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* 「琥太郎さーん」  玲がそっと寝室のドアを開けると、獣が唸るような声が返ってきた。一瞬だけ怯むも、振り返った琥太郎の眼差しがまだ優しいものだったので玲は部屋の中に足を踏み入れる。 「飯っす。お腹、空いたでしょ」 「玲くん……いやあ、ありがとうね……グルル」 「ランチの残りで作ったハンバーグっす」  満月まであと三日。琥太郎は髭ともみあげがつながり、狼のように鼻の頭が尖りかけている。体毛もいつもより少し濃くなっていて、狼男らしさを帯びてきた。  玲はこの地上に出てくるまで、海に住む妖怪以外に出会ったことがなかった。特に狼男は海よりも山に生息する妖怪なので無縁だったこともあり、琥太郎の本当の姿を何度も見ているとはいえ未だに慣れない。 「今日、ランチタイムはどうやったね?」 「忙しかったっす。でもまあ、どうにか。あれいつも一人でさばいてるとか、琥太郎さんマジのバケモンっすね」 「ははは……慣れとるだけたい。いやあ、でも情けなかね。自分の仕事もまともにできんなんて……グゥ」  なんだか聞き覚えがある台詞だ。玲は記憶を辿る。  ──そうだ、この前潔子と同じような話をしたな。  潔子は弱気な玲に対してどう答えたか。考えるまでもなく玲の胸に火が灯るみたいによみがえる。気づくと潔子と同じ言葉を口にしていた。 「……誰かを、頼ってもいいんじゃないすか」 「玲くん?」 「……って、潔子が俺に言ったんです。俺も、琥太郎さんと同じような感じだから」  琥太郎は「ああ」と眉毛を下げながら玲を見た。狼になっていても穏やかな眼差しは変わらない。玲はほうっと息を吐きながら、がつがつとハンバーグを手掴みで食べる琥太郎を見ていた。  ものの数分で平らげると、気恥ずかしそうに皿を玲へ返す。 「美味そうに食うんすね」と玲が笑うと、琥太郎は更に背中を丸めてしまった。 「そろそろ狼化が進んできたけん、今日の晩から山ごもりするよ」 「了解っす。今日から玲央もうちにお泊まりなんすよ。しっかり月の光浴びてきてください」 「ありがとう。あ、玲央のことはちゃんと九時に……」 「はいはい、わかってますって」  玲のいい加減な返事に琥太郎は困惑したような様子だったが、最終的には信頼してくれたようだった。 「妖怪が生きるって、難儀やね」  琥太郎の弱々しい声が薄暗い寝室の中を漂う。頼りなく浮遊して、すぐに消え去った。琥太郎のひと言に玲の胸もずしりと重くなった。  以前の玲ならばおそらく首がもげるほど頷いて、愚痴のひとつくらい垂れていたかもしれない。  妖怪が人に混じって生きるのは、自身で選んだとはいえ難儀だ。玲や琥太郎のように本来の姿に戻ってしまって、いわゆる『普通』の生活がままならない。  吸血鬼の希良のように昼間の活動ができない者もいれば、汐乃のように定期的に人間の一部を摂取しないと朽ち果ててしまう者もいる。  ──潔子も……。  玲はつい先日の潔子のことを思い出していた。恐れるように手を洗い続ける姿と、たった数時間、ゴム手袋を替えなかっただけで嬉しそうにしていた姿。潔子の強迫観念を玲は妖怪と呼んでいる。 「……そうっすね。でも、そのおかげで助けてもらえる喜びを得られてるっつーか……誰かを大切にしようって思えるんじゃないすかね」 「……そうやね。俺もみんなのこと大好きばい。なにか困ったら、今度は俺に助けさせて欲しか」 「あざっす。じゃあ早速秘伝のタレのレシピを……」 「ああ、それはダメばい。玲くんは抜け目なかね」  犬が吠えるような声で琥太郎が笑った。満月が過ぎたら酒でも飲み交わしたい。玲はそんなことを考えていた。

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