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レイは注湯器に残った湯を捨てようとして、それを持ったまま、俺を見つめる。 その瞳にはどこか諦めるような色が映っていた。 「どうした……?」 「あ、いや……何でもな……」 寂しげに首を振ろうとするレイの顎を、ぐいと引く。 そっと口付けて、離す。 「何でも話してくれるんだろう?」 「い……、いや、その……」 「では質問を変えよう。お前はどうして、背を打ったんだ?」 「え……?」 レイの青い瞳が不思議そうに俺を見る。 レイは「ヘマして」とだけで原因を口にしなかったが、家にいて、治療が必要なほど激しく背を打つなんて、そうそうある状況じゃないだろう。 それも、こいつのように普段から鍛えているような男が。 おそらく俺を庇ったのだ。 だから、それを言えずに、誤魔化した。 ただ、俺とて杖をついているし、そうそうフラつく事はない。 レイは、俺と共に過ごすようになって、真っ先に風呂場に椅子を買った。 『無いと危ないだろ』と。 おそらく俺がフラついたのはココだ。 俺の家には、足を悪くしてすぐに風呂椅子が買ってある。 無かったのはレイの家の風呂場で、そしてこいつは俺を庇って背を打った。 一緒に入っていた理由は、おそらく……。 「あ……」 ハッとレイの青い瞳が揺れる。 どうやら、俺が何を考えているのか気付いたらしい。 「遠慮をする事はない。俺たちは対等な関係ではないのか?」 なるべく優しく囁けば、レイの青い瞳が俺を求めるように瞬いた。 金色の長い睫毛が、欲を滲ませた青い瞳を彩っている。   なるほど、そうだな。 こんな風に求められるというのも悪くない。 こいつが望むなら、何でもしてやろうという気にはなるな。 レイはごくりと喉を鳴らして、慎重に尋ねた。 「……いいのか……? だってお前……まだ……」 その遠慮の全ては、俺のためなのだろう。 お前は、それを望んでいる癖に。 俺の望みには、そんなに懸命に応えようとしてくれる癖に。 俺は、自然と微笑みを浮かべ、答える。 「ああ、対等な関係に不平等があるのは良くないだろう」 レイは一瞬目を見開くと、嬉しいんだか悲しいんだかよくわからない顔をした。 「……やっぱ、ルスはルスなんだな……」 「? 俺はお前に抱かれてたのか?」 首を傾げて尋ねると、レイは残念そうに苦笑して言った。 「何も起きなきゃ、そうなってたはずなんだけどな」 「ふむ……お前はお預けを食らってたのか」 だとしたら、待たせた分も、俺から抱かれてやるべきなのか? レイを抱く気は満々だったが、俺が先だと言う気はない。 自身の顎を撫で、考えながら言った俺の言葉に、レイは自嘲混じりに笑った。 「ハハッ……。焦り過ぎた俺が悪かったんだよ。自業自得だ」 青い瞳は力を失うように視線を落とす。 「それなのに……俺のミスに、ルスを巻き込んじまって、ごめんな……」 項垂れたレイの頭をそっと撫でる。 「謝罪は、もう飽きるほど聞いた」 まだ濡れたままの髪の中で、指先がレイの傷痕に触れた。 「痛っ……」 びくりと肩を揺らすレイ。 俺は慌てて手を引っ込めた。 「すまない…………。お前、まだその傷は痛むのか……」 その傷は、俺を庇って受けた傷だ。 もう何年……こいつは痛みを受け止めていたのか。 「いや、その……何箇所かだけな。触らなきゃ大丈夫だ……」 レイが言い辛そうに答える。 「前の俺は知っていたのか?」 「……まあ、な……」 「それなら俺にも話してくれ」 「……できれば、言いたくなかったんだよ……」 真剣に見つめると、レイはバツが悪そうに目を逸らした。 「俺のために。か」 「……」 答え切れないレイを、俺は抱き寄せる。 「お前の気持ちは嬉しい。お前が俺を大事にしてくれているのは分かっている。だが、それとこれとは別だ」 俺の言葉にレイが息を詰めるのが分かった。 「お前とは対等でありたい。俺は、お前と真っ直ぐ見つめ合える関係でいたいんだ。だから、もう隠し事は無しにしてくれ」 「ルス……」 耳のそばで、レイが小さく俺の名を呼ぶ。 縋るようなその声に、俺はレイを二度と泣かせたくない気持ちと、俺の下で啼かせたい気持ちが同時に湧いた。 「……もう隠してる事はないか?」 欲を必死で抑えながら尋ねれば、レイは目尻に涙を滲ませたまま渋々言った。 「……天気の悪い日にも、痛む……」 「そうか、よく教えてくれた。これからは配慮しよう」 俺は、レイの後頭部ではなく、側頭部を撫でた。 「ん……」 レイは俺の手にそっと手を添えると、苦笑を浮かべて頬を擦り寄せる。 甘えるような仕草に、俺は頭の中がくらりと揺れた。 何だろうな、この可愛い生き物は。 「俺……、っ俺、ルスの後ろ、洗っていいか?」 もじもじとしながらも、レイは俺にねだる。 青い瞳には素直な期待が宿っていて、それに応えられることを俺は嬉しく思う。 「ああ」 俺が笑えば、レイもまた喜びを滲ませて、はにかんだ微笑みを見せた。 ふと、学生の頃、食堂で譲ってやった唐揚を思い出す。 食べ盛りだったあの頃、それでも隣で食べ終わったレイの視線に負けて一つ譲ってやった。 あの時も、ちょっと申し訳なさそうに、それでも嬉しくて仕方ないという、喜びの隠せない顔でレイは笑った。 「その椅子さ、逆向きに座ってくれるか?」 レイの声に、俺が短い回想から戻れば、レイは湯を足した注湯器と石鹸まみれの手を構えていた。 やる気あふれるその姿に、苦笑を噛み殺しながら俺は要望に従う。 そこで俺はようやく、レイが買ってきた風呂椅子の座面がコの字形をしている理由に気付く。 介助用の椅子だとレイは言っていたが、こういう介助が目的だったのではないか……? レイは、俺の背に寄り添うようにして後ろに指をあてがうと、緊張を解こうとするかのように息を吐きながら囁いた。 「力、抜いててくれな。……優しくするから……。えと、苦しい時は、ゆっくり息を吐いてくれ」 何でお前が緊張してるんだ。と思いつつも、答える。 「ふむ。怪我をした時の呼吸と同じだな」 俺の言葉に、レイは背で小さく笑ったような気がした。 「ああ、そうだよ……」 その声がどこか優しく、懐かしそうに響いて、きっと俺は前にも同じような返事をしたんだろう。と気付いた。

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