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* 「……潔子さんジム来なくなっちゃった」    定休日のパライソには住人達が集まっている。希良が重苦しい口調でそう言うと、他の住人も辛気臭い溜息をついた。 「潔子ちゃん、大丈夫なのかしら」 「大丈夫……ではないと思いますけど……でも、俺はなにをしてやれんのかわかんなくて」  こんな情けないことを言えば、いつもの汐乃なら喝を入れてくれるが、今回ばかりはなにも言えないようだった。そう、とだけ呟いてその後は黙ってしまった。  ルキがナッツを食べながら、コーヒをひと口含む。 「元気になってく姿を見るのは、僕も嬉しかったんですがね。最初会ったときは死者みたいに、生気のない目をしてましたしね」 「……そういえば、潔子を連れてきたのはルキさんだったな。どうして潔子だったんすか?」  玲の問いに他の住人も興味を示したようだった。  当時、ビルに貼っていたパライソの従業員募集のポスターを潔子がぼんやりと見ていたので、とりあえず声をかけただけだった。ただその横顔の目には光がなくて、自分に絶望しているような顔をしていたのだとルキは言う。 「オープンが迫ってるのに玲くんがなかなか従業員を決めないので、それに業を煮やしていたのもあったんですが……潔子さんのことを……まあ、偽善っぽく聞こえますが救いたいと思いました」  ルキは「妖怪だと思ったから」とつけ添えた。その言葉の意味を四人は理解した。それぞれに、ルキから受けたものがあるから。 「……だから、気づいたら声をかけてた。昔の自分を見るようで放っておけなかった」 「昔の自分?」 「あっ……えーと……俺……僕は超繊細男児だったので、昔はちょっとしたことで落ち込むことが多くてですね。その時の僕に、潔子さんが似てたんです」  超繊細男児、というワードに汐乃と琥太郎が「うげえ」と言わんばかりの表情をする。そういえばふたりは昔ルキに痛い目に遭わされたという話をしていたことを、玲と希良は思い出した。詳しいことについては未だに聞けていないが、朗らかな汐乃と琥太郎が途端に渋い顔をするので、話題には出さないようにしていた。 「皆さん、潔子を心配してくれてありがとうございます」 「当たり前だよ。潔子さんは大事なトレーニング友達だもん!」 「そうよね。ところで玲ちゃん、そういうこと言うとなんだか彼氏通り越して夫ヅラしてるみたいだわ」 「夫……! べ、別にそんなつもりじゃねえっす!」  その翌日、店内を掃除していると潔子がいつものように出勤してきた。弱々しい声でおはようございますと言うと、テーブルの上にあるシュガーポットの中身を確認したり、紙ナプキンの補充をしたり、トイレの掃除をしたりとさっさと動く。 「潔子、今日は休みにする」 「えっ? なにか用事でもあるんですか?」 「そんな顔じゃ店に立たせられねえからな。俺ひとりで店を回せるはずもねえし」 「……そんなひどい顔してますか、私」  潔子は不満を目で訴えた。正直、潔子の顔は半分ほどマスクで覆われているので表情を読み取るのは難しいが、見ていればそれなりにわかる。  これから玲がしようとしていることが、果たして正しいことなのかは玲自身にもわからなかった。裕也と同じように自己満足の範疇なんだろうとも思う。潔子に拒否をされることを何度も想像したし、昨晩はそのことばかりを考えてなかなか寝つけなかった。  一歩、一歩と潔子へ歩み寄る。距離を詰めるたびに、心臓の音がうるさくなる。  心臓って本当にドッ、ドッ、ドッ、というんだなとどうでもいいことをちらりと思った。 「潔子」  潔子の腕を引き、その胸に抱き留める。逃がさないように腰と後頭部を押さえ込む。潔子は離してと涙まじりの声を出しながら、玲の中で暴れた。

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