造花のうた
第一話 小さな春(4)

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 一週間前、十九日の土曜日です。夕方、花に水やりをしていたときでした。前の道を歩いていた二人の男性が……お二人とも高齢の方でしたが、その方たちが外の階段に置いてある花を指差してこう仰ったんです。 『お嬢さん、申し訳ないが、そこにある花を我々に譲って貰えませんか』  お二人は普段からこの山を散歩されている方たちで、私もよくお見かけすることがありました。この庭からも少し見ることができますが、ここから200メートルほど上がったところに休憩所があって、そこでよく四、五人のご友人たちと一緒に世間話をされています。とても見晴らしの良い場所です。きれいな桜の木もありますから、四月の初めには皆さんで集まってお花見もされていたようです。ときどき外国の方と一緒にいらっしゃることもありました。ええ、同じ年頃の、白人の男性です。日本にお住みになって長いのでしょうね。他の方たちと変わらない様子で談笑されていたのを覚えています。  私もすれ違えば会釈程度はします。でも話しかけられたことは一度もなかったので少し驚きました。  御存知かも知れませんがここに描かれている花はサクラソウと言って花弁が桜の花に似ていることからそう名付けられています。野生のものは大変希少で自生地が特別天然記念物に指定されている地域もありますが園芸品として流通しているものは簡単に手に入れることができます。この二ホンサクラソウも町のホームセンターで買ったもので特別珍しいわけではありません。  最初は株分けをして欲しいという意味だと思いました。でもお話を聞いてみると花があれば構わないから切って輪ゴムで縛って欲しいと仰るんです。サクラソウはたくさん咲いていましたから、うち十ほどを束にしてお渡ししました。お代を払うとも仰ってくださいましたが、それはお断りしました。別に売り物にしているわけではありませんからね。その後、お二人はお渡しした花束を手に恐縮した様子で坂道を上がって行かれました。  それから一時間ほどたってのことです。私が庭に出ていたとき、前の坂道を引き返していくお二人の姿が見えたんです。お二人は私が見ていることに気付き『娘さんどうもありがとう』とお礼を仰ってくださいました。私も会釈で返しましたが、その様子に少し違和感を覚えました。お二人は一時間前にお渡ししたはずのサクラソウの花束を手に持っていなかったんです。 「二人とも手ぶらだったんですか?」 「いえ、正確には行きも帰りもお一人がスーパーのレジ袋のようなものを持っていました。あれは飲み物だったのかしら? 何か一升瓶のようなものです」  飲み物。老人二人。行きに持っていた花束が帰りには持っていなかった。連想されることはそう多くはない。 「それは墓参りをしてたんじゃないですか。一升瓶は酒か何かで、花は供花。二人は知人とか身内のお墓に酒と花を添えて帰った」 「はじめは私もそう思いました。きっとお墓に添える花を忘れてたんじゃないかって。でも、この話には続きがあるんです」    私はお二人の姿が見えなくなったあとも花束のことが気になっていました。本当にお墓参りだったのだろうか。そもそもこの先の道にお墓なんてあっただろうかと。お墓参りにすると荷物が少なすぎるような気もしたんです。水とか、ほうきとか、持ち物はいくらでもあるはずでしょう? なのにお二人が持っていたのは何かの飲み物が入ったレジ袋だけ。それにお墓に添える花は白としたものですが、この絵に描かれたサクラソウは桃色だったんです。  他にも、この先にある誰かの家に立ち寄って花を渡したのだろうかとか色々考えました。でも結論を言うとそうではありませんでした。  翌日は日曜で、朝、私は先ほど話した休憩所へ行っていました。実は今仕上げている絵がそこの風景を描いたものなんです。その日も今日のように晴々としたお天気だったことをよく覚えています。とても気分が良くて……、さあ頑張ろうかと組み立てたイーゼルの前に座ったそのとき、敷地を囲う柵の傍に何かが落ちていることに気が付きました。花束でした。そうです。お二人はお渡ししたサクラソウの花束を休憩所に置いていってしまっていたんです。 「恐らくお二人は花を受け取ったあと、その休憩所にいたのでしょう。普段もご友人の方とよく集まってらっしゃいますから。そこで一時間ほどお話をして、帰り際に……」  わざわざ譲り受けた花を捨てていった? 「……いえ、何か意味があって置いていかれたのでしょう。はじめお二人はお代を払うとまで仰っていたわけですから」  金を払ってまで欲しがったものを直後に捨てるやつはいない。ならば置き忘れていったのではないかとも考えたが、帰り際、二人は小春さんと挨拶を交わしている。持ち帰るべきものならこの時点で気が付くはずだ。  二人は何かに使用するために花を欲した。一時間の間に目的の用途に花を使い、不要になったので休憩所に置いていった。あるいは休憩所に置くこと自体が目的だったかだ。 「その休憩所、最近、事件でも起きたんじゃないですか? 自殺とか?」 「いえ、あの場所で人が亡くなったなんて聞いたこともありません」 「小春さんが生まれる前のことかも知れません。大昔に人が死んでて、桜の木の下に死体が埋められているとか」 「藤宮さん」  小春さんは少しだけ声を低めた。子どもをいさめるように。 「その方たちはご友人たちと一緒によくそこで談笑されています。仮にご家族やご友人が亡くなられていたとしたら、そんな場所で楽しくお喋りをすることなんてできないはずです」 「まあ、埋まってるってのは冗談ですが」  でも、供花や置き忘れでなければ一体何なのだろう。生け花の青空教室を開いていたとか?   花の実物を用いて何らかの議論や講義を行っていたという可能性もなくはない。だが、ここで考えを巡らせていても分かりっこないだろう。  隣に腰かける小春さんを横目に見た。彼女は端正なその顔で遠くを眺めている。見つめる先には晴れた空。陽の光が雲で隠れようとしていた。  俺はぽんと膝を打った。 「何かあるか見に行っても構いませんか? できれば小春さんも一緒に」  小春さんはきょとんとする。 「俺の用事は済みましたし。まあ、小春さんが面倒でなければですが」 「私は別に構いません。でも、藤宮さんこそお時間は大丈夫なんですか?」  肩をすくめた。 「俺ほど時間を持て余してる人間なんて他にいませんよ」

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