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 その翌日、潔子はなにごともなかったかのように店にやってきた。一方、昨日を引きずっている玲は戸惑いを隠せずにいる。そんな状態が夜まで続いた。  そんなふたりの様子を見た琥太郎と希良はパライソに漂う異様な空気をすぐに察知した。玲を手招きし、こっそりと耳打ちする。 「玲くん、なんか元気のなかごたけど……潔子さんと喧嘩でもしたと?」 「いえ別に……喧嘩というわけじゃ……」 「でも明らかに様子おかしいよ?」 「……多分、あいつに振られた。あいつはなにごともなかったかのように振る舞ってるけど」  好きなのに、と玲がつけ加えると琥太郎と希良は目を見開いた。 「そう……玲くん、潔子さんのこと大好きだったのにね」 「ああ……うん……ん?」  希良の言葉に、自分が気づかない間にこの好意はだだもれだったのか、と玲は今更ながら照れてしまう。 「そりゃあ……お可哀想に、玲くん」  音もなくルキが現れて玲の背後に立っていた。いつもルキは神出鬼没だ。驚きのあまり心臓が一気に速く脈打った。なんだか痛くなってくるほどだ。 「今度男だけで慰め会開催しましょうか……んっふふ」 「……ルキさん、絶対面白がってるだろ……」  店のドアが勢いよく開いて、ひとりの男が入ってきた。営業マンのような出立ちで、前髪を横分けにして額を全体的に見せるような髪型で、グレーのスーツにブランドもののネクタイをつけている。狙ったものは逃さないような大きくも鋭い目が印象的な、精悍な顔立ちだった。  反射的に玲はいらっしゃいませと声をかけたが、その男は無視して一切の迷いなくカウンターへかつかつと進んでいく。 「潔子、やっと見つけた」  男はカウンターテーブルの後片づけをしていた潔子の手を握り乱暴に引く。嫌な予感がして玲はふたりに近寄ったが、潔子の顔はマスクをしていてもわかるほどに青ざめていた。 「ゆ、裕也……! どうして……」 「お前とヨリ戻したくて、ずっと探してたんだ。そしたら、たまたまインスタでお前の写真見つけて。俺、来月にはここ離れるんだ。お前に一緒に来て欲しい」 「嫌……!」 「おい、あんた!」  玲はふたりの間に割って入った。男の手が緩んだ瞬間に潔子はすり抜けるようにしてキッチンの奥へ駆けていく。玲は男に突っかかろうとしたが、蛇口をひねる音が聞こえたので舌打ちだけを残してキッチンへ向かった。  息を荒げながら潔子がどうしようとうわ言のように繰り返し、爪を手の甲に立てながら手を洗っていた。治りかけていた傷もその爪で再び開かれて、潔子の手には血が滲んでいる。それでも潔子は手を洗うことをやめない。  潔子の腕を掴んだら、思いきり振り払われた。その勢いで玲の頬に潔子の手の甲が当たり、ぱちんという音が響いた。ハンドソープの泡が頬に付着し、びりびりと痺れるような痛みが走った。それでも潔子は手を洗うのをやめない。  玲はただその様子を見ていることしかできなかった。

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