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◇  ラジオを聞いていると存在をあまり感じないが、ラジオにもちゃんと台本がある。もちろんフリートーク五分とか書かれている部分もあってここで面白いことを言えたら人気にもつながるだろう。  でも僕はラジオブースに入る前の、スタッフと同じレギュラーパーソナリティーの亮ちゃんと、第一回目の打ち合わせを緊張しながら集中して話を聞くので精いっぱいだったけど、亮ちゃんはしきりに何か台本に書き込んでいた。  結局、第一回のアニメ化決定記念ラジオは、僕等新人の初々しいさとアニメオーディションでの話をメインに、話すことに決まった。けど、後半のフリートークでは、何故かもう知られていた亮ちゃんとルームシェアを始めた話をすることになった。     打ち合わせが終わると、収録まで二十分休憩をもらえた。その二十分で台本をチェックしようとして打ち合わせブースで台本を開くと、僕の台本を亮ちゃんが奪い取った。代わりに亮ちゃんの台本が付きつけられる。  加湿器が僕の家に届いて、亮ちゃんは本当に僕の部屋に大きめのキャディーケース一つで引っ越してきた。  それから二週間と少し。気が付いたことが色々あるけど、一番酷いのは、亮ちゃんは家事を一切手伝ってくれないってことだ。  洗濯物の中に僕のとそっくりなボクサーパンツがあって、僕が間違えて履いて出かけた日は、亮ちゃんに、お母さんの化粧品勝手に使ったでしょ!と言われる小さな女の子みたいにピシャリと怒られた。 ご飯を二人分作るのも、そろそろ疲れてきた。でも節約して生活していくには自炊が大切。そのことを分かっているのは僕だけで、亮ちゃんは出てきた食事を当たり前のように食べて、フムフムと頷くだけで美味しいとも言わない。  男二人で、同じ新人声優同士、意気投合して仲良くなれるのかもしれないと思ったけれど、想像していたほど僕等は仲良くなれず、事前にもらったアニメ二話分の台本を、本気で読み合い、お互い感想を言い合ったりせずに読み合わせの練習終わると、亮ちゃんは勝手に風呂に入って歯磨きをし、ベッドの半分に寝てしまう。  声優で役者同士のルームシェア。もっと共通の話題で色々喋ったり、騒がしく時間が過ぎていくのだと思っていたけど、案外淡々とした生活しかしていない。 だから、正直、アニメ『ボイスノーノイズ』の初の仕事の、このラジオ収録は不安しかなかった。特に最後のフリートークでルームシェアの話をするのが一番不安だ。 いきなり住み着いた彼を受け入れた僕は、懐が広いと、褒めてあげたい。 突き付けられた亮ちゃんの台本を見ると、僕が喋るところには黄色の蛍光ペンで線が引いてあり、台詞のところどころの空いたスペースに『大げさに笑う』とか『恥ずかしそうにする』とか『嬉しそうにする』とか『ちょっと拗ねる』とか書いてあった。 「これ、どういうこと?」  亮ちゃんに素直に疑問をぶつけると「騙されたと思ってその通りにリアクションしながら喋れ」と命令口調で言われた。  子役からの芸歴があって僕より先輩だからって、なんでこんなことまで決められなきゃいけないんだろう。こうしたいってことがあったなら、スタッフとの打ち合わせの時に言えばよかったじゃないか。 「僕のこと馬鹿にしてるでしょ?」  台本を強く握りしめてしまった。亮ちゃんことオオチ亮の台本なのに。シワを作ってしまった。 「別に馬鹿にしたりしてねぇよ。集中してていいと思う。だけど、台本に基本的な書き込みも出来ないでミーティングに参加してる時点で、お前はミスの要因を作ってるんだよ。台本をお前用に作ってやるのは今日だけだ。来週からは自分で書き込みしろよ。俺とのルームシェアしてるところの会話は俺がリードする。絶対にそこで話題性高めて人気取るぞ」  自分を疑わない奴はミスをする。パートナーを信頼しない奴も失敗を犯す。悔しいけど、亮ちゃんが俺の為に書き込んだ台本を使うことにした。  乱暴な口調からは想像もできないような綺麗な字だ。  まるでノートの隅に好きな子の名前を書くみたいに、フリートークと書かれたページの隅に『信じろ』と書いてあった。  こういうところ嫌いになれないなぁと僕は思った瞬間。今夜は面倒だけどハンバーグを作ってあげようと思った。 ◆  俺から見た宇良は、真面目。几帳面。集中力。真っすぐな初々しいリアルに欠けた演技。家事も完璧で、俺の洗濯物も畳んでくれる。母親に負けないバランスのいい献立の料理が朝昼晩と出てくる。 実家で家事とかしてこなかったから、俺は宇良の生活の基盤に全部合わせてみることにした。でも簡単に言えば単純に甘えたのだ。  俺も宇良もアニメ『ボイスノーノイズ』に合格してから初めての仕事がアニメ化決定放送のラジオだった。  スタッフから渡されたラジオの台本を見て俺は何とも思わなかったし、ミーティングが始まってから自分の喋るところや、盛り上げようとするところとかを書き込もうとペンケースを取り出して、スタッフの話を聞いていたけど、向かいの席に座っていた宇良は姿勢正しく喋るスタッフの話を真剣に聞いているだけで、全然台本に書き込みをする気配がなかったので、俺はお節介にも、宇良の台詞に線を引き、アドバイスをたくさん書き込んだ。ミーティングが終わって、つかの間の休憩時間に、俺と宇良は台本を交換した。  もちろん宇良は嫌そうにした。だけど、自分がミーティングで何も出来ていないことに気が付いたのか、渋々俺の作った宇良用の台本を受け取ってくれた。  台本道理に宇良がやるかは、わからなかったけど信じることにした。自分を信じ切ってない相手から信用を得るには、まず相手を信じることだ。  だから台本の隅に『信じろ』と書き込んでみた。言葉で言っても伝わらないけど、その文字を読んだら、きっと宇良は俺を信じてくれる。そう願って書いた。  俺だって、失敗したら恥ずかしい。仮に俺がミスしたとして、それを上手く拾って宇良が笑い話にしてくれる技量は多分ない。  今回の収録は撮り直しも編集もしてもらえるから、俺にも余裕があるけど、これが公開収録だったり一発撮りだったら、俺でも緊張に押しつぶされていたかもしれない。  性格悪いけど、自分よりも緊張してミスしてくれそうな奴が相棒の方が俺はやりやすい。自分のペースに持っていけたら、宇良の真面目過ぎて天然なあざとさも生かすことが出来る。  俺が売れるには宇良が必要だし、宇良が成功するには俺が必要不可欠だ。  スタッフに呼ばれて、ラジオ収録ブースに二人で入った。家よりも防音が利いていて呼吸音さえ耳に響く。  対面式に置かれたマイクと椅子に座り、用意されたヘッドフォンをつけた、机に台本を広げた。  横を向けば音響スタッフやアシスタントマネージャー、そしてプロヂューサーが下を向いて何かを操作していたり、僕等を見ていた。  正面には緊張で背筋が伸び切った宇良が台本を深刻そうに見つめていたので、俺は「ウラ」と宇良を呼んだ。 「な、なに?」 「もうオーディションじゃないんだ。仕事だ。切り替えろ」  ちょっと冷たい言い方をしてしまったと思ったが、宇良は「あはは」と笑った。やっと笑った。 「よろしく亮ちゃん」  照れくさそうに俺のことを呼んだ宇良に少しだけ頼もしさを感じた。 『じゃあ、撮っていきまーす』  そうヘッドフォンから聞こえ、俺と宇良は声を合わせて「よろしくお願いします」と言った。 ◇  一回目のラジオ収録は案外盛り上がった。正確には亮ちゃんが盛り上げてくれた。  悔しいけど、亮ちゃんのくれた台本の書き込みのおかげで上手くいったと認めるしかなかった。  今日は第二回。打ち合わせでは、しっかり台本に線を引き、笑うとことろや、恥ずかしがることを書いた。  スタッフの人が、第一回の反響で特に反響があったのは、やっぱり僕と亮ちゃんがルームシェアをしている話だったらしく、たくさん質問のメールが届いているそうだった。  今日の収録にはベース役の広瀬誠さんという業界では中堅の先輩声優がやって来た。  僕も広瀬誠さんの名前や顔は知っているけど、会うのは初めてだ。  収録前のつかの間の休憩時間、広瀬さんに挨拶に行き「月野宇良ですよろしくお願いします。今回が初主人公です」そう言うと、広瀬さんは爽やかに「よろしく」と言いって「新人同士で合格してそのまま一緒に住んじゃうなんて凄いね、今日はアニメの話もするけど、二人の私生活も掘り下げちゃうから覚悟してね」と、柔らかく言われた。  アニメの中では仕事のできるベース役で、優しいけどマナーに厳しいお兄さん系のやくで、この人にとても合っているなぁと思った。 「頑張ります!」 「まぁ硬くならないでね。俺ファンからは温厚なキャラだと思われてるからさ、真面目で絡まりしちゃう新人声優とは相性がいいから。今日は楽しくなりそうで嬉しいよ」  先輩の余裕がかっこよく見えた。 「あの、広瀬さんはなんで声優になったんですか?」 「ん?」 「すみません。ファンみたいなこと訊いて」 「いいよ。いいよ。声優になりたいと思った動機は、どの声優にも訊きたくなるもんだよね」  広瀬さんは、優しい表情で僕に笑いかけてくれた。愛想笑いとは違うけど、少し言いづらそうにしながら笑顔で答えてくれた。 「そうだなぁ俺の場合は、ファンに訊かれた時と、本当のことを知ってほしい人とじゃ答えが違うからなぁ」 「へぇ」  僕にはどっちの理由を話してくれるんだろう。 「ファンの人とか、信用できないなぁって直感で思った人には、声優になりたかった理由は『昔、僕の声をかっこいいねって演劇部の先生が言ってくれたから』って言ってる」 「そうなんですか」  そういえば、どこかのラジオで高校時代演劇部で養成所から事務所に合格したって言ってたっけ。 「宇良くんとは長い付き合いになりそうだから、本当の理由を言うけど秘密にしてね」 「はい!」  本当の理由も言ってもらえるなんて、僕は凄くラッキーだ。 「俺、高校で親友に演劇部に誘われたんだ」  とても楽しかった思い出を語りだすような口調で、それだけで癒された。ファンに温厚キャラと言われる理由がわかる。 「凄いなぁ。僕の高校には演劇部なかったから羨ましいです」 「うん。特に演劇部っていうと男の部員って少ないから、三年間男は俺と親友のふたりだったんだ。だからいつでも、主人公役とか王子様役は必ず俺等二人りのものだった。けど、東京に二人で上京して、声優の養成所入ったらさ……」  懐かしむように上を向き微笑みながら広瀬さんは、凄いことを言った。 「親友自殺しちゃってさ」 「え」  笑いながら言うことなんだろうか。言いたくないなら言わないでくれてもよかったことを、平気で言えるってことは親友の死に対して吹っ切れているってことだろうか。僕は訳が分からないまま広瀬さんは続ける。 「養成所で周りの人間の真剣さ、ライバル意識、新しい人間関係も出来て仲間意識もなくはなかったけど、親友は俺にだけは負けたくなかったみたいでさ、一緒に受けた今の声優事務所所属オーディションに俺だけが受かったら、親友、何も言わずに実家に帰ってて、なんて言葉をかけてあげられるか考えてる暇もなく、知らせを受けた時には死んじゃってた」  なんで。 「なんで、そんな大切な話、僕にしてくれたんですか」  僕は小声でそう言うと「ふふふ」と穏やかに広瀬さんは品よく笑った。 「ごめんね。俺なりの新人脅し。でも誰かの努力や夢を踏みにじって僕等は声優って限られた人間しかなれない人気職業について、マイク前に立っているってこと忘れないで欲しいんだ」 胸の奥がキリキリする。自分のことで精一杯。自分が自分がって思う割には、先週の第一回ラジオ収録は亮ちゃんの作った台本に頼って成功させた。そんなんじゃダメなんだ。 努力を怠ってはいけない。誰かに嫌われても負けてはいけない。常に全力でいなくてはいけない。役に選ばれた時点で、誰かから役を奪い取った自覚を持たなくちゃいけない。 そういう世界なんだ。 「貴重なお話ありがとうございました!改めて、よろしくお願いします」 「うん。よろしく」  広瀬さんのどこか寂しそうな微笑みを見て、いつかこの人が声優の仕事をしていて、親友の夢が報われる日がくるといいなと、生意気にも僕は思った。  収録が始まると、相変わらず広瀬さんは穏やかな声だった。彼の持ち味なのだろう。先輩声優ゲストという仕事への使命感が伝わってくる。終始トークを盛り上げ、僕等のルームシェアの話を掘り下げてきた。  さすが先輩だと思った。いや、親友が自殺してもこの業界に残ることを選択している彼は、中堅声優と言え、心持が違うのだろう。ファンに温厚キャラと言われているからずっと温厚なのかと思ったら、亮ちゃんの「ウラちゃんは、俺が洗濯物畳むの手伝おうとすると嫌がるし、俺が畳んだ洗濯物は全部畳みなおしてるんですよー」という言葉に「亮くん完全に戦力外なんじゃん」と突っ込んできたので、僕が「そうなんです。有難迷惑ってこういうことなんだなって身に染みてます」と答えると「え、でも洗濯物全部畳んでるってことはお互いのパンツも畳んであげてるの?」ときわどい質問もしてきて、僕は一瞬なんて答えようとしていると、間髪入れずに亮ちゃんが「そうなんです!だから俺、今日間違えてウラちゃんのパンツ履いて来ちゃったんですよー」と衝撃的なことを言った。  広瀬さんが「え、本当?見せて見せて!」と言ったので僕は「え、嘘でしょ?」と亮ちゃんのズボンを少しめくった。  すると、そのパンツは僕の物ではなかった。ちゃんと亮ちゃんのパンツだった。嘘をネタにしたのか? 「見んなよ!エッチ!」  そう亮ちゃんが言った途端、広瀬さんは爆笑し「ココで確認しないでー!」と、男子高校生がバカ騒ぎしている雰囲気になった。  いつの間にかちゃんと高校生が主人公たちのアニメらしい、ラジオになっていた。  横を見ると、音響ブースで音響さんや監督が笑っている。  嘘でも、いいのか。と、無性に納得してしまった。前に亮ちゃんは『あくまで俺が参謀だ』と言っていたけど、僕がここで『コレは僕のパンツじゃない』と言えば、収録が台無しになることが自分でもわかる。でも僕に平気で嘘を一緒に付かせて収録を面白くする技術は本当に凄いと思った。  これが今まで積み上げてきて、やっとメインキャストの役を手に入れた大知亮という男との歴の差なのだと見せつけられたような気がした。  今はまだ亮ちゃんの作戦やトークに助けられている。  だからこの先、亮ちゃんとオーディションで役を取りあう日が来て、僕が亮ちゃんに役を取られても、僕は自殺をしないで『おめでとう』って言える自分でいたいと思った。

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