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 潔子と玲には恋人という関係性が加わった。潔子はまだ接触に抵抗があるようだが徐々に落ちつきつつある。  月に一度の心療内科の受診のときに、玲が付き添いたいと申し出た。  診察に時間がかかるかもしれないと伝えたところ、玲は出かける直前まで水に浸かって半乾きの髪のまま潔子についてきた。 「俺ができることを知りたい。そういうのは医者に聞くのが一番いいと思って」 「……ありがとうございます。とりあえず、当面の目標があるんですよ、私」 「へえ、なに?」 「玲さんと手を繋ぎたいです。できたら、素手で」  目標だなんて大袈裟だが、今の潔子にとってはそれが一番の望みだった。玲は口元を押さえたまま耳を赤くした。潔子の左手に触れて、指を絡めた。恋人がするような繋ぎ方に、玲の熱が潔子にまで伝導してくる。 「手袋してっけど……これで目標に一歩近づいただろ。はい、お前はすごいえらい」 「褒め方雑ですよね。もっとこう……モチベーションが上がるような……」 「えらいえらーい……これでいいか?」  心療内科では医者が「ありゃ」と言いながらも、人のよさそうな笑みを浮かべていた。いい彼氏ねえ、と言われて玲は照れ臭そうだったが潔子は胸を張って頷けた。そこは謙遜しろと玲が言ったけども、潔子は聞こえないふりをする。  焦らない、慌てない、諦めない──潔子が初めてこの病院を訪れた時にもこの医者はそう話していて、玲にも同じことを伝えていた。周りが焦らせれば焦らせるほど本人の負荷となることを忘れないようにと優しいながらも、釘を刺すような言い方をしていた。玲はそれを自身に刻むようにゆっくりと頷く。  帰り道でも呪文のように玲はそれを唱えていた。途中でわけがわからなくなって「焦らない焦らない……あれ?」と言っていたのに、潔子はいささか不安を覚えたが、手袋越しの熱を疑うことはない。  しばらくして、潔子は久しぶりにサルーテにも顔を出してみた。希良の顔がぱっと明るくなり、飛び跳ねるようにして潔子に駆け寄る。久しぶりにストレッチをしたら潔子の身体は石のようにがちがちに凝り固まっていて、鍛え直しだねと希良に笑われた。 「……筋肉は一日にしてならずですね……」 「お、それ名言だね! 今度大きな紙に書いて壁に貼ろうかな」  ──これ、明日筋肉痛確定コースだな……。  その日希良は潔子の身体に触れることはなかった。こういう優しさが嬉しいが、潔子としてはそれに慣れていく必要がある。できるだけ遠慮しないでほしいと伝えたら、希良は握り拳を作り「うんっ!」と返事をした。  それから、ファムファタルにも顔を出してみた。全身はまだハードルが高いので足だけ解してほしいと頼んだところ、汐乃は嬉しそうに目を細める。 「って……ふくらはぎパンパンよ……」 「ここのところ忙しかったんで……痛っ」 「あらごめんなさい。身体が疲れたらいつでもいらっしゃい。すっきりさせてあげるから」  ゆっくりではあるが少しずつ元に戻りつつある。そうしているうちに季節は春を迎えようとしていて、パライソもオープンから一周年を迎えた。一周年記念のランチプレートを出したところ、またもや客が殺到し玲も潔子も忙しい日々を送ることになった。  仕事を終えてから、ふたりの時間を過ごすことも多くなった。といっても、並んでテレビを見たりだとか、お茶を飲んだりだとか、そのくらいだ。  今日はパライソを閉めてから玲の部屋で過ごしている。次の日が定休日の時は、こうやって遅くまで起きているのが習慣となっていた。 「なあ、潔子。今日もあれやるか?」 「あ……そうですね、お願いします」  玲はベッドサイドの戸棚から一枚の紙切れを取り出す。何度も使っているせいか角が折れていたので、次回はクリアファイルを持ってこようと潔子は思った。

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