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 ヒーリングサロン『ファムファタル』の扉を開けると、ラベンダーのような香りが一気に身体を包み込んだ。やや緊張していたものの、その香りのおかげでほんの少し潔子の心が解れた。 「いらっしゃい、待ってたわ」 「今日はよろしくお願いします」  キャンペーン期間ということで、早速施術を受けてみることにした。  玲からいろいろと怖い話を聞いていたものの、基本的にサキュバスは男の精液を吸うので自分は大丈夫だと潔子は根拠のない自信と共にやって来た。  フットバスボウルの中にバスソルトを入れて、汐乃はゆっくりと潔子の足を揉みほぐす。本来ならば素手で行うが、潔子を気遣ってエステ用の手袋をつけて施術をしてくれる。眠気に誘われて潔子の頭がぼんやりしてきた。  五分ほどマッサージをした後に、汐乃は潔子を着替え部屋へ案内し準備が終わったらベルで呼ぶようにとだけ言って部屋を出る。 *  待合室では玲がソファに腰掛け、汐乃を見上げている。 「……で、どうして玲ちゃんもいるの?」 「俺は付き添いっす。こんなことがなきゃ、サロンなんて入ることないし」 「自分で予約すればいいじゃなあい。玲ちゃん相当お疲れだろうし、特別コースで解してあげるわよ?」  汐乃は右手の指で輪っかを作り、それを上下に動かした。手慣れた動作にゾッとしながら玲は「いえ……」と消え入りそうな声しか返せなかった。 「私が潔子ちゃんになにかするんじゃないかって思ってるんでしょう? ひどいわ」 「まあ……汐乃さんは女は食わないとは思ったんすけど。まあ一応、俺はあいつの雇い主なんできちんと見ておかねえとと思って……」 「ふーん。束縛激しい男は嫌われるわよ?」  そんなんじゃない、と言い返そうとしたと同時にベルの音が鳴り、汐乃は施術部屋へ駆けていく。 「そんなに心配なら、ドアに聞き耳でも立てたら?」  汐乃は小悪魔のような笑みを残してドアを閉めた。  ──聞き耳なんて……そこまでは……。 *  潔子は裸に紙でできたパンツを一枚だけ履いて、施術台にうつ伏せで寝転ぶ。バスタオルを身体にかけられると、フローラル系の柔軟剤がふわりと香った。  今日は全身と顔のアロママッサージを行う。潔子も働いていた時は片手で数えるくらいだが、このような施術を受けたことはあった。  が、引きこもってからはすっかりそういうものとはご無沙汰だった。そのせいなのか、緊張していたが汐乃が甘ったるい声で名前を呼び、アロマオイルの香りが充満すると身体が溶けだしそうなほど眠くなった。 「途中で痛くなったりとか、力が強いと思ったら言ってね。眠かったら寝てもいいから」  潔子は頼りなく「はい」と返す。施術が始まる前から既に眠い。  汐乃の手が足の裏に触れ、滞ったものを解していく。身体の中から聞いたこともないような、プチプチとなにかが潰れるような音がした。 「立ち仕事だからかしら、足は大分お疲れね」 「はひ……よく浮腫むんですよね……」 「じゃあ重点的に解すわね」  オイルを肌に馴染ませ、滑るように身体が解されていく。あまりに気持ちがよすぎて「ふええ」だとか「ハーッ」だとか言葉にならない快感が漏れる。自分の血管には石でも詰まっていたのではと錯覚するほど、潔子の身体からはプチプチと音がした。汐乃の施術は優しくて、柔らかくてとにかく気持ちがいい。 「……ん、と、溶けちゃいそうですう……」 「うふふ、リラックスしてね」 「はあ……気持ちい、です」  肩から背中にかけて血液を流すように、汐乃の温かい手がゆっくりと滑る。サンダルウッドの香りに包まれて、大きく息を吐き出す。  ──なんだか、汚いものが全部出ていくみたい。  身も心も綺麗になっているような気分だった。こんなに清々しい気分はいつぶりだろう、と潔子はふっと考える。 次、病院に行ったときに、マッサージを受けてきたなんて医者に伝えたら、きっと驚く。  このまま全て流してしまえたらいいのに。なにもないフラットな自分になったらいい。そんなことを思いながら潔子の瞼はだんだんと下がっていった。  施術が終わり、全身のオイルを拭いてもらう。すっかり寝落ちてしまって、汐乃に声をかけられるまで潔子の意識はどこかへ飛んでいた。 「大分お疲れの身体だったみたい。少しリラックスできたかしら」 「はい……ありがとうございます。またお願いしたいです」 「じゃあ、着替えていらっしゃい。私は玲くんと待ってるわ」  汐乃がドアを開けると「おわっ」という間抜けな声が聞こえたが、気に留めずに潔子は着替え室に入る。

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