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*  来る月曜日。玲はサルーテを訪れていた。玲の入会を喜ぶ希良を見て、緊張が解れた。  現在の玲の身体は目立った特徴もない普通の成人男性の身体だ。中肉中背。太っても痩せてもいないし、筋肉も人並み程度。どこにでもいる二十九歳の男の身体だ。  ジム通いの目的を聞かれて、とりあえず健康維持とだけ返しておいた。本当は腹筋を六つに割るという目的もあったが、希良に話すと全力でフォローをしたがりそうなのが容易に想像できたため、玲はそれを伏せておいた。 「うーん、じゃあちょっと軽く筋トレしてみようか」 「はーい」 「このマシンに座って、この持ち手をぐっと引っ張ってね」  マシンに座らされて、リュックサックを背負うようなポーズになる。身体を折り曲げるようにして、マシンの重りを上げると腹筋の辺りに軽く痛みが走る。体幹を鍛えるマシンだそうだ。  ゆっくり息を吐きながら重りを上げ、下げる時に息を吸う。それを繰り返してねと言われて希良が離れた。  すぐ目線の先のマットの上で潔子も筋トレに励んでいる。潔子の腰に希良の手が触れるが、潔子は確かに嫌がる素振りを見せない。  もちろん、希良に変な下心などないことは玲にもわかっている。あくまでサポート程度だ。  ──わかってるけど……。  ふたりの様子から目が離せない。筋トレの手も止まってしまう。 「あら、玲ちゃんもジム通い始めたのね」 「うおっ……びびった。あー……潔子には負けてらんねえっすから」 「ふーん……潔子ちゃんの様子が気になったわけじゃなくて?」  汐乃は玲の頬を人差し指でつんとつつく。派手な外見とは対象的に汐乃の爪は短く切り揃えられて、透明なジェルを塗っているだけだ。  ふたりのやりとりを周りの利用者がぽかんとしながら眺めていたが、玲も汐乃もそれを気にすることはない。 「別に! 俺は体力向上のためっすよ、ただそれだけ」 「そう。その割には筋トレがおざなりになっているけど?」 「汐乃さんが話しかけたからでしょ。俺は腹を六つに割るって決めたんすよ、邪魔しないでください」  そんな話をしていたら、目の前には名前通り目を輝かせた希良がいた。普段からいきいきとしているけども、今の希良は水を得た魚のようだ。筋肉を得た希良。 「腹筋を六つに割る!? 玲くん、それ僕にお手伝いさせてよ! どうして早く言ってくれないのさ。さっきは健康維持のためって言ってたじゃない」 「は……いや、別に……」 「あら、筋肉オタクの心に火をつけちゃったわね。頑張ってね玲ちゃん」  汐乃は涼しい顔でランニングマシンの方へ向かう。楽しそうな希良の目を見ながら、玲は抵抗を諦め希良の筋肉理論を聞き続ける羽目になった。  トレーニングの話から食事の話、筋肉の話と多岐にわたる。楽しそうな希良の邪魔をするのは気が引けて、玲はただ頷くだけの機械と化した。  ──長い……。  好きなものにここまで情熱を注ぐ希良のことは尊敬に値する。食べ物の話からトレーニングの話、効率いい筋肉のつけ方など、よくよく勉強しているのが伝わってくる。たんぱく質がどうこう、という話に空返事をしながら玲はそんなことを考えていた。 「本当はお日様を浴びながら運動するのが一番いいんだけどねえ」  そうこぼす希良の声は、ほんの少しだけ悲しみが乗っかっている。  吸血鬼は夜しか活動ができない。太陽の光は希良の命を食い尽くし、やがて吸血鬼をただの灰に変える。  せめて昼も営業できたなら、もっと多くの人に希良の知識を分け与えられるのに、身体はそれを許してはくれない。そのもどかしさは玲にも痛いほどわかった。  先日の琥太郎の店のように手伝ってあげられればいいのだが、希良の場合はそれも難しい。 「……まあ、死んだら元も子もないし。太陽浴びなくても希良は元気いっぱいだろ」 「うん……。ところで玲くん大丈夫?」 「なにが?」 「首の辺りがちょっと青くなってきてるけど……」  そう言われた瞬間に一気に身体が乾くような感覚に襲われた。それはさながら砂漠の中に放置されてオアシスを探し求める旅人のように──。  玲は荷物をまとめて慌てて自室へ戻った。夢のシックスパックまでの道のりは大分遠そうだ。

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