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 玲がパライソに戻ると、店内のカウンター席で玲央と潔子が並んで座っていた。玲央の手元にはノートが広げられていて、どうやら文字の書き取りをしているようだった。  潔子が玲の顔を見て柔らかく微笑むと、一瞬だけ玲の時間が止まる。潔子はマスクをしているので目しかわからないが、最近はそれだけでもある程度表情が読み取れるようになってきた。 「おかえりなさい。あ、そろそろ夜の準備しないとですよね」 「ああ……そうだな。とりあえず店内の掃除をやってくれ。仕込みは俺がやる。仕込み終わったら一度浸かってくる」 「わかりました。あの、玲央くんは……」 「とりあえず開店したばかりならお客さんそんなにいねえし、潔子が一緒にいてやれ。九時までなら俺ひとりで粘れる」  潔子がこくんと頷き、奥から掃除用具を取り出すと丁寧に店内の掃除をする。 「玲央、お前六歳なのに文字が書けるのか」 「うん、保育園で習うから」  いつもは六時に保育園のお迎えだが、玲の都合で一時間早く切り上げさせた。と言っても、迎えに行ったのは潔子だ。玲は焼肉屋の仕込みをして、ディナータイムのメンツに引き継ぎをしていた。  潔子がいてよかった。でなければ、玲央の世話までは手が回らなかったかもしれない。いつも偉そうな態度を取ってばかりだが、この時ばかりは潔子に感謝せずにはいられなかった。 「えらいなあ、玲央は」 「うん。父ちゃんも狼男を頑張ってるから。おれも頑張る」 「狼男を頑張る、か……ふふ、面白えなそりゃ。ちょっと待っててな。仕込みついでに夕飯作るから」  そういってキッチンに立ち、手際良く準備を進める。と言っても昼間のうちにほとんど仕込みは終えているので、特に時間もかからない。夕飯作りの方がメインになりそうだ。  今日のお通し用に作っておいた焦がしベーコン入りのポテトサラダを三つの皿に取り分ける。  それから玉ねぎをみじん切りにして、あめ色になるまで炒めた。そこへ米を投入し、トマト缶とコンソメ、バター、そしてお湯をぶっ込んでくつくつと煮るだけ。もう少し時間をかければより美味しく仕上がるのだろうけど、今は時間がないのでとりあえず形になればいい。 「おいケッペキ、飯だ。キリのいいところで掃除終われ」 「はあい。今日はなんですか?」 「トマトリゾット」 「やった。玲さんのリゾット好きなんです。よかったね玲央くん、玲さんのリゾットすごく美味しいよ」  ──リゾット好きだったんだ、覚えとこ。  ──いや、なぜ覚えておく必要がある? なんでナチュラルにそんなこと考えてんだ。  頭の中で自身に突っ込みながらも玲の手はさくさくと動く。カウンターのテーブルに料理を並べて、玲央を真ん中に挟むようにして潔子と玲も腰掛けた。三人揃ってのいただきます。 「んん! 玲くんのおかゆうんまい!」 「おかゆじゃなくてリゾットな。俺が作るもんは全部もれなくうめえんだよ」 「この絶妙にお米の芯が残ってる感じがたまらないです。前作ってくれたチーズリゾットも絶品でしたね」  ──チーズリゾットか。覚えとこ……。  ──いや、だから覚えておく必要はねえって。  玲央はポテトサラダも綺麗に平らげた。ひたすら美味しい美味しいと言いながら満足そうに食べている。 「こんな風にしてると、なんだか家族みたいですよね」 「家族ってこんなもんなのか?」 「え? 玲さん……」 「玲くん、家族いないの?」  子どもというのは無邪気なもので、気まずそうな潔子のことなど気にすることもなくその疑問を玲にぶつける。玲としては特段不快な質問でもなかった。 「人魚ってさあ、卵で生まれるんだよ。親が水草とかイソギンチャクの中に産みつけてそのまんまだから、親の顔も知らねえんだ。それで、たまたま周りにいた奴らと適当に生きていくからな、家族ってのがよくわかんねえ」 「えっ、そこは普通に魚っぽいんですね……なんだ……」  潔子が安心したような様子だったが、玲にはその意味がわからなかった。そういう生き方は人魚の玲にとってはごく普通だし、家族という少人数の集団で生きていく生き物がいることを地上に出て初めて知ったくらいだった。

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