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 ランチタイム真っ只中にも関わらず、玲は頭まで水の中に浸かっていた。せめてランチタイムはまるまる自分の足で立っていたかったが、それは叶わなかった。  玲は水の中から尾びれを出して、ひらひらと動かす。先ほどまでは二本の足で立っていたというのに、変身が解けてしまった。  ──ちくしょう。  普通の人間に並べるような生き方を見つけたつもりでいたが、やはり上手くはいかなかった。  やっぱり、人魚の自分にこの世界は向いていない。痛いほどにそれを思い知らされた。 *  玲はとある海の底で生まれて、他の人魚達と毎日ゆらゆらと泳ぎながら過ごしていた。歌を歌って、漂流物を友人と見せあって、海の底の学校にも通って。いたずらをしておじさん人魚に怒られることもあった。  夜になれば月や星を眺めて心を癒す。毎日穏やかに暮らしていた。  玲は手先が器用だったこともあり、学校を卒業した後は海の底のレストランに就職した。いつかは自分の店をオープンさせるという夢もあり、玲は仕事に励んでいた。  そんな日々が壊れることなんて、これっぽちも疑わなかった。  海の汚染やら生態の変化により人魚達は住処を奪われ仕方なく人間の世界で住むことになった。  人間に化けることはできるけども、長くても六時間ほどで人魚の姿に戻ってしまう。薬を使えばその時間を伸ばすこともできるが、その分だけ副作用がある。  声が出なくなったりだとか、視力が弱まったりだとか。その副作用に苦しむ人魚も少なくはない。そういうわけで、よほどのことがない限り、ほとんど人魚たちは薬を使わずにどうにか過ごしている。玲もそのひとりだった。  そういうわけで、玲が普通の人間のように生活をするのは困難だった。自宅の近くで短時間のバイトを掛け持ちし、その隙間の時間に自宅へ戻り水を浴びてどうにか過ごしていた。  そういうわけで玲は日々を暮らすので精一杯だった。自分の店なんて夢のまた夢。次第に夢も見なくなっていた。    人魚だと知られないように、人付き合いもほとんどしなかった。ときどき、他の人魚と会って昔のように海を泳ぐことが玲にとっての、唯一の癒しだった。  だけど、海の生活ほどの穏やかさも楽しさも、今の暮らしにはない。  ある夜のこと、バイトが長引いてしまい玲の身体は人魚に戻りかけてしまった。道端で足が動かなくなってそのまま倒れてしまった。  ひどい喉の渇きに苦しみながら、冷たいアスファルトに頬をつけたまま、このまま泡になってアスファルトの一部になるんだろうと思った。  ──もう、死ぬのかな。  最後に綺麗な海の水を全身に浴びたかった。そんなことを考えながら目を閉じていると、頭の上から大量の水が降ってきた。  頭をがつんと叩かれたように、玲の目がかっと開く。一体なにが起こったのか、わからなかった。 「大丈夫ですか、人魚さん」  つり目の男──赤木ルキがペットボトルを逆さまにしたまま、玲を見下ろしていた。普通の人間にしては圧がある。目の前に立たれているだけで、玲の命を握られている気分になった。  ルキが普通の人間ではないことをすぐに察して、いよいよ自分は終わるんだと玲は覚悟を決めた。  が、ルキは玲を背負うとすたすたと歩きだす。見た目は特段屈強そうでもないのに、軽々と玲を背中におぶった。どこへ連れていかれるのかわからない──だけど、もうどうにでもなれと玲は目を閉じた。

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