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◇【泣いて追われて逃げる】  亮ちゃんは事務長に呼ばれてアフレコスタジオから事務所に寄ると言って行ってしまった。僕はカラオケに行って一時間自主練習をして一人、家路を歩いていた。  寒くて背中が猫背になりそうになったけど、意識的に背筋を伸ばして歩いた。亮ちゃんはいつだって背筋が伸びていて綺麗だし、僕もそうなりたい。  一緒に住んで、そばにいれば悪い所も見えるけど、いい所もよく見える。亮ちゃんは僕のお手本だ。  今日は僕も亮ちゃんも、たくさん声を出したし緊張する長台詞も多かった。  だから今夜の晩御飯は、温かいシチューにしようと思った。  マスク越しでも吐く息が白い。でも、白い息が消えると、今夜は何かを失った気分になった。 僕には広瀬さんが考えていることが、少しだけわかった気がする。  広瀬さんを見ていると、声優を頑張っているけど、この前のラジオで本気で笑っている姿を見た時以来、辞めたがっているように感じるようになったのだ。  きっと、僕の隣に亮ちゃんが当たり前にいるように、広瀬さんにも当たり前に隣にいた人がいたのに、急にいなくなったんだ。  僕も急に亮ちゃんがいなくなったら嫌だ。誰が何と言おうと嫌だ。  僕等は今は『ボイスノーノイズ』というアニメを作っていく仲間だけど、元々はオーディションの時は敵同士だった。特別仲が良かったわけでも面識があったわけじゃなかったから、役を取りあっているなんて気にもしないで、僕が主人公になるんだってそればっかり考えていたけど、本来亮ちゃんもやりたかったのは主人公役。僕が演じている役だ。  もし、今みたいに仲のいい状態で奪い合っていたら?  広瀬さんの親友だった人の気持ちが僕にもわかるのかな。  そういえば、橋田さんは亮ちゃんに馴れ馴れしい感じで話しかけているけど、亮ちゃんは作り笑顔もしない。それくらい嫌そうにしている姿を今日の収録の前見たけど、僕は怖くて、二人の会話には参加できなかった。    新人とはいえ、僕はこの先ちゃんと一人でやっていけるんだろうか。 「一人……」  思わず声に出してしまって、真横で自己主張するように光る自販機の前で僕は立ち止まった。飲みたかったわけじゃないけど僕はホットミルクティーを買った。  手袋を外してカバンにしまって。素手で温かいホットミルクティーを抱え指先を温めた。  体調管理はどの職業だって基本だけど、僕等は意識的に最善の注意を払って体調管理が必要だ。冬場は特に喉の乾燥、風邪、色々ある季節だ。  一人でホットミルクティーを飲んで、乾燥しかけていた喉強制的に潤した。  色々なことを考えすぎた。頭の中は混乱しているのに、一つだけ明確な感情があった。 「寂しい……」  人気のない線路沿いを歩きながら、つぶやくと、本当に寂しくなった。  マンションまで十メートル。家まで、涙が我慢できなかった。止まってくれなかった。膝が折れてコンクリートの冷たさが全身に回る。温かいのは両手でくるんだミルクティーのペットボトルだけ。それじゃ、足りない。心を温めるには弱すぎる。  僕は一人じゃ弱すぎる。 「宇良?」  かがみこんでいる僕を亮ちゃんが覗き込むように見てきた。  自然と背中に置かれた手が温かくて、その優しさが嬉しいのに、寂しくなってしまった。 「どうしたんだよ。なんで泣いてるんだよ。橋田さんに何か言われたか?」  なんで橋田さんの名前が出てくるんだろう。疑問に思ったけど、どうしても、声が出ない。喉は潤っているはずなのに。  亮ちゃんの腕が僕の腰に回されて、僕は無理矢理立ち上がらせられた。 「一緒に帰るぞ」 「亮ちゃん」 「ん?」 「一人は寂しい」  鼻水を一生懸命すすって、真夏の汗のように流れ落ちてくる僕の涙を、亮ちゃんは両手でこすり取ってくれた。 「俺も。だから作戦会議しよう」 「作戦会議?」 「おう。参謀はあくまで俺って言ったろ。まかせろ。だけど今はそれどころじゃない。物凄く厄介なことになってる」 「なに?」 「俺達つけられてる」 「誰に?」  あたりを見回そうとしたら、肩に亮ちゃんの腕が巻き付いて、首を動かせなくなった。 「いいか。真っすぐ歩いて、二百メートルぐらい先の適当なマンションに入るんだ」 「なんのために?」 「そこに住んでると思わせるんだ」  なるほど。 「ごめんな。すぐに泣いてた原因解決してやれなくて。だけど、事務所からずっと俺を追って来てる変な女がいるんだ」 「いいよ。行こう」  手は繋がないで、並んで真っすぐ歩いて、亮ちゃんが適当なマンションに入って、そのマンションのエレベーターに乗り込んで、五階を押した。二人きりになった途端、手を繋いできて「絶対、守ってやる」と頼もしく言ってくれたけど、亮ちゃんはエレベーターの階が上がっていく表示を睨みつけていた。  五階についた途端、亮ちゃんは「声出すなよ?」と言って不敵に笑い、僕の手を引いた。エレベーターを降りたらすぐ横に階段があった。 「宇良、靴脱げ」 「え?」 「いいから」  僕も亮ちゃんも靴を脱いで、音を立てずに、五階から階段で一気に一階に下りた。階段横の柱からそっと、エレベーターホールを覗くと、上を向いたベージュのコートを着た女の人が立っていた。ここのマンションの住人じゃないのかな?と思ったけど、亮ちゃんはまた階段横の柱の奥に僕を隠し、僕の口を手で押さえた。  どうやらあの人らしい。僕等が乗って降りたエレベーターを待っているらしい。確かに何階で降りたか知るには、そこで立っている必要があるもんな。  女の人は不自然な程、急いでエレベーターに乗り込んで行った。 「靴履いていいぞ」 「うん」  僕等は靴を履き、入ってきた入り口から外に出て、自分のマンションまで走って、急いで部屋に入った。 「悪質だね、今の人ストーカーってことでしょ?」 「そうだ。俺をつけて来てたから、俺だけで巻いてやるつもりだったんだけど、悪かったな巻き込んで」  新人声優でも、やっぱり知名度が上がるとこんなことも起きるんだ。ストーカーか。凄く迷惑だな。それに今回は女性だったけど、怖かった。怖いものは怖い。性別なんて関係ない。 「僕こそ、あんなところで座ってたから余計迷惑かけたよね……ごめん」  亮ちゃんは部屋の明かりをつけないで、僕を玄関のドアに押し当てて来た。そして耳元で囁いた。 「お前が無事ならいい。でも、誰に泣かされた?」 「なんで泣いてたの?って訊いてよ」  亮ちゃんの温かい両手が僕の両頬を包んだ。 「なんで泣いてた?」  広瀬さんの言うように僕等は今は仲間でも、いつかライバルになってしまうこと?それともマネージャーの原田さんにいつルームシェアを辞めるのか考えとくように言われたこと?どっちを言えばいいのだろう。 「全部辛いこと吐き出してくれよ。じゃなきゃ作戦会議もできねぇよ」  暗くてわからないけど、亮ちゃんの顔が凄く近い。 「一人が寂しいって言ってたよな?なんで俺がいるのに一人だと思う必要があるんだよ」 「違う」  そうじゃない。違う。 「これから一人になるのが寂しいんだ」 「お前も誰かに言われたのか。いつルームシェア辞めるのか的なこと。事務長か?それともマネージャーの人?それとも橋田さんか?」 「言われたのはマネージャー。今度、僕の写真集を出すって話をもらった時に、言われて、僕一人で暮らしていかなきゃいけないのかな、って思ったら寂しくなった。それから、今日、広瀬さんが言った事も考えてた」  亮ちゃんの両腕が、僕の腰を抱き寄せた。 「宇良は優しすぎる。俺達がライバルだっていいじゃねぇか。喧嘩しないから親友なんじゃない。喧嘩したって認め合うのが親友だろ。俺のことで悩んでくれて嬉しいけど、そんなこと考えないでくれ」  喧嘩しても認め合うのが親友。  亮ちゃんのくれた言葉が嬉しくて僕は亮ちゃんの背中を抱き返していた。 「でも、怖いんだよ。いつかこの生活を手放す日が来るのが、たまらなく怖い」 「俺も事務長にルームシェア解消するタイミング考えろって言われた。考えたし、考えてる。だけど、もし、今みたいに宇良がストーカーにあったら俺は怖い。でも四六時中一緒にいられるわけでもないんだ。だから、どの道、俺はココを出て行かなくちゃいけなくなる。お前が許してくれても、周りは許さない。ストーカーにあってもSNSでルームシェア解消嘘ってすぐ流れちまう」  僕だってそんなことわかっている。そのせいで、せっかくなれた声優の仕事がなくなっても困る。それに今は亮ちゃんの夢も僕は一緒に背負っている。亮ちゃんが僕のせいで声優界で生きていけなくなるのは嫌だ。  どうしたらいいんだろう。 「宇良、お前自分の十年後考えたことあるか?」 「十年後?」  あまり想像したこともなかった。でも、今の人気がキープ出来たら、声優として生き残っていられるかもしれない。 「俺は、今の人気だけじゃ、十年後は声優界にいられないと思ってる」 「どうして?」  せっかく仕事も人気も増えてきた。次のオーディションの話もあるようだし、ココのアニメで一発屋になるつもりはないのに、どうして十年後声優でいるのは難しいというのだろう。 「俺達じゃ、売れないのかもしれない。やっぱり俺は俺で、宇良は宇良で、売れないと駄目だ。確かにルームシェアをしている新人声優って掴みはよかった。でも、宇良も写真集の仕事だけじゃ駄目だ。俺もエッセイ本だけじゃ駄目だ。もっと大きなイベントに毎週出るくらい他のアニメ声優として売れないと駄目だし、自分の冠ラジオを持ってないと駄目だ。いつまでも新人ではいられない。もっと売れたって実感を感じられるところまでいかないと駄目だ」  亮ちゃんは今のままじゃ駄目だ駄目だと言った。きっとそうなのだろう。亮ちゃんには子役時代から積み上げてきた僕にはない直感力がある。 「僕、頑張るよ?」 「わかってるよ。でも、頑張ってる奴なんていっぱいいる。知ってるだろ?」  ボイストレーニングをしている時、周りの反応が変わった。冷たくなった人もいれば、媚を売ってくる人もいて、僕は正直自分のことを考えることだけで精一杯になっている。  だけど、他の人に、あまり興味を持てなくなってしまったのは確かだ。気持ち悪いほど人間観察が趣味だったのに、今は大勢の声優界の人や、声優を目指す人たちと練習するよりも、亮ちゃんと一緒に練習することの方が、何倍も大切だ。  長いのか短いのかわからないけど、泣き出してしまった僕が泣き止むまで、僕と亮ちゃんは明かりのともらない家の玄関で、靴も脱がずにただ、抱き締め合っていた。  参謀はあくまで亮ちゃんだ。僕は置いて行かれないように、ミスをしないように、足を引っ張らないように、愛想をつかされないように声優であり続けたい。  願いが届くように、強く亮ちゃんの背中にまわした腕を必死に自分に引き寄せた。 ◇  春が来る。ベランダを開けて喚起すると、どことなく新芽の匂いがする。  『ボイスノーノイズ』のアフレコ収録が終わって、ラジオも終わった。  相変わらず亮ちゃんは僕の家にいるけど、家事も一切しないままの暮らしをし、僕と演技練習をしながら過ごしている。  お互い知らないアニメの台本を持ち帰る事が増え、台本をコピーしてお互いの練習に付き合いつつ、演技力のレベルを上げている。  そのかいもあって、僕も主人公ではないけど、声優としての仕事が増え、いつの間にかバイトを辞めていた。  もう僕はちゃんと声優なんだ。  初主演した『ボイスノーノイズ』の仕事も明日の横浜アリーナでのトークイベントで終わる。  初めての大舞台。緊張している。だけど、傍に亮ちゃんがいると大丈夫だって思ってしまうし、どうしようもなく不安になったら、亮ちゃんの手を握ると自然と安心感が溢れてきて、寝る前は特に一緒に手を繋いで眠るようになった。  そんな僕の甘え行動に、亮ちゃんは何も言わないで付き合ってくれている。  寝たフリをしているけど、亮ちゃんも収録から帰ってきた時とかに、僕の前髪をかき上げるようにし、熱でも測るようにオデコに手を添えられることがある。  僕等の関係はただのルームシェアの住人同士という一線を越えている気がする。同じ言葉なのかもしれないけどルームシェアじゃなくて同棲って言葉が似合うようになってきた。  どこのアニメのスタジオに行っても先輩声優や音響さんやディレクターさん現場の関係者にはみんな、亮ちゃんと一緒に暮らしているのか訊かれる。  僕は『自分』を演じてヘラヘラと笑い「そうなんです。毎日がお泊り会みたいで楽しいですよ」と答えることが多い。  みんな本当だったのか、というような表情をするけど、たまに馬鹿にしたような怪訝な顔で「へぇ」と、それ以上踏み込んでこない人もいる。  僕は写真集を出し、亮ちゃんはエッセイ集をほぼ同時期に発売し、お互い増刷がかかるほど、売れた。  声優グッド賞アワードでは、亮ちゃんが新人助演男優をとり、僕は主演新人賞と、きっと亮ちゃんが欲しかったはずの、新人ボーカル賞も受賞した。  僕等の功績はネットニュースにもなって、声優界じゃ新人としてトップ声優の地位についた。 そして今、いよいよだと思っていた『ボイスノーノイズ』のイベントのリハーサルは、気が抜けるほど淡々と事が進み、おおよそ台本道理無事に終わった。亮ちゃんと広瀬さんがトイレによるというので、僕は一人で楽屋に帰った時だった。見てしまった。  亮ちゃんのサインの入ったエッセイ本を楽屋のゴミ箱に、橋田さんが捨てる瞬間を、見てしまった。  怒る必要はない。亮ちゃんと橋田さんの問題だ。だけど、僕の体中の血液が異常なスピードで流れていく。血が頭に集結する。  僕は黙っている橋田さんの脇を通り、無言でゴミ箱に捨てられた亮ちゃんのエッセイ本を拾い上げ、胸に抱きしめた。 「気持ちわりぃ」  半笑いで言った橋田さんに「そうですね」と冷たく言った。  すると楽屋のドアが開き、亮ちゃんと広瀬さんが入ってきた。  緊迫する雰囲気に、二人とも固まってしまった。  でも、これ見よがしに橋田さんが話し出した。 「亮がずっとガードしてたから言えなかったけどさ、教えてやるよ。宇良くん。お前がこのアニメの主人公役になれたのはなぁ、事務所のおかげでも、お前の実力でもない。ただ顔がよくて、たまたま主人公の台詞量が少ないから演技は、上手くなくてもなんとかるだろうって思われて受かったんだ。簡単に認められたと思うなよ?この作品は売れてる原作だから、そんなお前にでもファンが増えただけだ!亮というサポートがなければ一人トークも下手くそ。そんなお前に亮が魅力を感じるのは、お前が、亮の我儘をなんでも許してくれるいい踏み台だからなんだよ!」  耳がキーンと音がするのに、空間はまるで防音室のように静かだった。  僕は亮ちゃんの踏み台。そんなことわかってる。わかった上で手を組んでる。手を繋いでる。  アフレコはもう終わった。キャラソンの収録も終わった。ラジオもこの前最終回を迎えた。でも、まだこの横浜アリーナでのイベントが残っている。ストーカーじゃないファンに会える貴重なイベントだ。  いつもの演技練習や歌の練習だったら、家で亮ちゃんとできるけど、イベントの練習はできない。当日の明日は一人で仲間と頑張らないといけないんだ。 「亮ちゃんの踏み台で、僕は満足していますよ」 「は?」  橋田さんは理解できないというような顔をしながら僕を見下ろしてきた。 「僕を踏み台にした亮ちゃんは、僕をそのまま放置したりしません。ちゃんと僕を同じところまで引き上げてくれます。信じているんです。悪いですか?」  亮ちゃんが僕の腕をつかんだ。 「先輩と喧嘩するな」  怒っている感じでもなかったけど、嬉しそうにもしていなかった。それでも、どこか勝ち誇ったような顔をしていて、僕は背中を押された気分になった。 「言い過ぎました。すみません」 「亮ちゃんの言うことしか聞かないのかよ」 「はい」  橋田さんはあからさまに溜息をついて僕を馬鹿にしている感じだった。でも、亮ちゃんが傍に来てくれた。もう、橋田さんが言ったことなんてどうだっていい。 「僕は亮ちゃんの言うことをききます。亮ちゃんは凄い努力家で、僕の憧れの先輩ですから」 そう言って、軽く会釈し、待合室を亮ちゃんと一緒に後にした。  帰り道、亮ちゃんが一言僕に忠告をした。 「俺のことで熱くなるな。俺は大丈夫だから」  亮ちゃんの手が頬に触れた。春らしい温かい手の温度が、心地よかった。  初めてのイベントが最初で最後にならないように、これから僕はマネージャーの原田さんがいくつかくれたオーディションの練習を、頑張ろうと心を熱くした。

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