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◇  主人公役で初めてのアフレコの日の朝、僕はスマホの目覚まし機能じゃなくて、亮ちゃんの自主練の声で目が覚めた。  一緒に暮らしてから思うのは、亮ちゃんは一緒に住んでいても思っていたほど邪魔じゃなかったことだ。声優の人の家って加湿器と防音が利いた部屋なら、声優同士で簡単に一緒に生活していけるのかもしれない。    だけど、一緒に住んでみて、僕はボーカル科の亮ちゃんの演技練習量が多いことに驚かされた。    このアニメはとにかく亮ちゃんの演じるキャラクターの台詞量が多い。もちろんそれが原因の一つだと思うけど、それでも、朝の通勤ラッシュの時間帯は電車がよくマンションの横を通るから多少の声量さえ、電車の音がかき消すし防音のしっかりしいるこの家なら演技や歌の練習するのにも、この時間が一番誰にも迷惑が掛からない。    家事は一切しないくせに、随分とご近所には親切だなと思った。 「おはよう」  練習の邪魔になるから声はかけない方が本来いいのかもしれない。でも、亮ちゃんは嫌な顔しないで「おう、おはよう」と寝起きの僕よりも、エンジンのかかっている声で挨拶を返してくれた。    亮ちゃんは台本をカバンにしまい、水の入ったペットボトルをグビグビと飲んだ。 「宇良」 「なに?」 「俺は、この前のラジオの現場は広瀬さんだったから、正直俺達新人でも上手くラジオトークが出来たと思ってる。でも、今日、アフレコ現場にくる広瀬さんは前回とはきっと違う」 「どういうこと?」    亮ちゃんはペットボトルもカバンの中にしまうと、深刻そうに僕に語りだした。 「前回の広瀬さんはあくまでラジオゲスト。今日来る広瀬さんは本来の声優の仕事アフレコに来る。全力で役者になる。穏やか、温厚、爽やか、癒し系の『キャラ』じゃなくなってるってことだ」  そういうものなのかな?と半信半疑になった。 「それからこのアニメの四人目のメインキャスト、ドラム役の橋田さんは好き嫌いが激しい。このアニメの中じゃ一番の大御所声優で、一番売れてる声優だ。俺も自分のアフレコで精一杯で、お前の面倒まで見てられない」  僕はその言葉を聞いて少しムッとした。別にずっとおんぶに抱っこで亮ちゃんに面倒を見てもらうつもりなんかなかったからだ。  だけど、初めて会う橋田さんは声優界じゃ有名な人。亮ちゃん同様子役から芸歴を積み重ねてきた人だ。人気男性声優ラインキングにはいつも上位にいる。僕にはそれくらいしか予備知識はないし、好き嫌いがハッキリしている人なら、嫌われたくない。 「ミスしないようにとか、そんな意気込みはいらない。とにかく、オーディションの時みたいに真っすぐな演技をすればいい。嫌味の一つや二つ言われたら、新人らしく大きな声で頭下げて謝れば、いい」 「アドバイスありがとう」  僕はそう言って、キッチンでフレンチトーストを二人分焼いて、ホットミルクティーを入れた。  今日からアフレコ。台詞量が少ないから出番も少ないけど、僕はアフレコが終わったらボーカルのテスト撮りもある。亮ちゃんがやりたかったことを僕だけがする。僕が選ばれたんだから負い目を感じることはないと思っていても、一緒に家を出て、『ボイスノーノイズ』のアニメの現場から別々で家に帰るのは初めてだ。 「亮ちゃん、僕、今日はアフレコの後にボーカルの歌うシーンのテスト撮りがあるんだ。だから、夕食は自分で用意してくれる?」 「わかった」  もっと嫌そうな顔をされるかと思ったけど返事はあっさりとしていて、やりたかったはずの仕事に、もう興味がなさそうだった。  それでも僕は亮ちゃんに今まで気を遣ってきた。ボーカルが歌う曲の練習は家では一切やらずに、わざわざカラオケに行って音源をスマホで聴きながら練習した。  当てつけみたいに思われてルームシェアが上手くいかなくなるのは嫌だった。  それに、なんとなくだけど、このアニメの収録が終わったら亮ちゃんはココを出ていくのだろうと思っていた。あくまでビジネス的なルームシェアなんだと、僕が割り切っているからなのかもしれない。  亮ちゃんは僕の入れたホットミルクティー片手にスマホを眺めていて、僕を見て話しをしてくれなかった。  だけど、しばらく沈黙の朝食を二人でとっていると「あのさ」と、亮ちゃんが僕に話しかけてきた。 「なに?」 「音源あるなら聞かせてくれね?」 「うん、いいけど、僕じゃない仮歌の人の歌声だよ」 「俺が歌うんじゃないんだから、誰の声でもいい」   そう言ったので、僕はベッドわきで充電していたスマホを持って来て、ヘッドフォンを、亮ちゃんに渡した。  仮歌の人の声の流れるアニメの劇中歌になる音源を亮ちゃんに聞かせると、亮ちゃんは聞きながら、またミルクティーを飲んで、机の上をトントンと指で叩きリズムをとっていた。  でも、僕はそのリズムがただの四拍子のリズムではなくメロディーを指先で刻んでいることに気が付いた。  僕は声優科でボーカル科じゃないけど、初めて聴いた曲を早く覚えたいときは、メロディーを手で叩いたり体のどこかに聴きながら刻み込むと、その曲をすぐに覚えられると習った事がある。  亮ちゃんもこの曲を記憶しようとしている事が、なんとなくわかった。 「この曲がアニメの見せ場になる。それを演じるのは俺じゃなくてお前なんだな」  口ずさむように亮ちゃんは言った。  僕はその言葉にただでさえ初めてのアフレコに行くのに緊張しているのに、更に緊張を更に煽るプレッシャーをかけて来た。僕はたまらなくなって深呼吸をした。  頑張るねとか一生懸命やるねとか余計なことは言わなかった。  だけど、強く決意する。  僕の役は、僕の役目だ。  歌手になりたかった亮ちゃんの代わりに、声優として必ず歌のシーンも成功させよう。  僕は自分で焼いたフレンチトーストをナイフとフォークを使って食べ、体温と同じくらいに冷めたミルクティーを一気に飲んだ。  亮ちゃんはどう思ったか訊かなかったけど、僕はこの劇中歌が凄く好きだった。ただ主人公になりたかった僕と違って、亮ちゃんは今初めて聴くこの曲が歌いたくて、このアニメのオーディションを受けたんだ。  無性に曲の感想を訊くのが怖くて、僕は出かける準備を支度をして、亮ちゃんがヘッドフォンを外すのを待った。  同じ曲を何回聴くつもりだろう。わからないけど、今は気のすむまで曲を聴かせてあげたい。  亮ちゃんの食べ終わったお皿もシンクに運び、僕はお皿洗いをした。一度お皿洗いを亮ちゃんにやってもらったけど、わざとか?ってくらいの速さで僕のお気に入りのマグカップを割ったので、それ以降、亮ちゃんになるべく食器を触らせないようにしている。  家を出なくちゃいけない時間が迫ってきた。だけど、亮ちゃんは完全に曲と体が共鳴しているみたいに、真剣に曲を聴き酔いしれていた。  亮ちゃんがどんなにこの曲を好きになろうと、この歌えないなんて可哀そうだなと一瞬思ったけど、同情してどうなる。  亮ちゃんだってキャラソンCDを出すんだ。この曲じゃなくても亮ちゃんの夢は叶うんだ。 「亮ちゃん」  勇気を振り絞って、僕は亮ちゃんの肩に手を置き「そろそろ行かないと」と言ったら、亮ちゃんは 「ああ」と言って、歯を磨きだした。  収録スタジオに行くまで、亮ちゃんはヘッドフォンをして、何かの曲を聴いていた。いや、もしかしたらラジオだったのかもしれない。とにかく今は僕と話をしたくないというのだけは伝わってくる。  こんな風には思いたくないけど、僕は亮ちゃんを蹴落としたんだ。  もしも、亮ちゃんが主人公だったら、僕は親友役で合格できていたんだろうか。  空を見上げると薄い雲から見えない太陽が僕らを照らしていた。  きっと、僕は親友役じゃ合格できなかった。台詞量も多いし、細かい技術も僕には備わっていない。でも、僕に出来ないことが、亮ちゃんには出来るんだ。  悔しいけど、今は亮ちゃんについて行くことで精一杯だった。  僕の方が脚長いのになぁ。 ◆  歌いたかったな。コーヒーを飲みながら下手くそな仮歌の、主人公役が歌う挿入歌を聞いてそう思った。  覚えるつもりなんてなかったのに、子役からの長年の癖で、指先でメロディーを記憶しようと体が勝手に動いていた。  いい曲だ。主人公役に落ちてしまったけど、キャラソンで一番人気になってやろうと、自分をふるいたたせて、俺も割り切ろうとした。でもまだやっぱり、主人公役の宇良が羨ましい。  アニメの原作はヒット作。待望のアニメ化で、実は主人公を差し置いて人気キャラランキング一位の役を、俺は射止めた。けど、この曲を主人公役で歌えないのが、素直に悔しいし、目の前でナイフとフォークを品よく使いフレンチトーストを呑気に食べている宇良が、なんで主人公のクール系ギターボーカル役で受かったのが、まだ気に食わないところもある。  でも、家事は全部やってくれるし、なにもしない俺に文句も言わないし嫌そうな顔もしない。 仕事の現場の宇良は新人にしてはよくやっていると思う。二年制のよくある声優養成所で生き残って今の事務所に入れたのもわかるほどの実力もある。  何より驚いたのは、宇良の素直さだ。まだ危なっかしいところもあるけど、ちゃんと俺の言うことをきくということ。アドリブトークは出来ないけど、元々天然な性格なのか、その場の雰囲気によく馴染む体質で『愛され天然キャラ』だし、なにしろ顔がいい。  宇良より先に起きた時、宇良より後に眠る時、その寝顔を俺は何分も眺めて堪能してしまう。美術の彫刻は白い石膏で、どんなに美しいと称賛されても、宇良の顔やスタイルには勝てない。    そっと指先で触れた時の宇良の柔らかな皮膚と温かさ。今までイケメン声優として売れていなかったことが不思議なくらいだ。  俺は自分を不細工だと思ったことはないけど、かっこいいとも思ったことがない。毎月美容室に行って小奇麗にしたりしないといけないし、オーディションの時に提出するプロフィールに貼る宣材写真も、もう二年前の奇跡的に盛れたベストショットをずっと使っている。  早くスタジオについたのでトイレを済ませておこうとしたら宇良がパタパタとついてきた。そして宇良は告白する前の女子みたいにそわそわしながら俺に話しかけてきた。 「ねぇ亮ちゃん、さっき橋田さんの話してくれたけど、亮ちゃんは橋田さんに会ったことあるの?」 「ああ。あるよ」  思い出したくない。だけど忘れられない。忌まわしい記憶。 「橋田奏斗は、子役時代、俺と同じ事務所だった。今年三十歳で、俺の先輩。凄い演技力だよ。十代後半で、アニメ原作の舞台、いわゆる2,5次元舞台の役者だったけど、そこから人気が出て声優として活動し始めてからはトントン拍子に売れた」  橋田の簡単なプロフィール。検索すれば出てくる、彼の表の顔。でも、俺が知っているのは裏の顔だ。 「現場だとどんな感じなんだろう。会うの緊張するなぁ」  宇良が不安と期待に満ちた告白前日の女子みたいに見えた。そんな宇良を見てちょっと和んだ。 「いいな。お前は裏の顔がなくて。名前はウラなのに」 「僕にだって裏の顔あるよ」  宇良はムスッとしながら俺を睨んだ。俺にかわい子ぶる必要なんてないのに、なんでさっきから女子っぽいリアクションばっかりするんだろう。こういう『キャラ』っていいなぁと思ったけど、マネしたいとは思わなかった。 「へぇ、じゃあいつか見せてくれよ」  俺はちょっと皮肉を込めて言ったのに「いいよ!」と、真剣な表情で俺を見てきた。  声優という芸能界で、今は初々しい宇良だけど、いつか突き上げてくる後輩達や、いつまでも新人のノリでは生き残れないことを知るだろう。その時、宇良の裏の顔を見ても俺は今と同じように接することが出来るか、考えて無理だなと思ってしまった。

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