つまり被害者の方はあの方たちの知人だった、と?」 「小春さんが見かけたイギリス人ですよ。事故に遭ったのは」 被害者の身元までは知らなかったらしい。小春さんが驚きに目を見開いた。 俺がスマホで検索したのは地方紙の過去記事だ。先々週のニュースに事故の経緯と被害者の氏名が掲載されていた。国籍も。 「しかし、花を捧げるのなら休憩所ではなく事故現場ではないですか」 「ええ。そのつもりだったんじゃないでしょうか。想像するしかありませんが……」 老人二人と事故に遭ったイギリス人はここで集まって世間話に興じる仲だった。古い付き合いなのか、最近知り合ったのかはわからない。いずれにせよ共に余生を過ごす友人同士だったのだろう。だが、二週間前のある日、その友人がこの丘から見える踏切で事故に遭った。残された老人たちは悲しみに暮れた。 友人の死後も老人たちは休憩所に集う。やはりそれが習慣であり生活だからだ。くだんの二人もいつものように山を登っていた。あるいは酒を酌み交わしながら故人との思い出を語ろうとしたのかも知れない。そして、道すがら、通り過ぎる家の石段に、桜に似た小さな花が咲いていることに気が付いた。 「それが小春さんのサクラソウだったんです」 手の中のスマホを握り直す。気のせいだろうか。いつもより筐体を重く感じた。 イギリスにはプリムローズ・デイと呼ばれる日がある。元々は、イギリスの首相だったディズレーリが没した際、彼を寵愛していたヴィクトリア女王が、ディズレーリの好きだったサクラソウを手向けたことが由来となっている。以降イギリスでは、ディズレーリの命日である四月十九日にサクラソウを飾ったり着用したりする習慣が広まったそうだ。一週間前の土曜日はちょうど四月十九日にあたる。老人二人も、故人から聞かされたディズレーリのエピソードを思い出し、その風習に倣ったのではないだろうか。 俺も別に知っていたわけではない。だが『薔薇を抱く女』が検索するきっかけをくれた。花言葉は品種で異なる。意味するところは風習で異なる。ならば、死者にサクラソウを手向ける習わしがあったとしてもおかしくはない。推測は間違っていなかった。 小春さんからサクラソウを譲って貰った二人は一時間ほど休憩所で友人を偲んだ。そして、この場所に立ち、持参した酒と花を手向けたのだ。眼下に見える駅の踏切に向けて。 はじめは俺もどこの駅で事故が起きたかまでは覚えていなかった。でも、少し考えれば簡単に分かることだった。 俺が事故で足止めを食らっていたのは西日駅。そこから山ノ前、木里、神池、凪、霧代と続き、さらに延々と次の駅が並んでいく。だが、山ノ前駅を越えたあたりから線路はすぐに高架を昇る。踏切事故は起こり得ない。よって駅近くで事故が起きるとすれば山ノ前駅の踏切以外に該当する場所はないのだ。電車を待つ人の姿もない、あの小さな駅しか。 小春さんは胸の前で手を重ね、山ノ前駅をじっと見つめていた。柔らかなその表情にはある種の安堵が見て取れた。 「腑に落ちました。そういうことだったんですね」 「俺の推測でしかありませんがね」 「いえ、花を片付けなくて良かったです。そんな大切な意味が込められたものを私が取って帰るわけにはいきませんから」 置かれた花にも理由があるはずと口にしながら、どこかで無為に捨てられた可能性を排除できなかったのではないか。小骨が取れたのなら、それで良いのだ。 「帰りましょう」 踵を返し木柵から離れた。小春さんも後に続く。が、少し歩いて振り返ると彼女は花の置かれていた場所を肩越しに見ていた。 「小春さん?」 彼女は何も答えない。心がどこかに離れたように。やがて背を向けたままこう言った。 「それまで当たり前のように傍にいた人がある日突然いなくなってしまう。その悲しみはとても言葉で言い表せるものではありません。でも、たとえどんなに離れていても繋がりを持ち続けていられるということは……その想いは、人には哀れに映るかも知れませんが、それでも、尊いものなのでしょうね」 そして、振り返り、 「少し、羨ましいです」 そう笑うのだった。とても、儚げに。 風が強く吹いた。小春さんの黒髪がさらさらと踊り、俺は何も考えられなかった。ただ、そのとき確かに見えたのだ。彼女の背に立つ桜の木が満開に咲き誇る光景を。ひらひらと漂う白い光の中で溶け込んでいく少女の笑顔を。 この瞬間を永遠に留めて置くことができたならば。鈍くそう想い、自らの右手に目をやった。何も持たない、ガキの手だった。 丘の上では緑色の葉が風に揺られて佇んでいるだけだった。 陽が高く昇っていた。 小春さんに別れを告げ、そのまま帰路についた。がらがらの電車の中、疲労感に揺られながら、改めて事故の記事を眺めてみた。「山ノ前で踏切事故 外国籍の男性が死亡」 内容はこうだ。 『4月11日(金)山ノ前駅西側の踏切でイギリス国籍のベンジャミン・エイプルトンさん(71)が月浜行きの特急列車に跳ねられ全身を強く打ち死亡した。霧代南署によると、エイプルトンさんは踏切内で転倒。直後に遮断機が下り踏切内に閉じ込められた。近くを通りかかった女性が非常ボタンを押したが間に合わなかった。エイプルトンさんは山ノ前に在住しており、近所に住む友人たちと花見へ行く途中だった』 それは朝に見てすぐに忘れるような、とても簡素で短い記事だった。
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