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どうしてと問われて、浮かんだ理由はどれも、俺がルスの情に縋って、甘えただけの事実だった。 俺がいつまでも、しつこくお前を思ってたから。 俺がお前を、ずっと諦められなかったから、お前は仕方なく俺を許してくれただけなんだ。 お前は俺に、負い目があったから。 この後頭部の怪我に、あの子との結婚に、あの日の一撃……。 俺はそうやって、少しずつこいつに恩を売り続けて、真面目なこいつは、俺を受け入れざるを得なくなった。 でも、今俺の前にいる、目の前のルスにはそれがない。 俺に負い目のないルスに、俺を受け入れる理由はひとつも無かった……。 「どう……して、なんだろうな……。お前が、優しくて……俺が、卑怯だったから……かな……」 夢のような幸せが、確かにここにあったのに。 俺の迂闊さがそれを泡沫の夢に変えてしまった。 俺があの時、調子に乗って剣を手放したから。 俺が、ルスの体を、もっと労わってやれなかったから。 俺がルスに無理言って、背を怪我をしたから。 後悔は止めどなく胸に溢れる。 「……っ」 軋み続けた胸は、後悔を内に堪えきれず、嗚咽となって零れた。 「ま、待て待て、別に君を責めているわけじゃない。そう思い詰めてくれるな」 そう言って俺を見つめる黒い双眸。 俺を励ますように、俺の肩にルスの手がそっと添えられる。 ルスの手は、変わらず温かかった。 ルスは心底弱った様子で、俺に言う。 「……すまない。私の配慮が足りなかった。私と君は恋仲だったのだな。団長に君の名を問われた際に、もっと聞いていれば良かった……」 つか……団長、俺の事ルスになんて言ったんだよ……。 ルスはなおも申し訳無さそうに謝る。 お前が俺に謝る事なんか、いっこもねぇよ……。 「恋人に忘れられてしまうなど、さぞ辛かったろう……。中々言い出せなかったのも、仕方あるまい」 ルスはほんの少し迷いながらも、俺をその胸に抱いた。 ルスの胸は、やっぱり広くて、温かくて、柔らかい。 「私はどうも、鈍感なようでな、時折こう言う事をしてしまう……。いや、悪気は無いのだが……」 「……知ってるよ……」 俺の呟きに、ルスの声が少しだけホッとした響きになる。 「もう少し待っていてくれ。医者も、一過性のものだろうと言っていたし、私も思い出せるよう努力する」 ああ、ルスは記憶を失っても、やっぱ男前で、優しいんだな……。 そう、ルスは優しい。誰にだって。 ……見ず知らずになった、俺にも。 だから、今までだって、俺にだけ優しかったわけじゃないんだ……。 記憶を失ったのが、もし俺だったら、ルスはどうしただろうか。 恋人だと、言ってくれただろうか。 恋人に戻りたいと、思ってくれただろうか。 『俺はお前に愛してもらって、とても嬉しい。俺を好きだと思う事を、お前が恥じたり申し訳なく思う必要は、どこにもない』 花とともに渡された、ルスの言葉が胸に蘇る。 でも、俺にそう伝えてくれたルスは、もうどこにもいないんだ。 そう気付いた途端、足元が崩れた。 膝にも腰にも力が入らなくて、俺はその場にへたり込んだ。 よいしょ。と杖を下ろして、ルスが目の前にしゃがみ込む気配がする。 「……参ったな。今の私では、君になんて声をかけてやれば良いのか分からないんだ……。君の知る私は、君になんて言っていたんだ?」 俺に……? 「……俺を、幸せにしてくれるって、言ってた……」 ぼろぼろと溢れる涙と共に、優しい思い出が胸から溢れる。 溢れたそれが、涙とともに消えて無くなってしまう気がして、俺は必死に胸を押さえ付けた。 ふ。と小さく笑う気配がして、顔を上げれば、ルスは優しく微笑んでいた。 「それなら私も、君を幸せにすると誓おう」 「な。ん……で……」 俺は、言葉が止められなかった。 「お、っお前にとって、俺なんて、昨日名前を知ったばっかの、何も知らねー奴だろ!?」 「だが、記憶を失う前の私がそう言ったのだとしたら、そうする義務が、私にもある」 俺を見る黒い瞳は、苦しげに眉を寄せる。 「義務……。っ、そんな義務、俺はお前に背負ってほしくねーんだよっっ!」 伸ばされた手を、温かいその手を、握ってしまわないように、振り払う。 「いいよもう、放っといてくれよ! 俺のこと、忘れちまったんだったら、もう……っっ」 夢のようだった。 けれど、本当に、それは一瞬の夢だったんだ。 俺が、こんな優しいやつ独り占めして良いわけない。 まだルスは足が不自由なだけで、体だって心だって元気なんだ。 相手が俺じゃなきゃ、子どもだってまだできるだろう。 ルスは、子どもが好きだし、絶対いい父親になれるんだから。 「ああそうだ。これを機に、誰か良い女性を探すのもいいな。……っ俺が、良い人紹介してやるよ!! だから……っっ」 ぐい。と顎を引かれて、俺は口を塞がれた。 ルスの分厚い唇が、俺の唇に重なっている。 ……え……、な、ん……。 「落ち着け。取り乱すな。少し待ってくれと言っただろう?」 ルスは、辛そうに眉を寄せている。 「俺だって、思い出せるものならすぐに全てを思い出してやりたい。……だが、どうしても……、出来ないんだ……」 言葉の最後は、絞り出すような声だった。 俺はハッとする。 俺が不安になって、泣き喚いて、ルスを追い詰めてどうすんだよ!! 本当に不安なのは、何も思い出せないルスだろう!? 「わ、悪ぃ、俺……っ」 ゴシゴシと乱暴に顔を擦る。 「そう手荒にするな、せっかくの綺麗な顔が傷んでしまうぞ」 「お、おま……っっ」 俺が顔を赤く染めると、ルスはどこか悪戯っぽく目を細めた。 「だが、そうだな。思い出せなくとも、分かったことならある。お前は、俺のことが随分と大事なようだな。自分を犠牲にしてでも相手の幸せを願うだなんて、なかなか出来ない事だ。その気持ちはとても嬉しい。お前のことを覚えていない俺が、その気持ちを受け取って良いのかと、戸惑うほどにな」 「そ……、んな……、っっお前っっ、人ごとみてーに言うけどな、お前が怪我したの、俺を庇ってなんだからな!!」 「そうなのか? 頭部強打としか……」 「そーだよっっ! 俺のこと庇わなかったら、ルスは頭なんて……、打たな…………っ」 そこまでで、またじわりと滲んできた後悔の涙を、今度はルスが指で拭った。 「泣くんじゃない。お前が泣くと、俺は胸が痛い」 そういや、『私』とか言って『君』とか呼ばれてたのが、『俺』と『お前』に戻ったな。 少しは俺に、気を許してくれたって事か……。 痛む胸に、それでも確かに、小さな喜びが生まれる。

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