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 玲は早速今夜動き出すことにした。本当ならばバータイムも開店するはずだが、急遽休業にした。  女とデートしたいがために店を休むだなんて料理人が聞いて呆れるが──もやもやしたままでキッチンに立つのもよろしくないと自身に言い聞かせる。玲はとにかく自身の決断を正当化するよう努めた。  バータイムは休業にすると伝えた時の、潔子のぽかんとした顔が可笑しかった。その理由を告げると更に不思議そうな顔をする。 「いいか、外で飯を食う。めかしこんでこいよ」 「はあ……急ですね」 「お前も一応調理に携わる身になったからな。美味いもんを食って、舌に味を覚えさせろ」  ──違う、そういうわけじゃないのに。 「……はい! しっかり味を盗みます」 「そ、そうだ……その意気だ!」  ──だーかーら、違う! そういうことじゃないから!    玲の胸の内で繰り広げられる突っ込みは、表に出ることはなかった。  午後六時にビルの前で待ち合わせて、玲の二輪の後ろに潔子を座らせる。つい先ほど慌てて買いに行ったヘルメットを潔子に被せて、出発する。潔子は玲の腰に腕を回し、「うひょー、風!」と呑気に笑っていた。それを聞きながら、これは脈なしなのでは──と玲は思った。  だけど風ではしゃいでいる潔子の声を聞いていると、脈があるとかないとか、そういうことがどうでもよくなってきた。潔子が楽しいならそれでいい。  ──はあ、やっぱり汐乃さんの言う通りかもしんねえ……。  背中に潔子の温もりを感じながら、玲は自分の心の奥底にあるものを探った。自分のものなのに、他人に指摘されるのは気持ちがいいものではないが認めざるをえない。  目的地に到着して、二輪を降りてから五分ほど歩くと古民家風のレストランがあった。ここは玲の友人が経営しており、彼もまた人魚でありながら人間の世界で暮らしている。 「およ、玲! 一緒にいるのは彼女か?」 「んー……残念ながら違う。うちの店の従業員だ。美味いもん食わせてやってくれ」 「了解!」  ふたりが席に着くとメニューが運ばれてくる。間接照明が置かれた店内は薄暗くはあるものの、温かい雰囲気で満ちている。店内の広さはパライソよりやや広いくらいで、テーブルの数も六つほど。  この店は肉料理をメインとしており、特にハンバーグが絶品だと玲は思っている。メニューを広げながらそう潔子に話すと、目を輝かせながら「いいですね!」と言った。 「遠慮すんな、ここはちゃんとおごってやるから」 「わあ、ごちそうさまです」 「俺もハンバーグにするかな……一度食ったら他の店のハンバーグ食えなくなるから覚悟しとけよ」 「玲さんにそこまで言わせるとは……期待大ですね」  ふたりともハンバーグを注文して、料理が出てくるまで静かに待っていた。気の利いた話題を見つけられず、玲はなにも気にしていない風を装う。  潔子もまた慣れないシチュエーションにどことなく居心地の悪さを感じているようで、注文を終えたにも関わらずメニューを見返したりお冷を飲んだりと落ち着かない。 「……なあ、潔子。お前、もう恋愛とか興味ねえの?」 「えっ……なんですかいきなり。そんな思春期の子を持つお父さんみたいな……」 「誰がお父さんだよ。う……その、汐乃さんが気にしてたから。男、紹介してくれるってさ」 「うーん……もう恋愛はいいです。お店も忙しいし、また裏切られたら立ち直れない気がします。せっかく……よくなってきたし」  潔子はシルクの手袋の上から手を撫でた。先ほど見たばかりの手を思い出し、玲はその手袋の上から自分の手を重ねた。親指の腹で潔子の手の甲に触れると、潔子がゆっくりと手を引っ込める。  ──今のはまずかったか。手袋の上だから大丈夫かと……。 「あ、あの玲さん……そういう触り方はだめです」 「悪い。手、洗いたくなったか?」 「いえ……なんか恥ずかしいんです。なんか、今日の玲さんちょっと変」  薄暗い店内でもわかるほどに頬を染めている潔子から、玲は目が離せなかった。可愛い、と思ってしまった。その顔をずっと自分へ向けてほしいと願ってしまった。 遠い記憶にある恋愛感情が急速によみがえり、玲の鼓動が速くなる。潔子に自分を好きになってほしい、そんな願いが生まれた。

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