造花のうた
第二話 風の花、嵐の山(3)

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「答えが出たら教えてくれ。期限は設けない。だが始めるのなら早いほうがいいぞ」  ゆいちゃんはそう言い残してバスケ部が待つ体育館へ移動していった。  俺は一体どうするべきか。冬子先輩に話を振ったが、反応は淡泊なものだった。 「私の知ったことか。自分で決めろ」  それは予想したとおりの答えだった。先輩ならきっとそう言って突き放すだろうと思っていた。そして、俺はこの人のそんなところにどうしようもなく安心を覚えるのだ。ただ、先輩は一つだけ予想しないことも言った。 「自分の意思に従うことが悔いのない選択だとは限らない。自分の意思で決めたからこそ、後悔に苛まれることだってある」  何が最善かなんて私にはわからない。  呟く横顔はただ静かにキャンバスを見つめていた。  その日の作業が終わったのか、先輩はそれから少しして白衣を脱いだ。無口に見えて無駄話が好きな人だが無駄話だけの時間を好む人ではない。製作に区切りが付くと一人でさっさと帰ってしまう。俺のほうとて居残る理由は一つもないので空のカバンを提げて先輩と一緒に薄暗い教室を後にした。  だだっ広い運動場ではサッカー部のシルエットがいつもと変わらず必死そうに走っていた。閑散とした空はそろそろ色を変えようとしていた。  校門を出て先輩と別れた俺は近くにあるゲーセンへと足を運び、対戦型ゲームの筐体に百円を入れた。中学の頃から霧代市内に来たときにはよく立ち寄っていた店で、西高に入学して以降、通う頻度が高くなった。  店内は相も変わらず同じ穴の狢が背を丸めて座っていた。画面の中のキャラクターを意のままに操る彼らの姿はとても楽しそうに映った。人工光に照らされた顔は大量生産品みたいに均一なのに、それでも彼らは楽しそうだった。百円の享楽に身を委ねていた。  俺はどうだろう。居心地が良いとは思わない。玩具箱を混ぜ繰り返したようなBGMも耳に触る。でも、画面の前で単調に手を動かしている間はクリアでいられた。結局俺も百円で充足を得られる人間の一人に過ぎないのだ。それで大丈夫なのだ。そう自分に言い聞かせながらレバーを回すことに神経を注いだ。  三戦ほどCPU戦をこなしたときのことだった。反対側の台に人の座る気配があり、間を置かずして対人戦の告知がゲーム画面に映し出された。乱入だ。拒否できる設定になっていないらしい。別に構いはしないのだが、一人の時間を邪魔され若干の煩わしさを覚えた。  俺の操作キャラクターは、性能に癖があってやや扱いにくい。でも備えている技に派手なものが多いので好んで使用していた。対する乱入者が選択したのはゲームの主役に相当するキャラで、初心者向けのその性能は俺の持ちキャラよりも遥かに単純で使いやすかった。俺のプレイを観察したうえで乱入してきたのだとすれば少々分が悪いかも知れない。  そう警戒して勝負に臨んだのだが結果は俺のストレート勝ちだった。相手も決して下手なわけではなく、操作は滑らかで素早かった。だが攻める動きにパターンがあり、リズムを乱してやるとあっさり崩れた。  その後も相手は同じキャラを使って再戦を挑んできたが勝敗は変わらなかった。ささやかな勝利の余韻に浸っていると向かいの台で相手の立ち上がる気配がし、筐体の影から二人の男女が現れた。男のほうがすれ違いざまに小さく、それでいて、はっきりとささやいた。 「話がある。それが終わったら顏貸してくれないか」 「は?」 「後ろで待ってるから」  相手の顔は見えなかった。見れなかった。背中につららを刺し込まれたかのような悪寒が走り、次いで、脇の下にじわりと汗がにじんだ。  リアルファイト。……ケンカだ。  昔はそういうトラブルも多かったと聞いたことはあるが実際に遭遇するのは初めてだった。声の調子から上級生どころか、もっと上の年齢だろう。そんな大人がゲームで負けたくらいで高校生相手にケンカを売ろうとしている。とても信じられなかった。  ボタンを押す指が震えた。炙られたように顔が火照り、口の中がカラカラに渇いた。背後にある休憩用の長椅子から、後頭部に刺さる確かな視線を感じていた。  CPU戦に勝ち続ければ、その分だけ暴力の瞬間を引き延ばすことができる。時間を稼いで突破口を見出さなければ。そのためにもまずはゲームに集中する必要があるが、同時に打開策も考えなければならない。しかし、まずはゲームに集中して……。  いつまでも整わない思考の粘土。脳内をぐるぐると掻き乱す矛盾と恐怖。混乱した頭で光明を見出せるはずもなく、普段なら負けるはずのないCPU相手にも敗北を喫した。運命のときが来たのだと、背後を振り返った。  長椅子に座っていたのは明らかに高校生ではなく、大学生、もしくはそれと同じ程度の年頃の二人だった。男のほうは緩くパーマをかけた茶髪で整った顔立ちをしていた。女のほうもショートヘアの茶髪で、裾の短いパンツからすらりと伸びた脚に一瞬目を奪われた。二人とも小奇麗な格好をしており粗暴な印象は受けなかったが、外見の判断など意味を成さないと思った。  彼女の前で恰好を付けられなかったという幼稚な逆恨みで因縁を付けてきた男。そんな男を諫めようともせずニヤニヤ笑っているクソ女。二人ともろくでもない人格破綻者だと心中で毒吐いた。そうでもしなければ恐怖で心臓が飛び出しそうだった。  二人の前で震える足を揃えると男のほうがにやりと笑った。 「案外早かったな。もう少しかかると思っていたが」  と立ち上がり、 「場所変えよう。ここはうるさいからな」  ついて来るよう俺に促した。  俺は店の出口へ向かう二人の背に「あの!」と声をかけた。完全に裏返っていた。 「俺、ちょっとしか金持ってないんスけど、それ渡すんで勘弁して貰えませんか」  殴り合いのケンカなんぞ生まれてこの方したことがない。人の殴り方なんて分からないし殴られたいとも思わない。財布の中身を空にして済むのならそれが最善だと思った。  二人は顔を見合わせた。  金を渡すだけで済むのか、暴力というセレモニーが必要なのか。俺は相手の裁定を待った。が、二人の反応は予想に反するものだった。 「なあ、ばなな? 金を渡すってのは一体なんの話だ?」  男が女に問いかけた。ばななと呼ばれた女が大げさに顔をしかめた。 「げっ、ラシヤマ先輩マジで気付いてなかったんですか? マジで?」  男はきょとんとした。本当に、不思議そうに。 「え、何が?」 「うわあ、正真正銘のバカだよこの人。よくそれで十九年も生き永らえてきましたね。今年成人とか悪夢じゃないですか。同年代に友達とかいました?」 「てめえ、ばなな! 先輩には敬意を払えっつってんだろ! いっぱいいたわ、友達くらい!」 「嘘っぽいんだよなあ」 「哀しいだろそんな嘘は! 言え! 俺の何が間違っていた!?」 「誤解されてるんですよ、あの子に」 「誤解ィ?」 「言い方が悪いってさっきも言ったじゃないですか。からまれてると思われてますよ、あたしたち」 「え、うそ!? ごめん!」  てきぱきとした動作で頭を下げてくる男に「はあ」と生返事をするしかなかった。

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