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 次にテナントに入ってもらう人物を探した。琥太郎に打診したところ快諾したので、残りの四部屋をどうするか考える。一部屋はルキが管理事務所を構えることにした。しかしあと三部屋──空室にしているのは喜ばしくない。 「ああ、店を開きたいって方、俺知っとります」  琥太郎に紹介されたのは、ルキがかつて退治したサキュバス──綾香汐乃だった。ルキの顔を見るなり、汐乃の表情が引きつったが琥太郎に宥められて大人しくなった。  ふたりは『赤木ルキの被害者会』のメンバー同士だった。他にも数人の妖怪が所属している。そんなものが発足されていたとは──さすがにルキも苦笑した。 「私、今別のサロンで働いてるけど、独立しようかなとは考えてるのよ……でもねえ」 「ほほう。いいじゃないですか。全力で手助けしますよ。なにか疑問点があるなら遠慮なく仰ってください」 「……あなた、このビルに妖怪や悪魔を閉じ込めて一気に退治しようとか、そういう算段じゃないの?」 「それはないです。僕はもうしばらく妖怪退治をやっていないので、昔ほどの妖力は使えません。今ならあなた方の方が強いかもしれないし、危ないのは僕の方ですよ」  ──まあ、嘘じゃない。妖力は磨かなければ、錆びていくだけだし。  響が亡くなって丸三年が経とうとしており、その間一度も妖力を使っていない。ルキはほぼただの人間だった。 「今ならあなたに誘惑されたら、僕はしっかり搾られるでしょうね」 「……私にだって捕食対象を選ぶ権利はあるわ。頼まれてもあなたなんか嫌よ」 「まあまあ、汐乃さん。とりあえず、考えてみましょ。俺達がルキさんにシメられたおかげで、今の生活があることには違いなかですし」  こうして、まずは二店舗。焼肉屋とサロンが入ることになった。その後は、様々な妖怪達が商いをして出たり入ったりを繰り返すが、最初の二店舗はずっと残っている。  彼らが成功していくのを直近で見られることを、ルキは誇らしく思った。それと同時に響が亡くなった時の自分を救ってもらえるような気分だったが、それはルキの胸の中だけに留めておくことにしている。  だけど、もう──大切なものは持ちすぎない。いつか失くしてしまう恐怖は拭えない。  ルキはひとり、部屋の中で大きな溜息をついた。 * 「こんにちは。ブラックコーヒーを一杯いただけますか?」 「ルキさん、いらっしゃい」  ランチタイムの終わりかけにルキがパライソへやって来た。潔子はルキをカウンターへ案内し、慣れた手つきでドリップペーパーを広げ、本日のコーヒー粉を投入する。今朝、玲とふたりでせっせと豆を挽いたものだ。  お湯を注ぐと香りが上り立つ。潔子はこの香りが大好きだ。  真っ白なコーヒーカップに注いで、ルキの前に置くといつも通り満足そうに口元へそれを運ぶ。 「あの、よかったらこれもどうぞ。試作品なんですけど」 「……クッキーですか? 僕、甘いものは……」 「チーズと黒胡椒を練り込んだ、甘くないクッキーです。今度琥太郎さんのお店とのコラボメニューで出そうかと思って、試作品を作ってみたんです」 「へえ。クッキーって甘いものばかりじゃないんですね。いただきます」  ルキがそれを一ひとつ口に放ると、「んっ」といつもよりやや低い声を出した。聞いたこともないような驚き方に、潔子は背筋がピンと伸びる。ルキが咀嚼し終えるのを、じっと見つめて待っていた。 「うん、美味しいです。コーヒーじゃなくてビールで食べたいですね。僕でも食べられるクッキーがあるなんて驚きました」 「よかったです。他のお客さんにも好評なんですよね」 「ええ。それより潔子さん、あまり僕をじっと見るのはやめた方がいいですよ。ネッ、玲くん」  カウンターの端でフルーツを切りながら、玲が潔子とルキの方をじっと見ていた。ルキに名前を呼ばれてびくりと肩を上げたが、すぐに平静を装って「別に」とフルーツに視線を移す。  ルキは玲を呼びつけて、こそこそと耳打ちをする。ルキがなにを言ったのかは潔子には聞こえなかったものの、玲の顔が一気に赤くなり不機嫌そうにキッチンの中に入ってしまったので、おそらく玲の怒りを買うようなことでも言ったんだろうと推察する。  ──不機嫌になった玲さんのフォローするのは私なのになあ……。 「潔子さん」 「はい?」 「玲くんのこと、大切にしてあげてください。潔子さんがいないと彼はダメみたいなので」  ──ダメって……。そんなことないのにな。  ルキはコーヒーを飲み干して、パライソを出ていく。帰り際にはいつもと変わらない、つかみどころのない笑みを残していった。 

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