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「ただいま」  そういって部屋のドアを開けると、飛鳥は私たちを交互に見比べてあっけにとられていた。 「飛鳥、彼が山元龍さん。さっきの電話の人。龍、この子が妹の飛鳥。狭いけど入って。飛鳥、龍がちょっと具合悪いからうちで休ませたいんだけどいいかな?」 「うん、もちろん。……ああ吃驚した。はじめまして。妹の飛鳥です。さきほどは失礼しました」  飛鳥がぺこりとお辞儀をすると、龍が笑った。 「さっきはお姉さんと間違えてごめんね。ストーカーじゃないから安心して」 「聞こえてました? スイマセン……」  飛鳥が少しだけ頬を高潮させてまた頭を下げた。飛鳥が、はじらっている様子なんて初めてみたかもしれない。 「龍、ベッドで横になる? それともお茶か何か飲む?」 「そうだな。まずお茶が飲みたい」 「やっぱり日本茶?」 「うんと濃い奴」 「OK。じゃあそこの椅子にすわっていて」  龍のいる空気に慣れてきた私は、ようやく彼の前で普通に振舞うことができるようになってきた。 「あの、スイマセン。具合悪いところ申し訳ないんですけど、ひとつ質問してもいいですか?」  お茶椀をテーブルに3つ並べて、3人で黙って日本茶をすすっていたとき、本来の勢いを取り戻した飛鳥が、急に口を開いた。 「なんでもどうぞ」  龍はお茶を置くと、飛鳥の方に視線を向けて少し笑った。 「ヤマモトさんって、私の知っている瑤子ちゃんの、じゃなかった、姉の知り合いには全くいないタイプなんですけど、どこで知り合ったんですか?」  思わず飲んでいたお茶を吹きそうになってしまった。一方龍の方は飛鳥の、そういう遠慮のない物言いが気に入ったらしい。 「ああ俺ね、君のお姉さんにナンパされたの」 「ええ?! 瑤子ちゃんがナンパ?!」  龍が楽しそうに笑いながら頷いた。放っておくとそのまま暴走していきそうな二人に私はあわてて口を挟んだ。 「ヘンなこと言わないで。写真撮らせて欲しいっていったのは龍でしょう?」 「違うよ。最初は瑤子が俺の前でわざと転んだアレだろう? あれは間違いなく手のこんだナンパだったな」 「わざと転んで、あんなにぱっくり膝小僧から出血するわけないよ」  私の声も過剰に反応してうわずってしまう。龍はいたずらっぽい表情で笑っている。言っていることはむちゃくちゃだったけれど、それらの言葉は、私だけが感じられる微量な甘さを含んでいて、幸福感が全身に染み渡っていくような感覚に痺れるようだった。 「ちょっとスイマセン。また質問」  私たちのやり取りに、飛鳥が冷静に静止をかけた。 「写真ってなんですか? ヤマモトさんが、瑤子ちゃんの写真を撮っているってこと?」  3人の中で、一番まともだったのは飛鳥だったかもしれない。 「そう。俺、写真を撮る仕事をしているんだけど、君のお姉さんには、仕事じゃなく個人的にモデルをお願いして、快く引き受けて貰ったの」 「快く?」  私の声は、飛鳥の叫び声で消し飛んだ。 「瑤子ちゃんが、モデル?! へえええ。瑤子ちゃんそんな話、一言もしてなかったじゃない!」 「撮った写真あるよ。見てみる?」 「見る見る!」  すっかり打ち解けた様子で飛鳥が大きく頷くと、龍はアルミのケースから私の写真を何枚かとり出した。それはいつものように大きめに引き伸ばされたものではなく、一般的なサイズのものだった。  それらに目を落とした飛鳥は、しばらく無言で見つめていたけれど、目を離した後、大きくひとつため息をついてから龍を見た。 「びっくり。こんな瑤子ちゃん初めてみた。ヤマモトさん魔法使いみたい」 「魔法使い……ね。すごい褒め言葉かも」  龍は微かに笑ったけれど、疲れたのか背もたれにだるそうに体を預けた。やっぱり辛そうだった。 「龍、もう寝た方がいいよ。横になると楽になるよ」 「うん。じゃあ、少しだけ寝させてもらおうかな」  いつもより緩慢な動作で立ち上がった龍の背中に、そっと手をあてて隣の寝室へ案内した。ベッドに横になった龍に蒲団をかけた。 「大丈夫? 寒くない? 熱はどう?」  形のいい龍の額に掌をあてると、やっぱりかなり熱かった。 「瑤子の手、冷たくて気持ちいい」 「タオルで冷やす?」 「いや、いい。ただ瑤子の手が気持ちよかっただけだから」 「寝れば少し楽になるよ。起きたら一緒にご飯食べよ?」  彼の耳元でそう呟くと、龍のふわふわな髪の毛をそっと撫でた。私の手の中で、龍はとても安らいでいるように見えた。すぐに龍の呼吸が規則正しくなっていって、あっという間に眠りに落ちていってしまった。多分、物凄く疲れていたのだろう。そんな状態でこうして私に会いに来てくれた龍を見ていたら、また涙が出そうになった。  しばらく龍の寝顔を見つめてから、冷えたタオルを額に置いて静かに部屋を出た。リビングに戻ってくると、お茶を片付け音を絞ってテレビを見ていた飛鳥が振り返った。 「寝たの? ヤマモトさん」 「うん。熱もあるし疲れていたみたいで、すぐ寝ちゃった。今日アメリカから帰ってきてすぐこっちに来てくれたみたいだったから」 「しっかし驚いた。ヤマモトさんの登場には」  ダイニングテーブルの椅子にすわると、飛鳥も私の前の椅子に腰掛けた。 「ぜんぜん話をしてくれてなかったじゃない。いきなり目の醒めるようなイケメンを連れ帰ってくるんだもん、ビックリしたよ」  飛鳥は声をひそめながらも、瞳をまんまるにしていった。驚いたときによく見せその表情に、思わず笑ってしまう。 「しかもさ。ヤマモトさんが撮った瑤子ちゃんの写真、なんだか凄くない? プロってみんな、ああいうレベルなの?」 「私もよくわからないけど、龍の幼馴染だっていう編集者の人は、龍には凄い才能があるって言ってた」 「へえ。話聞けば聞くほど瑤子ちゃんとヤマモトさんの組み合わせって不思議だよね。縁がなさそうなのに、2人でいて違和感ないし」 「私も不思議」  そういって笑うと飛鳥はそんな私をじっと見たあと、静かにいった。 「あの人のために亮輔君と別れたんだ?」  確信のこもった声に、ごく自然に頷いた。 「でもね。つきあってるわけじゃないの。私が勝手に彼を好きになってしまっただけだから」  できるだけさりげない様子でそういってみたけれど、飛鳥は眉を寄せ難しい顔をした。 「どおりでずいぶんぼんやりしてると思った。失恋と勉強疲れかと思ったら、恋煩いだったとはねえ。相変わらず、何にも言わないで一人で悩んでいるんだから」  飛鳥のあきれた声に苦笑するしかなかった。 「2ヶ月近く、龍が撮影の仕事でアメリカに行っててずっと会えなかったんだけど、龍の不在があまりに苦しくて、ひたすら勉強やって気を逸らしている感じだったの。あんなに大事な留学試験のことが二の次になっちゃってるし。だからこの時期、龍がアメリカに行っていたことは、試験のためにはよかったのかもしれないけど」  テレビ画面をただ目に映しながら、自分の中から湧き出る言葉を、吐き出し続けた。 「もし試験に受かって留学することになって、龍と離れることなんて私にできるのかな、とか、留学して離れ離れになっているうちに、私の存在を忘れ去られていくその時間に耐えることができるのかな、とかね。 龍にとって相性のいいモデルだからよくしてくれているのに、こんなに好きになっちゃって。どうしたいのか、よくわからなくなってきちゃった」  ずっと出口を捜し求めて私の中で渦巻いていた思いが、止まらずにあふれ出してきていた。飛鳥はじっと話を聞いていたけれど、私の話が途切れたところではっきりとこう言った。 「あんな写真を撮ってくれて、しかもアメリカから帰ってきた当日、熱もあるのに瑤子ちゃんの所へ直行してくれたヤマモトサンに対して、ずいぶん自信のない発言をするんだね」 「え?」 「瑤子ちゃんのこと、単なるモデルだと思っているのならあの人、絶対そこまでしないと思う」  飛鳥はやり手の占い師のように、気持ちいいくらいすっぱりと言い切った。 「もっと自信をもったら? 瑤子ちゃんが思っているより、ヤマモトさんは瑤子ちゃんのことを好きな気がするよ。  留学したって私はへっちゃらな気がするけどね。ヤマモトさんだって今回みたいに、アメリカいったり、どっかに出張することだってあるでしょう? 瑤子ちゃんだって忙しいほうが、じとっと帰りを待つよりよっぽど建設的だよ。  恋愛のことだから完全保証はできないけれど、亮輔君よりヤマモトさんとの方が瑤子ちゃんと噛みあっている気がするなあ。瑤子ちゃんの表情が物凄くいいもん」  飛鳥はそういって微笑んだ。冷たい水で顔を洗ったときのような、ぼんやりと霞んだものをクリアにするような笑顔だった。 「振られるかもしれないなんて気弱なこといってないでさ、もっとストレートに気持ちをぶつけた方がいいんじゃないの。まあ二人にしかわからない空気っていうのもあるのかもしれないけどさ」  飛鳥は、よいしょっと立ち上がった。 「私、もう仙台に帰るよ」 「ええ? だって、明日帰る予定だったじゃない」 「別にいつ帰ったって問題ないんだからいいよ。それより熱だしている人を、ほっとくわけにはいかないでしょう? 看病してあげてクダサイ」  飛鳥は部屋の隅にまとめておいた荷物を手際よく肩に背負うと、玄関に向った。 「じゃあね。忘れ物あってもいいや。どうせまたすぐ来るし」 「飛鳥、ホントに帰っちゃうの?」 「うん。ヤマモトさんにどうぞよろしく」  飛鳥はあっさりとそういうと、さっさと靴をはいた。 「ゴメン。送ってあげられなくて」 「もう小学生じゃないんだから一人で帰れるよ。今度は会うときは一緒に住むときだね。その時はよろしく」 「うん、こちらこそ。気をつけてね。」  私より背も高くショートカットの飛鳥は、少年のような軽快さで、さっと手をあげると、あっという間にドアの向こうへと行ってしまった。  
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