造花のうた
第二話 風の花、嵐の山(6)

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 根付の所有者は小春さんである。  三百八十円と引き換えに情報を得た俺は部活を休んで小春邸に足を運んだ。前回の訪問から四日たっている。あの坂道で再び両脚を虐めなければならないことには躊躇を覚えなくもなかったが、小春さんに会う口実ができたことは素直に嬉しかったし、二度目ともなると最初のときほど辛いとも思わなかった。  小春邸に辿り着いたときには彼女も既に帰宅しており以前と同じく和装に着替えていた。小春さんは俺の再訪に驚きこそすれ邪見にはせず、にっこりと笑って「先日はありがとうございました」と砂糖たっぷりのコーヒーを注いでくれた。  俺は小春さんに用件を伝えた。嵐山という大学生に出会ったこと。根付の持ち主を探すように頼まれたこと。神坂という先輩に相談したこと。小春さんが持ち主だと教わったこと。そして、写真を見た小春さんが持ち出してきたのが根元の切れたとんぼ玉だった。  根付が小春さんのものではないということ自体はある程度予想できていた。なぜなら嵐山さんが話していた女生徒の特徴と小春さんの容姿が一致しないからだ。  根付を落としたという女生徒の特徴は次の4つ。二年以上の学年で、背は高くなく、髪が短くて、眼鏡はかけていない。あとの情報は印象と推測が混ざっているのでひとまず考慮に入れるべきではないだろう。  小春さんの場合、二年以上の学年で眼鏡はかけていないという点は話のとおり。背も人並み程度なので合致していると言っても差し支えない。だが「髪が短かった」という証言がどう考えても該当しない。仮に小春さんが半年前から髪を伸ばし始めたのだとしても、その時点で既に短いと形容できるような状態ではなかったはずだ。見間違うとはとても思えなかった。  以上のような前提を持っていたがゆえに根付の現物を見せられた際には少々混乱してしまったのだが、落ち着きを取り戻すと動揺は疑問に切り替わった。持ち主でないのならなぜ小春さんが根付の片割れを持っているのか? 「これは預かりもの……と言うより私が成り行きで持ったままになっているもので、本当の持ち主は柊冬子という西高の女生徒です」 「え、冬子先輩!?」  今度こそ肺腑の底から驚いた。 「やはり、ご存じなんですね。冬子のこと」 「ご存じも何も……今の美術部の部長が冬子先輩です。小春さんのことを話してくれたのだって先輩なんですよ」  でも、まさかこの件で先輩の名前が出てくるとは思わなかった。確かに冬子先輩であれば嵐山さんが並べた四つの特徴にも当てはまる。冷淡な先輩にしては趣味が可愛すぎる気もするが、現物を手元で保管している小春さんが言うのであれば間違いはないだろう。  灯台下暗しとはまさにこのこと。神坂などに相談せず初めから冬子先輩に訊いていれば早かったのだ。 「ですが……」  と、小春さんは言葉を溜めた。言葉を選んでいるようにも見えた。ややあって口を開いた。 「……藤宮さんが御相談なされたのは、神坂美星さんと、ご友人の中山さんですよね? 眼鏡をかけて、肩のあたりまで髪を伸ばした」 「ええ、全くタイプが正反対って感じの」 「お二人が私を根付の持ち主だと間違うのも当然のことなんです。そう誤解させたのは私ですから」 「神坂先輩たちとはどういう関係なんです? 小春さんのことも知っているようでしたけど、結構、その」 「毛嫌いしている?」  本人の前で簡単には頷けなかったが、話題を切り出した以上は仕方がない。力なく首肯した。小春さんは「いいんです」とかぶりを振った。 「元々は神坂さんも西高の美術部員でした」 「え?」  神坂が、元美術部員? 「お話に出てきた中山さんも。去年は冬子とも一緒だったんですよ。と言っても熱心に活動していたのは中山さんだけで神坂さんはいたりいなかったりというふうでしたが」  偶然って怖いわね。  あの言葉の意味がようやく理解できた気がする。もしかしたら神坂は俺が美術部に籍を置いていることも知っていたのかも知れない。だとしたらなおさら奇縁に感じていたに違いない。 「でも、先輩たちは今はもう美術部に籍を置いていない。それは、神坂先輩があなたを嫌っていることにも関係があるんですか?」 「……ごめんなさい」  小春さんはしゅんとして謝った。彼女のその反応が明確な答えを示していた。  彼女は俯いたまま難しそうに口を結んでいたが、やがて意を決したように俺の目を真っ直ぐ見据えた。澄み渡る湖面のような瞳。真剣味を帯びたその輝きに俺は息を呑んだ。 「先ほど言ったとおり、この根付は私のものではありません。ですが……、藤宮さん。無理を承知でお願いします。どうかこの根付は私が落としたということにしていただけないでしょうか」  頭を下げられ、言葉を探した。 「あの、どういうことですか?」 「ごめんなさい。詳しいことはお話しできません。言えることはその根付が冬子のものであること。けれど、西高の美術部員の間では私のものだと思われているということです。私は彼女たちの認識をそのままにしておきたい」 「それは、美術部から部員がいなくなった件とも関係があるんですか」 「ごめんなさい。言えません。ですが……、お願いします」  小春さんは下を向いたまま繰り返した。頬を流れる黒髪は絹糸のように光っている。その先端に触れたくなる衝動を、俺は、必死に抑えた。  よくよく考えれば美術部のようなメジャーな文化部に部員が一人しかいないというのもおかしな話だ。こうなれば高一のガキにだってさすがに分かる。何か、人間関係でトラブルがあったのだろう。  ここでその事情を聞き出すことは難しくない。頼みを聞き入れる換わりに何が起こったのか話して貰えばいい。でも、思い詰めた小春さんを見て、そんなふざけたことを切り出すやつがいたら俺はそいつを殴り倒しているだろう。  彼女が不安を取り払えるよう精一杯声を和らげた。 「分かりました。なら、この根付はあなたのものです」  小春さんは顔をぱっと上げ、ありがとうございますと口元を綻ばせた。俺は無性に気恥ずかしくなって庭のほうへと視線を逃した。鉢から伸びている知らない花がとても鮮やかに咲いていた。赤い花弁に目を向けたまま尋ねた。 「でも、現物はどうします?」 「できることなら冬子の元に」 「嵐山さんは落とした本人に直接手渡したいと言っています。嵐山さんと冬子先輩を引き合わせることになってしまいますが、それはまずくありませんか?」  嵐山さんは冬子先輩の顔を知っている。ゆえに先輩本人が返却の場に出て来なければ話が進まない。問題は、根付が冬子先輩の元へ返されたという情報が神坂に伝わってしまう恐れがあることだ。恐らく神坂は霧代大に知人がいる。仮に『持ち主は西高二年の柊という生徒だった』という話が漏れれば、その情報は高い確率で神坂の耳にも届くだろう。 「それについては……そうですね。私が教室に忘れていたものを冬子が気付いて持っていてくれていたということにでもしておきましょう」 「それを俺が受け取って小春さんに返す。そういうことにするんですね」 「訊かれなければ仰る必要はありません。ですが事情を抜きに話を進めるのは難しいと思います。そのうえで私の素性に関してはプライバシーなので伏せて欲しいと一言添えていただきたいのです」  プライバシー。隠すまでもない情報でもその一言で守られるべき権利になる。便利な言葉だ。 「もっとも嵐山さんに関してはさほど心配する必要もないと思っています。藤宮さんも気付いておられるのでは?」  なんだ、と思った。考えることは小春さんも同じかと。俺自身、確証がなかったから一応は小春さんの意見を確かめてからと考えていたが、同じことを思い付いているのなら話は早い。つまり、 「嵐山さんの目的は落し物を冬子に返すことじゃありません。冬子に会うことです」  俺は後頭部を掻いた。 「やっぱり、そう考えますよね」  普通落し物なんてものは管轄の組織に届け出ればそれで終わりだ。本人に会って直接渡す必要なんてどこにもないし、そのために他人を雇うなんてなおさら不自然だ。あまつさえ嵐山さんは落とし主を見つければ礼をするとまで言ってきた。落とし主が礼をするのなら理解できるが、拾い主では完全に話が逆だろう。 「嵐山さんの目的は冬子に会うこと。ならば根付の持ち主が誰であるかはさほど重要には思っていらっしゃらないはずです。冬子に会うことができさえすれば細部まで突き詰めるようなことはなされないでしょう」  ならば冬子先輩に同席して貰うことに何の問題もないということだ。 「ええ、信用の担保になりますし、嵐山さんの目的も果たされますから。話せば冬子も協力してくれるはずです」  なるほど、と顎を撫でる。  冬子先輩も根付は小春さんのものでなければならないという認識は共有しているのか。協力を取り付けられるということは関係も悪くなっていないということになる。神坂や中山とは異なる立ち位置。何がどうなっているのかすっきりとしないが、問い詰めるのはご法度だ。  俺が「頼んでみます」と答えると、小春さんは「お願いします」と応じた。しかし、あとに続く言葉はなく、陽の傾き始めた山に沈黙が落ちた。見計らったように山鳥がピイと鳴いた。 「小春さん?」 「ごめんなさい。こんなことに付き合わせてしまって。藤宮さんには何の関係もないのに。……嘘まで」  小春さんのほっそりとした肩がさらにか細く見えた。膝の上で握られた手は珠のように白く脈を映し出していた。  彼女の言葉を自分の中でどう消化すべきだろう。少しだけ我が身を省みたあと込み上げてきたものは可笑しさだった。その可笑しさに従い俺はわらった。 「ありがとうございます。でも別にいいじゃないですか。減るものなんて何もないんですから」 「藤宮さん」 「そんなことより」  ずっと気にかかっていることがあった。先ほどから置き去りにされている一つの話題。俺にはそちらのほうがずっと興味深かった。 「小春さんは分かっているんですか? 嵐山さんがどうして冬子先輩に会おうとしているのか」

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません