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◇  楽屋のスピーカーと満員の客席の映像がテレビ画面にリアルタイムで写っていた。  昨日の楽屋は静かだった。テレビ画面もついていなかった。  緊張する。  橋田さんと昨日のことで一悶着あるかと思ったけど、僕等はプロだ。今日になったら、昨日はイザコザ一つなく、リハーサルしかなかったみたいに楽屋には緊張感だけしかなかった。  最終リハーサルだってみんな登場シーンも完璧だったし、メインイベントの朗読劇だってミスもなく出来た。  もう、気持ちは出来上がっている。 「宇良」 「亮ちゃん」 「トイレ行くけど一緒に行くか?」 「うん」  橋田さんの笑い声が聞こえた。 「一人でトイレにも行けないなんて本当に新人同士は仲よしさんだなぁ」  橋田さんがパイプ椅子に座ったまま余裕でスマホを見ながらそう言った途端、反対側の壁際の隅に座っていた広瀬さんが、楽屋に置かれていた『ボイスノーノイズ』の原作本を読むのをやめて立ち上がり、橋田さんの前にゆっくり移動して、何の躊躇もなく橋田さんの顔面を腹手打ちした。 「いい加減にしろよ!」  温厚で穏やかな広瀬さんが、怒った。 「俺は、亮くんも宇良くんも好きだよ!もっと楽しい雰囲気のいい現場にしたかった。橋田くんが、一体この現場の何が気に食わないかわからないけど、感じ悪すぎるよ!」  凄い声量。 「この二人より先輩だと思うなら、かっこつけなよ!橋田さん凄くかっこ悪い!」 「別に、かっこいいって思われたいわけじゃ……」  言いかけている橋田さんを無視して広瀬さんはまた叫ぶ。 「かっこいいと思われなくて平気だなんて、先輩じゃない!そんな奴、声優じゃない!」  鼓膜が破れそうだ。    叫びまくって凄い声量だったのに、広瀬さんは息一つ乱れていなかった。 「声優はかっこいいんだ!だから最前線にいたいんだろ!売れてたいんだろ!」  橋田さんは反省している感じではなかったけど、痛い所を疲れたのか、プライドを傷付けられたのか言った後「チっ!」と声に出して声優らしい舌打ちをした。 「俺たち声優は憧れの存在じゃなきゃいけない。ファンの人たちだけじゃない。声優を目指す後輩達には、特にかっこいいと思ってもらいたいって思うべきだ!あの先輩クソだなって思われた時点で、声優じゃない。何も知らないファンやスタッフにどんなに気に入られて、人を蹴落として役を奪っていったとしても、いつか後輩に慕われない先輩はいつか、ボロが出る。若い子たちに突き上げられて足元救われて、生き残れない!」  あー。あー。聞こえますか。広瀬さんの親友さん。あなたの親友はとても素敵な声優になりました。いつもスタジオの雰囲気を温かく穏やかにしてくれて、僕みたいな新人で、時には右も左もわからなくなってしまう素人スレスレの声優にも優しく、先輩声優が間違ったことをしたら自分の立場を犠牲にしてでも後輩声優を守ってくれる、かっこいい人です。謝ってほしいです。この人を残して自殺したことを。許してあげて欲しいです。この人の才能を。声が届かなくなってしまっても、この人の成功だけを祈り、無理だと思いますが、どんな方法でもいいので伝えてあげてください。  僕は心の中で届かない声を、心を込めて喋った。 「スタンバイお願いします!」  楽屋にスタッフさんが入ってきて緊迫感が体中を洗脳していく。  橋田さんは言い返さないで、無言で立ち上がり、鏡で自分の容姿の最終チェックをしていた。この人に広瀬さんの言葉の何かがちゃんと橋田さんに届いていますように。 「亮ちゃん。トイレ済ませておこう」  亮ちゃんに笑顔でそう言えた。広瀬さんのおかげだと思った。 「広瀬さんはトイレ大丈夫ですか?」  亮ちゃんがかけた声に、広瀬さんは本物の穏やかな笑顔で「行っておこうかな、俺ステージで結構用意された飲み物いっぱい飲んじゃうし」と言って、ついてきた。  広瀬さんが「橋田さんはいかなくていいの?」と声をかけると「さっき行ったからいいよ。もうステージ裏に行ってる」と、履いていた黒のサルエルパンツのポケットに両手を突っ込んで僕等についてくるように、四人一緒に楽屋を出た。  トイレに向かおうと、ステージ裏に向かおうと、イベント終了まで楽屋に戻らないのなら、もう僕等は声優という演者だ。  お客さんの中には僕等の芸歴とかで、先輩後輩の上下関係をわかった上で、このイベントを楽しみにしてる人もいるかもしれない。  だけど、関係ないんだ。  僕たちはステージに上がれば等しくプロなんだ。 ◇  はじまる。このアニメの最後の仕事。やり直しの効かないトークイベントが始まる。ステージだけじゃなく客席も真っ暗になった瞬間は本物の歓声。    司会の人の声が一人一人ステージへ呼んでく。 「お待たせしました!さぁ!早速この方から、登場してもらいましょう!ドラム役、橋田奏斗さん!」  橋田さんは僕の肩を軽く叩いて駆け出して行った。 「俺はどんなリズムだって作り出せる!」  橋田さんが叫んだキャラクターの名台詞に歓声が上がる。 「続きまして、みんなの優しいお兄さん!ベースの広瀬誠さーん!」  向かい側の袖口から広瀬さんが、今まで見たことない元気な笑顔で駆け出して行く。 「みんなの奏でる音が好き。自分の奏でる音が好き!」  広瀬さんは決め台詞を言ってお辞儀を軽くして行った。  どうしよう。リハーサルでも緊張したのに、ちゃんと台詞噛まないで出ていけるかな。向かいの袖口には亮ちゃんがいた。亮ちゃんは僕を元気づける笑顔でピースサインをした。  司会の人がさらに声をあげて会場を盛り上げてきた。 「お待ちかね!みんな大好き、お喋りギター役、大知亮くーん!」  亮ちゃんが、駆け出して言った瞬間、僕はいつもの癖で、慌てて亮ちゃんを追うように、袖口を飛び出してしまった。  会場がざわついた。 「ちょ、っと、もう!宇良ぁぁ!呼ばれてないのに出てくんなよ!」 「間違えちゃった!」  素直に間違えてしまった。 「ああもういい!『いつだって僕たちは仲間だよ!』大知亮です!今日はよろしくお願いしまーす!」  司会の人が笑いながら進行を続けた。 「お呼びする前に、仲良く出てきてしまいましたが『ボイスノーノイズ』主人公、ギター役、月野宇良君でーす!」  亮ちゃんに背中御叩かれて、決め台詞を言わなきゃと、思い出した。 「俺を本気にさせたんだ。歌わせてくれ!」  と、声のトーンを落としてなんとか台詞を言い切った。  だけど、リハーサルではなかったことを起こしてしまった。だけど、橋田さんも広瀬さんも、亮ちゃんも僕を三人がかりで、くすぐってきたり頭を軽く叩かれたりした。 「ごめんなさい!なんか亮ちゃんが出てったらつい癖でついて行っちゃいました!本当にごめんなさい!」  マイクを使って、お客さんにも弁明していたら橋田さんが「宇良くんは亮の犬なの?」と突っ込んだり「仲良すぎ!漫才コンビの登場の仕方じゃん!」と広瀬さんがいつもの品のある笑い方じゃなくてゲラゲラ笑っていたし、亮ちゃんは僕を後ろから抱きしめるように、僕のお腹を持ってグルグルと回転して振り回してきた。  会場からは、思わぬ歓声が上がった。  盛り上がったならそれでいいけど、後でスタッフさんに怒られなきゃなと思っていた。  スポットライトは暑いと、きいたことはあったけど、本番はリハーサルの時よりも暑かった。きっとお客さんの熱気もあるんだろう。僕は背中にじんわり汗をかいたけど、冷や汗じゃなかった。  一番初めに大きなミスをしたせいで、これ以上のミスもないだろうと心に余裕が出来ていた。 ◇  トークイベントは順調で、お客さんたちも盛り上がってくれた。  僕は嬉しかった。このオーディションに合格が出来てよかった。この役を演じることが出来てよかった。  楽しい。  そんな楽しい時間はあっという間で、気が付けば朗読劇も終わって、僕の最後の仕事の準備が始まった。主人公が歌う劇中歌を生バンドで僕が歌うのだ。  僕たちが座っていた椅子が舞台の端に移動され、広瀬さんと橋田さんが椅子と共に舞台端へ歩いて行った。    でも、何故か亮ちゃんが僕と一緒に舞台の真ん中に残って僕に話しかけてきた。 「緊張してる?」  本当はあんまりもう緊張していなかった。後はこの『ボイスノーノイズ』の劇中歌を歌うだけで、むしろ楽しみだった。だけど、ここはハードルを下げておきたくなってしまった。 「すっごく緊張してる、亮ちゃんどうしよう?」  こんなこと台本にはなかった。 「俺が一緒にいたら心強い?」 「当たり前じゃん!」  僕等の後ろにドラムとギターとベースのプロ演奏者がスタンバイを完了させた。後は僕が歌うだけだ。亮ちゃんはそろそろ、舞台端にいかないといけないのに、なかなか話を切り上げない。 「俺達がルームシェアをしてるの知ってるのは会場にどのくらいいますかー?」  会場を煽ると、観客全体が歓声を上げて「知ってるぅ!」と叫び声がたくさん聞こえてきた。みんなラジオ聞いてくれていたり、声優雑誌読んでくれているんだなぁと嬉しくなった。 「じゃあ、俺と宇良が滅茶苦茶仲が良いの知ってますかー?」  さらに煽ると「知ってるぅ!」と、今度は観客の声がそろって返事が返ってきた。  亮ちゃん、時間が押してるよ?一体どうしたの?  僕が不思議に思っていると、亮ちゃんはとんでもないことを言った。 「俺も一緒に歌っていいですかー?」  えっ、ん?はい?ちょ、ええ?  スタッフさんに言っているのかな?リハーサルではこんなこと言わなかったし、一緒に歌ったこともない。スタッフ側はざわついているのかもしれないけど、観客側は今日一番の歓声で盛り上がってる。  いいのかな?本当に一緒に歌っていいのかな?でも、もう後に引く雰囲気じゃない。亮ちゃんは俺を一瞬だけ見た。見たことのない申し訳なさそうな笑顔だった。  この曲はドラムのカウントで始まる。ドラムの人が耳につけたシーバーでスタッフから何か言われたみたいで、太い両腕を上げた。  亮ちゃんと僕は、ドラムの人のその姿を見て、二人で歌う覚悟を決めた。  照明の色が濃い青に変わった。会場も静かに僕と亮ちゃんが歌うのを待っている。  アフレコをしている時は、音響監督が『OK』を出せば成功。  ラジオは時間内に伝えなきゃいけない情報を伝えて、聞いてくれている人を楽しませ、メールを読んでお悩みを解決すれば成功。  雑誌のインタビューは自分をきちんと売り込んで、自分らしさを文字で伝えてもらえるように考えて話せたら成功。  写真集やエッセイ集が出せたら超ラッキー。    でもイベントの成功ってなんだろう。    台本道理にやること?演出家の考えたことを出来れば成功?それ以上のサプライズを成功させれば、いいのかな?  ドラムのカウントが聞こえた。    もう何度聴いたかわからない程、聞き込んだ、このアニメの挿入歌。ギターボーカルの主人公役が歌う歌。  亮ちゃんが歌いたかった歌。  歌おう!    僕の本気の歌声と、亮ちゃんの最強の歌声が会場に響き渡る。  好き。  この曲が好き。この仕事が好き。僕等の声が好き。亮ちゃんが好き。    魂が体から全部抜けちゃうんじゃないかってくらい魂を込めて歌った。  最高のデュエットだった。    あとで亮ちゃんは、いろんなスタッフさんに怒られるかもしれない。口もきいてもらえないくらい嫌われるかもしれない。それでも、僕はこの歌を亮ちゃんと一緒に歌えていることが幸せで、嬉しくて、曲と歌が同時に終わる瞬間、僕も亮ちゃんも手を繋ぎその繋いだ腕をガッツポーズするみたいに振り上げていた。    拍手と歓声。  シンプルに僕たちは祝福されていると思った。    マイクで喋ってないと僕等の声はお客さんには聞こえないし、歓声で僕と亮ちゃんの声もこんなに近くにいるのに聞こえない。    だけど、亮ちゃんは笑顔で「好きだよ」と言ったのが痺れている鼓膜に微かに届いた。

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