造花のうた
第五話 造花(1)

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 一か月間の活動停止。それが美術部に起きた事件の結末だった。小春さんも二週間の停学と部費の返還を命じられた。警察沙汰にはされなかったそうだが、それはむしろ学校側の都合だろう。  小春さんは停学が解けたあとも半月ほどは在学していたらしい。美術部の部員一人ひとりに謝罪を申し出たが、受け入れた生徒は数えるほどしかいなかった。クラスにも居場所がなくなり、結局は自主退学という形で梅女へと転校する。本来であればトラブルを起こした生徒が入学できるような高校ではないはずだが梅女と父親との間に何かの伝手があったそうだ。編入はあっさりと認められた。残された美術部は一か月の喪が明けても活動を再開する人間は現れなかった。互いが曝した醜い本音は小春さんが罪を被ることで雪げるようなものではなかったのだ。一人また一人と部員の籍がなくなり、顧問の新里も今年三月に他校への異動を命じられた。そして、ただ独り冬子先輩だけが残った。  俺は丸椅子の座枠を両手で掴み美術室の天井を見上げる。ここでこうやって眺め回してもそんな大それた事件が起きたとは信じがたかった。窓ガラスは割れていないし、床に石膏像も落ちていない。合唱部の歌声だって聴こえてくる。穏やかで、間が抜けていて、平和な放課後そのものだ。でも、刻まれた傷痕は今でも確かに残されている。見えなくとも、確かに。  全てを語ったあとで小春さんはこう言った。 「神坂さんが私を嫌うのも当然のことです。でも、それは彼女が美術部にいられなくなってしまったからではありません。中山さんの居場所を私が壊してしまったこと。神坂さんはそれに対して怒りを抱いているのです。神坂さんにとって中山さんはそれだけ大切な友人なんです」  神坂と中山先輩はいつも一緒に行動している。まるで姉妹のように。  冬子先輩にとっても小春さんは大切な存在だったはずだ。幼い頃から共に育ってきた親友同士。姉のように慕い、妹のように守ってきた。二人は確かな絆で結ばれていた。それでも、先輩は許せなかったのだ。小春さんが自分を差し置いて認められたことが。彼女が自分より優れているという事実が。むしろ姉妹のように近しい存在だったからこそ余計に受け入れられなかったのかも知れない。その存在が大きかったからこそ、余計に。 「よお藤宮。今日は一人か。暇してんな」  突然がらりと扉が開き、気楽な調子でゆいちゃんが入ってきた。特別教室棟の分厚い扉は開閉の度に振動が三階まで伝わる。どうやらそれに気付かないほど考えに耽っていたらしい。  丸椅子に腰かけるゆいちゃんに俺は言った。 「先輩は来ないと思います。待ってはいるんですが」 「ふうん。で、お前は?」 「別に何も」 「……前から訊きたかったんだがお前どうして美術部に入ったんだ?」  俺がどうして美術部に入部したのか。改まって答えるほど大層な理由などないのだが、少々ナーバスになっていたらしい。教室の薄暗さが心地良かったせいかも知れない。自然に口が滑った。 「……部活紹介のとき、美術部って何もしませんでしたよね」  ゆいちゃんが、ああと頷いた。 「柊が断ったからな。そのせいか知らんが今年はお前以外の入部者はゼロだ。部自体が存在していないと思われてるのかも知れん」 「でも、部活動の一覧表には名前があったから気にはなっていたんです。それで廊下の窓から一度中を覗いてみたことがあって……。ちょうど今みたいに薄暗い時間帯でした。冬子先輩が独り絵を描いていたんです。誰もいない教室で、独り、黙々と」  そのときの先輩の姿は、まるで絵を描くためだけに存在する一個の道具のように見えた。余分な一切が削ぎ落とされて、純粋だった。 「聞けば今年新入部員がいなかったら美術部自体がなくなるって話じゃないすか。それを知って、すげえなって思ったんです。もうなくなるかも知れない部活でどうしてあんなふうにできるんだろうって。こんな人がいるのにもったいないなって」  ゆいちゃんが目を丸くした。 「それで、部を潰さないために入部を?」 「格好良く見えたんスよね、先輩のこと」  だから、力になりたいと思った。何一つ持たない俺が籍を置くだけでこの人の助けになれるのなら、それはどれだけ意義深いことだろうと。価値のない俺に、価値が見出せるような気がした。 「憧れたんだな、柊に」 「さあ、どうなんですかね」 「だったらなおさらだ」  なおさら? 「どうして自分で絵を始めようとしない? 柊みたいになりたいとは思わないのか?」  俺は窓を見やった。空があった。遮るものは何もなかった。自分の手を見て、足を見た。目を伏せた。 「思わないわけじゃありません。でも無理です」 「なぜ」 「俺に才能なんてないですから」 「はあ?」  ゆいちゃんが素っ頓狂な声を上げる。織り込み済みの反応だった。俺は余裕で笑ってみせる。 「先生、俺、もう十五ですよ? 歩き始めたばかりの子どもみたいに親から何かを期待される齢じゃない。勉強は中の下。運動はからっきし。美的感覚も十把一絡げ。まとめていくらの能力しかないことぐらい自分でも分かりますよ。運がいいから成功したなんてコメントは才能があるやつだから言えることです。何も持たない人間は端から発言を求められません。だから、絵を始めようだなんて、そんな無理をする気はそもそも起きないんです」  こんなことを話すと大抵の大人は呆れ果てる。そうすることが義務であるかのように、頭ごなしに否定をする。若いのに何を言っているんだ。冷めたことを言うな。一所懸命夢を追え。  でも、いくら理想を掲げたところで覆らない現実があることに彼らもとっくに気付いている。気付いていながら目を逸らす。模範解答に避難する。自分にどの程度の能力が備わっているのか。何ができて何ができないのか。限界がどこで、どこまで通用するのか。高校生にもなれば、そんなことは全部分かってしまうのだ。  見上げるだけだ。見上げて下から喜ぶだけ。1%を持つ人間の成功を、どこまでも他人事だと知っていながら。  どうして冬子先輩が俺に絵画を薦めなかったのか、今では痛いほど理解できる。結局、生まれ持った能力がなければ拓けない道だと先輩は気付いてしまったのだ。まさに途轍もない才能の開花を目の当たりにして。だから俺に同じ轍を踏ませたくないと思った。先の途切れた、疲れて果てるだけのわだちを。 「なるほどな」  ゆいちゃんが相槌を打った。その声が、呆れるでもなく、怒るでもなく、存外に優しげに聞こえたので、つい顔を上げた。 「藤宮、お前の勘違いを一つ正してやる」 「勘違い?」 「お前、才能は自身に備わった能力だと思っているだろ?」  それ以外に何があると言うのだ。 「違う。才能は結果だ。何かを成して結果を残した者だけが才能があると認められるんだ。だから、何も結果を残していないやつが自分に才能がないなんて言えるはずがない。矛盾だ。論理として破綻してる」  吹き出しそうになった。何を言い出すかと思えば。 「屁理屈ですよ。現実として個人の資質は平等じゃないでしょう。スポーツなら体格や筋量によっても行使できる能力は違ってくる。そこには絶対的な個人差があるはずだ」 「なら訊くが、仮に百メートルを9秒台で走れる能力を備えた男がいたとしてだな。そいつが短距離走に興味を示さず平凡な会社人として一生を終えたとしたら……そいつには陸上選手としての才能があったと言えるのかな?」 「……ありますよ、才能は」 「なぜわかる? 結果も出していないのに」  口ごもってしまった。納得したわけではない。すぐに反論が思い浮かばなかったのだ。ゆいちゃんが「な?」といたずらっぽい顔を見せた。 「行使されない能力はないと同じだろ? お前はまさにそういう選択をしようとしているんだ。それにな藤宮。才能才能と言うがお前は一体どこまでの結果を想定しているんだ? 地方の公募展で入賞する程度か? 職業として食っていけるぐらいか? それとも歴史に名を残さなきゃ気が済まないか?」  分からない。考えたこともない。 「趣味の範囲で楽しむという選択だってあるし、自分が納得できるものを追求したいのなら他人との比較なんて端から無意味だ。そもそも結果を残せなかったからってそれが何なんだよ。目標を定めるからには全力を尽くすのは当然だが、成功すれば幸せになれるとは限らない。逆もまた然りだ。結果なんて長い人生の中では一つの点に過ぎない。そこを過ぎてもお前の生活は続いていく。結果が全てと人は言うが、私はそれを求める過程で培われたものが無意味になるとは全く思わない。私も若い頃は芸術家になりたかった。環境がそれを許さず果たせなかったが、そのとき得た知識と技術のおかげで教師としてお前と話をしていられる」  ゆいちゃんがすくと立ち上がった。俺が座っているせいだろうか。小さなゆいちゃんがいつもより大きく見えた。 「お前に必要なのはたった二つだ」  ゆいちゃんは腕を組み力強く言い放った。 「始めること。そして続けること!」  校舎の外に響くほど高らかな声だった。 「人生を豊かにしてくれるのは才能じゃない。学び、出会い、成長し続けることだ。そのためにまずは一歩目を踏み出さなければならない」 「始めること。続けること……」  シンプルだった。そんなことでいいのかと思えるほどに。単純で、分かりやすかった。  ゆいちゃんが俺の頭にぽんと手を乗せた。 「お前まだ十と五つの坊やじゃねえか。才能だの結果だのとくだらねえことに惑わされんな。そんなもんはな、始めたあとから蹴散らしていきゃいいもんなんだよ」  そして、先生はにかりと笑った。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません