造花のうた
第二話 風の花、嵐の山(4)

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「怖がらせてすまなかったね。まずはこれでも飲んで落ち着いてくれ」 「はあ……、どうも」  男が差し出してきた缶コーヒーを受け取った。缶の装飾は夜空と同じで真っ黒だった。 (ブラックは飲めないんだけどなあ……)  二人に連れられてやって来たのはゲーセンから程近い霧代中央公園だった。俺と茶髪がベンチに座り、ばななと呼ばれた女は離れた位置で植木を眺めていた。どうやら枝に止まるバッタが気になっていたらしい。男も同じ缶コーヒーを持っていて、俺より先に口を付けていた。諦めて缶の蓋に指をかけた。  時刻は午後七時に差し掛かろうとしていた。霧代中央公園はその名のとおり市内のど真ん中に位置する大きな公園で、夜になってもたむろする人影が目立つ。近道として広場を抜けていく背広姿も多く、近くには交番もある。万が一トラブルが起きたとしても助けを求めることは可能だろう。そう思うと少しだけ気持ちが軽くなった。とは言え、 「あれ!? でも、こんな遅くまで高校生を連れ回すのって公序良俗的にまずいかな、ばなな!?」 「おまわりさんに見つかったらかどわかしの罪に問われるかも知れないっスねえ。ラシヤマ先輩、網走に行っても手紙書きますから」 「是非面会に来てくれ、ばなな!」  二人のやり取りを見る限り助けを求める必要はなさそうだった。自然と苦笑していた。 「俺は別に構わないですよ。うちの親、門限はかなり緩いほうなんで」 「そうか、可哀想に。親の愛情に飢えた十代を過ごしているのだな」  実際はただの放任主義なのだが、口元を押さえて同情してくれる男を見ると否定するのも悪い気がした。 「ええと、それで、俺に話ってなんなんですか?」  男は「おおそうだ」と缶をベンチに置いた。 「一つ確認したいんだが君は」 「藤宮です」 「藤宮くん、君は霧代西高の男子生徒で間違いないか?」 「ええ、今年入学したばかりです」  そして、間違っても女子生徒ではない。 「ならばよし。俺の名前は嵐山。こっちは後輩の風花かざばな。通称ばななだ。二人とも霧代大に在籍している」 「あたしが一年で、ラシヤマ先輩が二年ね」  霧代大学は市内にある国立大で、通学時に大学名を冠した駅を通り過ぎていく。  男……嵐山さんは値の張りそうな長財布から学生証を取り出しわざわざ俺に見せてくれた。名前は嵐山康介。確かに霧代大学経済学部所属と書かれていた。  だがその霧代大生が俺に、霧代高の生徒に一体何の用があると言うのか。話の行く先はまだ見えなかった。 「実は折り入って頼みたいことがあってね。……ばなな」  はーいと返事をした風花さんが肩掛けのバッグからクリアファイルらしきものを取り出した。大きさはA4程度。ぱらぱらとページをめくり、中から紙切れのようなものを二枚抜き取った。 「さすがラシヤマ先輩。カリッカリですね」  嵐山さんは「ガチピンだガチピン」と紙切れを受け取ると、大仰な仕草で俺に見せてきた。 「君にはこれの持ち主を探して貰いたい」  示された紙切れは写真だった。横向きの構図で映し出されていたのは赤い玉が一つ付いたストラップ……とんぼ玉の根付だった。二枚とも同じ被写体を撮影したものらしく、一枚には紐まで含めた根付の全体像が、もう一枚には玉の部分がアップで映し出されていた。光沢を放つ赤い玉の表面には桜模様の装飾が施され、上品と言うより可愛らしいという印象を抱いた。  根付は白いテーブルの上で撮影されており、商品カタログの切り抜きのように見えたが、よくよく細部を観察しているとどうやらそうではないらしいということに気が付いた。  根付紐はとんぼ玉の少し上の部分で二股に分かれていた。にも関わらずとんぼ玉が付いているのは片方の紐の先端のみで、つまり本来あるべきもう一つの玉が無くなっているのだ。こんな不完全な商品画像などあり得ない。つまり、 「これ、落し物ですか?」  嵐山さんの頷く気配がした。 「俺がそれを拾ったのは半年前、去年の十一月上旬のことだ。確か……祝日の翌日か、その次ぐらいだったかな? 正確な日付は覚えていないが、家に帰れば調べることはできると思う。時刻は夜の8時半過ぎだった。  その夜、俺はある目的のために霧代市内を散策していてね。南針野公園を回り、向居神社を巡り、並木通りを通って西高の外周を歩いていた。そして、ちょうど敷地の角に差し掛かろうとしたときだ。出会い頭に向こうからきた人にぶつかってしまったんだ」  嵐山さんは缶コーヒーを煽った。 「相手は二人の女子高生だった。俺は並んで歩いていた彼女たちを割るようにぶつかってしまったらしく転倒こそしなかったものの三人とも大きく体勢を崩した。景色を見ながら歩いていた俺も悪かったんだが、相手の二人も相当慌てていたようでね。謝罪もそこそこに俺が来たほうへと早足で去って行ってしまった。多分電車の時間に遅れそうになってたんだろうな。そして、二人が去ったあと、俺は、街灯の光が足元で何かに反射していることに気が付いたんだ」 「それが、この根付だった?」  嵐山さんが首肯した。 「振り返ったが二人の姿はもうそこにはなかった。俺は仕方なくそれを拾って家に持って帰ることにした。この写真は俺が自宅で撮影したものだ」  よく撮れているなと感心した。 「彼女たちが西高の生徒であることは間違いない。制服がそうだったからな。俺はそれをその子に返してあげたいと思っている」  それで同じ西高生の俺に声をかけてきたのか。得心しつつ缶コーヒーに口を付けた。ブラックだということを忘れていたので不意な苦みに舌が驚いた。 「さっき君に乱入したのは……悪いとは思ったが君を負かせば話が早くできると思ったからだ。もっとも結果は返り討ちだったし、君にも怖い思いをさせてしまったようだ。その点については本当にすまないと思っている」  嵐山さんはぺこりと詫びを入れてきた。年上の人に謝られ俺は恐縮してしまった。 「どうだろう藤宮くん。俺の頼み、引き受けては貰えないだろうか」  顔を上げた嵐山さんは真っ直ぐに俺の協力を求めた。軽薄な見た目に反し誠実さと実直さがうかがえる態度だった。だが、話の内容そのものに全く疑問を感じないわけではなかった。 「いくつか質問があります」 「聞こう」 「まず一つ、どうして学校に届け出ないんです? 学校に預けて置けば、落とし主が見つかるかどうかは別にしても嵐山さんとしては誠意を尽くしたと言えるんじゃないですか」 「もっともな疑問だが俺の答えは君の質問の中に既に含まれている。持ち主の元に届かないかも知れない。その一点がまさに俺が学校に届け出をしない理由だよ」 「確実に本人の元へ届ける必要がどこに?」 「教師の引き出しの中に放置されては路上に落とした状態と何ら変わりはない。半分は俺の責任でもあるし動くからには間違いなく本人に手渡したい。そんなに不思議なことかい?」 「……二つ目、なぜ俺に声をかけたんですか」 「君だけじゃないよ。先輩は他にも何人かの生徒に声をかけてる」  と答えたのはベンチから離れて腕組みをしていた風花さんだった。嵐山さんが「そのとおり」と認めた。 「だが、ちゃんと話を聞いてくれたのは君が初めてだ。今の高校生は随分と人見知りが増えたものだと嘆いていたが、まさかからまれていると思われていたとは……」 「今さら気づく察しの悪さが嘆かわしいですよ、先輩」  教えてあげない風花さんも風花さんだが。  気を取り直して話を進めた。 「三つ目、二人の特徴は? 背丈。髪の長さ。学年。分かるならなんでも構わないんですが」 「その質問は俺の頼みを引き受けてくれると受け取っていいのかな?」 「難度がどうかという話です。全く当てのない状態で安請け合いはできません」  嵐山さんは「しっかりしている」とくつくつと笑った。 「心配には及ばないよ。もし仮に藤宮くんが持ち主を見つけられずとも君を責めるなんてことはしない。もっと言えば六月いっぱい探して持ち主が見つけられなければ俺はこの件から手を引こうかと考えている」 「先輩、期限それで大丈夫ですか」  そう問いかけたのは風花さんだった。嵐山さんは「三か月もあれば余裕だろ」と応じた。この日は四月二十八日だったから実質的には二か月しか猶予はなかった。もっとも一週間、二週間と探して手がかりが得られなければ、それ以上は俺にできることなど何もないだろうとも思った。 「それを踏まえたうえで聞いて貰いたいが、本人を特定するための決定的な手がかりは顔を見たという俺の記憶以外何一つない。確実なのは去年の出来事だから二人は二年生以上の学年であること。あれほど遅くまで居残っていたことを鑑みるに何らかの部活動に所属していること。その程度だ」  つまり、もう西高を卒業している可能性もあるというわけだ。部活についてはどうだろう。帰宅部の生徒が午後8時過ぎまで教室に居残っている可能性は確かに低いかも知れない。  嵐山さんは顎に手を添え、記憶を引き出すように目線を宙に浮かせた。 「あとは……そうだな。背は二人とも高くはなかったかな? 確か、髪も短くて縛ったりはしていなかった。眼鏡なんかもかけていなかったように思う。それと……そうだね」  嵐山さんが空を仰いだ。つられて俺も同じ方向を見上げた。夜空には細く折れそうな三日月が寄る辺なく浮かんでいた。嵐山さんが独り言のように呟いた。 「一人は、とても、雰囲気のある女の子だったよ。あの月のように儚げで、まるで夢の中にいるような、そんな少女だった」  月のように、儚げな少女。 「先輩の比喩表現キモイでしょ? 藤宮くん」 「そうですね」 「同意しないでくれたまえよ藤宮くん!」  嵐山さんは全力で抗議の声を上げた。風花さんが腕を組みうーんと唸った。 「先輩のハニーとは全っ然正反対のタイプなんだけどなあ。どうしてこう恥ずかしげもなくキモイ台詞で褒められるんだろ。あんまりキモイと真莉姐さんに捨てられますよ?」 「真莉のことは関係ねえだろ! つか捨てられるとか言ってんじゃねえよ、ばなな! なんかすげー不安になるだろうが!」 「安心してください先輩。姐さんにアパート追い出されてもあたしが拾って立派な犬小屋に繋いであげますから!」 「ふざけんなてめえ!」  ぎゃあぎゃあと言い合う嵐山さんと風花さん。そんな彼らを帰宅途中のOLが「痴話喧嘩は部屋でやれ」と言わんばかりの迫力で睨んでいったが、二人とも気付かず、無関係な俺だけが居心地の悪い思いをした。  でも、会話の中身を聞く限り嵐山さんと風花さんは別に付き合っているわけでもなさそうだった。  嵐山さんがわざとらしく咳払いした。 「それで藤宮くん、返答はいかに?」  二人の素性は確かなものらしい。期限は2か月。持ち主を見つけられなくても責任を負う必要はない。手がかりは少なく気になる点は多々あるが条件自体は緩い。俺にとってのマイナスは特にないと思った。 「その写真はお借りしてもいいんですか?」 「必要なら後日データも送信しよう」 「ひとまずはこれで十分です」  嵐山さんは満足気ににこりと笑い、俺は彼から写真を受け取った。 「了解です。ご期待に添えるかは分かりませんが知り合いを当たってみましょう」 「ありがとう。成功すればささやかながら礼を約束しよう」  美術展で入賞を目指すよりもこうして気楽に使われているほうがきっと俺には似合っている。早足で広場を抜けていく人々の群れを眺めながらぼんやりとそう思うのだった。

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