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 引越しの挨拶のとき、薫は裕也の家に来なかった。  初めて逢ったお隣さんは、絵に描いたように綺麗な人たちだった。濃紺のスーツ姿の背の高いお父さんと、薄いピンクのブラウスがよく似合う小柄なお母さんは、都会的な雰囲気があって、裕也をドキドキさせた。 「裕也、何してるの? こっち来なさい」  行儀悪く居間からチラチラと覗いていた裕也に、母が手招きする。それでも、なんだかくすぐったいような感じがして、裕也はドアから半分だけ顔を覗かせて、もじもじと動けずにいた。  するとふわふわな髪をしたお母さんが、裕也を見つけて、嬉しそうに笑いかけた。 「家の薫は、裕也君と同じ学年になるの。仲良くしてやってね」  細い声が柔らかく耳に届いて、裕也は言葉もなく、ただコクコクと頷いていた。  約束は、絶対守ろうと思っていた。あんなふうに優しく言われたお願いを、破る気なんかなかった。むしろ薫に逢うのを、とても楽しみにしていた。  でも、せっかく同じクラスになったのに、薫は大人しすぎて、新学期のにぎやかな輪に入りずらそうにしていた。それをわかっていながら、裕也も新しい毎日に夢中で、今日まで声をかけることも出来ずにいた。だから朝、薫を見かけて手を繋いだとき、その約束がやっと守れたような気がして、すごく嬉しかった。  なのに、こんなことになるなんて。 「僕の、せいだ……」  じわっと視界が潤んだ。 「裕也くん?」  びくりとして、裕也が立ち上がる。駆け寄ってくる薫のお母さんの顔が、ゆらゆらと揺れる。 「ご、ごめんなさい!」  身体をふたつに折り畳んで、頭を下げる。 「ぼ……、僕が、薫君のこと、無理に引っ張ったんです。そしたら、薫君、いきなり倒れて……」  俯いた足元に、涙がぼろぼろと零れていく。いろんなことが怖くて、口が上手く回らない。顔を上げることも出来ない。

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