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 ふたりが消えた店内は、今までが騒々しかった分閑散さに磨きがかかって、そこはかとなく居心地悪くなってくる。そんな裕也の気持ちに気づいたのか、たまたまなのか、薫が背もたれによりかかったままの姿勢で、両手を上げて伸びをする。 「裕也の、これからの予定は?」  背伸びのついでに問いかけられて、 「特に、ないけど」  そのまんまを応えれば、 「せっかくの短縮授業なのに? 寂しい奴」  ちくりと嫌味が飛んでくる。 「おまえに言われたかないね」 「それもそうだな」  くすくすと笑う薫が、空を見上げる。 「なぁ」 「ん?」  ふわふわと流れる雲は、山なみに近づくほどに濃くなっている。 「川原、行ってみないか?」 「川原?」 「うん」  時間限定の晴れ間。  変わりやすい梅雨の天候は、夕方の雨を予感させて、裕也が迷う。雨は、薫にとって天敵だった。濡れるのはもちろん、雨の前の冷たい風でさえ、薫の身体には障る。 「昨日迄の雨でさ、川の水嵩すっごいことになってるんだ。裕也、知らないだろ?」  子供みたいに、薫が言う。けれど、薫の無邪気な誘いに、裕也はすぐに頷けない。  元気そうに見えても、薫は病み上がりだった。それも、昨日退院したばかり。その薫が、増水した川を眺めるために、川原に行こうと裕也を誘う。簡単に頷けないのは、きっと裕也に限ったことじゃない。でも、ここで断ったりしたら、薫は意地になって、ひとりで川原に行こうとするだろう。それはきっと、もっとまずい。  そんなこんなな思考が入り乱れて、黙り込んでしまった裕也を、怪訝そうな瞳が覗き込む。その瞳が敏感に裕也の気持ちを察して、むっとしたように逸らされる。 「嫌だったら、来なくていい」  ガタンと勢いをつけて立ち上がった薫が、さっさと歩き出す。 「おい、待てよ。別に嫌だなんて言ってないだろう」  慌てて追いかけて腕を取る裕也を、責めるように見上げてくる。その視線を正面から受け止めて、裕也が笑う。 「川原だったら、チャリいる?」 「いらない」 「じゃ、歩き?」 「うん」  小さく頷く薫は、きっと言いたいことを我慢している。でも、不満げに歪んだ唇はしっかりと閉じられて、本当のことは口にしない。俯いた薫の表情が、大人びた諦め顔に変わる。 「ここって、俺の分も、渡会?」 「もちろん」  打てば響くように、裕也が応える。 「だから直己の分と合わせて、俺、立て替えとくよ。おまえ、先行ってな。支払い済ませたら後追うからさ」 「金持ちだなぁ」 「まかせとけ!」  軽口に流される会話。  滞る何かを押し流すように、元気に振舞う裕也に背を向けて、薫は歩き出す。喫茶店のドアベルがカランコロンと、どこか寂しげに揺れていた。

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