造花のうた
第二話 風の花、嵐の山(5)

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「些細なことでも構わない。何か情報があれば連絡してくれ」 「面倒かけてごめんねえ藤宮くん」  そう言い残して嵐山さんと風花さんは街の景色に溶け込んでいった。  翌日は祝日だったので、本格的に落とし主を探し始めたのは三十日の水曜日、つまり今朝になってからだった。知り合いに当たってみるとは言ってみたものの、心当たりがあるわけでもない。そもそも俺は交友関係が狭いのだ。女子の持ち物だから女子に訊けばいいかと名前も覚えていない何人かのクラスメイトに尋ねてみたが、大抵は目を丸くして口をパクパクさせるだけだった。俺が喋るのがそんなに珍しいか。 「藤宮くん、いっつもむすっとしてるからねえ。遅刻も多いし、女子にはちょっと怖い人に思われてるんじゃないかな」  前の席の日野が背もたれに肘をかけ、あははと笑った。俺は頬杖を突いたまま窓のほうに目をやった。校庭の景色に間の抜けた顔が透けて見えた。 「怖いものかよ。人畜無害とは俺のことだ。風評被害も甚だしいぞ」 「だったらもうちょっと愛想良くしなよ」 「お前は黙ってても愛嬌があるからな」 「チビの童顔は舐められるんだよ」  日野は、別にいいんだけどと肩をすくめ、ところでと会話の流れを修正した。 「話を聞くとそのストラップは二年か三年の持ち物なんだろ? 一年の女子に訊いたって分からないんじゃないかい?」  そんなことは俺も承知していた。だからと言って上級生に知人がいないのだから仕方がないのだ。 「美術部は? 二年の先輩がいるって言ってたじゃないか」 「放課後にでも訊いてみるつもりだよ。でも、多分知らないだろうな。あの人、友達少なさそうだし」  それに、また適当なことを言われて無駄足を踏まされるのもたまらない。 「日野は誰か心当たりがないか?」  日野は、そうだねえと天井を見上げた。 「剣道部の先輩が言ってたんだけどね」 「なんだお前。結局剣道部に入ったのか」  まあねと日野は頬を掻いた。日野は中学でも剣道部に所属していたが、高校で続けるかどうかは悩んでいると話していた。 「西高は結構レベルが高いからさ。中学でも補欠だった僕が入っても、って思ってたんだけど……。朝ね、稽古に通ってた時間になると勝手に身体が起きちゃうんだよ。もう朝練行かなくてもいいんだってまた布団に入っても寝られやしない。帰ったって家で夕方のテレビを観ている自分が不思議で堪らないんだ。それで、なんか落ち着かなくなってね」 「……ふうん。難儀なもんだな」 「難儀なもんなんだよ」  そう言う日野の頬は水を吸ったみたいに緩んでいた。 「それで? 剣道部がなんだって」 「ああ、そうそう。先輩が言ってたんだけど、二年の先輩に色々と噂に詳しい人がいるらしいんだよ」 「女子か?」 「女子とは言ってなかったかな。でも多分そうだよ」  中学でも人の噂話ばかりしている女子がいた。高校でも同じようなやつはいるらしい。もっとも女子という生き物は大抵どの年代でもそういう性質を持っているとしたものだろうが。 「僕の母親なんか最たるものだよ。ただ、その人は噂を集めるだけじゃなくて、話の売り買い、つまり情報屋紛いのこともしてるらしくてね」 「そこらの噂好きより突っ込んだ情報を持っているかも知れないってことか」  噂話を売り買いする情報屋の女子高生の噂。字面からして既に爆発的な胡散臭さだ。日野は違いないねと苦笑した。 「でも実在はしてるんだよ。先輩に頼んで連絡つけてあげようか?」 「頼めるか」  日野は了解と言って携帯を取り出した。 「しかし、見ず知らずの他人のために藤宮くんも親切なもんだねえ。そういう優しさを見せてあげれば怖い人じゃないって女子にも分かって貰えるんだろうけど」  そういう人間じゃないから分かって貰えないんだ。心のつぶやきは日野には届いていないようだった。  そうして紹介して貰ったのが二年C組の女子生徒、神坂美星だった。  神坂はカレーを口に掻き込みながら嵐山さんから預かった写真をじいっと覗き込んでいる。神坂の反応からは何をどこまで知っているのかよく分からない。ただよく食べる人だなあと感心した。  一方で神坂の友人であるという中山。彼女は何か知っているのだろうか? 神坂と同じように平然と箸を運びつつも、視線を写真から離そうとしない。ただ、明確な反応を見せてくれるわけでもないので、やはりその態度をどう捉えてよいのか判断付きかねた。  ふと彼女たちのどちらかが根付の持ち主なのではないかという考えが浮かんだが、すぐさま打ち消した。二人が自分のものだと名乗り出ない時点でそうではないのだろう。 「何か分かりますか?」  神坂は質問に答えず黙々とスプーンを動かしていたが、やがて一皿綺麗に平らげると、ごちそうさまと静かに手を合わせ、そして、 「偶然って怖いわね」  ぼそりと言葉を皿の中に落とした。  意図を測りかねる俺を差し置き、神坂はさてと本題に踏み込んだ。 「藤宮くんだっけ? 私が知ってることを教えてあげてもいいんだけど」  神坂は俺の背後に向けてわざとらしく首を伸ばした。 「私、炒飯食べたくなってきちゃったな」 「は?」  一瞬、聞き間違いかと思った。  神坂はただ願望を口にしているのではない。もちろん暗に奢れと言っているのだ。神坂美星は情報屋紛いのことをしている。日野の話は本当らしい。  だが、別に見返りを要求されたことに驚いたわけではない。俺が驚いたのは、つまり、 「まだ食べるんですか!?」  カツカレーを一皿食い尽したあとで炒飯を追加注文しようとする神坂の胃袋だ。  神坂は不機嫌そうに睨んできた。 「なによ? 悪い」 「いや、腹に悪いでしょ」 「悪くないから食べるのよ」  本気なのだろうか。両メニューとも体育会系の男子が食べても満足できる量がある。それを神坂のような小さな女子が二品も。  隣の中山も頬に手を当て不思議そうに呟いた。 「美星ちゃん、そんなに食べるのにどうして大きくなれないのかしらねえ」 「チビで悪かったわね。私からすりゃあんたの無駄な発育のほうが余程不可思議だわ」  中山はシャツの胸元を押さえて、まあと赤面した。神坂がふんと鼻を鳴らした。 「で、どうなの藤宮クン。私の口は開きそうなのかしら?」  神坂は直接的な言い回しはしない。俺は後方にある食券販売機を肩越しにちらと見た。炒飯の値段は三百八十円。貧乏学生にはちと苦しいが払えない値段ではない。ないが、 「……俺が炒飯を買ってきてこの席に置くくらいのことは構いませんがね。でも、先輩が俺の欲しい情報を持っているとは限らないでしょ?」 「なに? 一丁前にネタを確かめてからってわけ?」 「当然のことかと思いますが」  金銭を要求されたうえに何にも知りませんではたまったものではない。たとえそれがワンコインに満たない炒飯でもだ。  神坂はそれもそうねと、制服のポケットからスマホを取り出し、伸ばした指でディスプレイを跳ねた。デコレーションされた派手なスマホだった。 「嵐山康介と風花奈々」  二人の名前を唐突に出され俺はぎょっとした。 「でしょ? 藤宮くんに話を持ちかけてきた二人組って」 「知ってたんですか」 「奇特な人たちよね。誰かを探してるとは聞いてたけれど、まさかこんなストラップの落とし主だったなんて」  俺は根付の落とし主を探しているとしか言っていない。仲介を頼んだ日野にも校外の人間に頼まれたとしか説明していなかった。神坂に期待したのも純粋に落とし主の情報だった。まさか背景まで掴まれているとは。 「ま、その人たちがこそこそ動き出したのももう二週間以上も前のことだし? 素性くらいはさすがにね。何なら二人が所属してるサークルと行きつけの飲み屋さんくらいは教えてあげられるけど?」 「いえ、十分です。先輩がこの件に詳しいことはよく分かりました」  神坂の情報は確かなようだ。そして、何も難事件を捜査しているわけでもない。有力な手がかりなどというものがあるとすれば、それはもう落とし主に直結するもの以外にないはずだ。 「でも、気乗りはしない。そうよね、美星ちゃん?」  中山が神坂に水を向けた。神坂は腕を組んでぶすりとした。 「? なぜです」  落し物がある。所有者を知っている。だったら取るべき行動は一つしかないではないか。 「君の言いたいことはわかるわよ」  神坂がうるさげに片手を振った。 「正直言うとね。この件には関わりたくないの。本当は君にだって話したくないんだから」 「それは、嵐山さんにですか? それとも持ち主のほう?」  持ち主のほうだと神坂は答えた。根付の持ち主と関わりたくないから話さなかったのだと、話題にするのも御免だと言わんばかりの口調で。 「下手に首を突っ込んで巻き込まれちゃたまんないからね。訊かれたからには教えるけど、教えるまでよ。仲介の類は一切しないからそのつもりで」 「そんなに、ヤバい人なんですか?」  嵐山さんの話からは、雰囲気のある女生徒だという彼の感想以外に特別な印象は受けなかった。根付の趣味も可愛らしいものだ。しかし、ここまで露骨に嫌悪感を示されると段々と不安になってくる。危ない人間なのだろうか。 「さあ……どうなのかしらね」  中山は意味ありげに苦笑をした。神坂はテーブルに肘を突いてそっぽを向くと、兎のような舌をべえと突き出した。余程その人物のことが嫌いらしい。 「けど、藤宮くんがその娘に会うのはちょっと面倒かも知れないよ? その娘、もうこの学校にはいないから」 「卒業生なんですか?」  中山は首を左右に振った。 「同級生。でも転校したの。去年の十二月に」  同級。転校。去年の冬。  同じようなやり取りをほんの数日前にした気がする。具体的には特別教室棟の美術準備室の中で。 「女子高よ。そいつ今は梅女に通ってんの」  神坂が中山の言葉を引き継いだ。  去年の冬に梅女に転校した女生徒。それって、つまり、 「小春のどかって女よ。そのストラップの持ち主」  教えたんだから奢りなさいよ。  神坂はぶっきらぼうに言い放ったが、その声はどこか遠く聞こえた。空の食器を重ねる音が食堂の中で響いていた。昼休みはもう半ばを過ぎようとしていた。  小春さんは根付の写真を見るなり、少し待っていてくださいと暗い居間へと姿を消した。きしきしと床を踏み締める音が縁側に座る俺の耳から遠ざかる。軋む音は水平の位置から斜め上に移動し、今度は天井の向こうから落ちてきた。ことりと何かを開閉する音が階下まで響くと、やがてまた同じルートを辿って床の軋みが下のほうへと降りてくる。振り返ると居間の柱に手を添えて立つ小春さんの姿があった。小春さんは今日も着物を着ていた。派手さはないが明るい色の柄で、まだ電気を灯していない部屋の中で小春さんの周囲だけが陽に照らされているように見えた。彼女の片手には和風の小箱が収められている。  小春さんは俺の側で膝を着いて、その中身を示した。 「これは……」  小箱の中で転がっていたのは写真と同じ赤いとんぼ玉だった。色合いも、形も、桜模様も全く同じ。一つだけ写真と違うのは玉から数センチ上の部分で根付紐が短く千切れていることだった。それはつまり、小春さんの持つ玉が写真の根付の二股の先、失われた片割れであるという事実を意味していた。  小春さんはすっと目を細めると、動揺する俺の心中を見透かすように言い添えた。 「私のものではありません」

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