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* 「まさか本当に聞き耳立ててるとは。呆れた」 「……すげえ、やらしい声してたんすけど……なにもしてないっすよね?」 「それはどうでしょう? 玲ちゃんには関係ないでしょう、うふふ」  ──ちくしょう……でもなんも言えねえ。  腹の底でくすぶる不満をとりあえず顔面にだけ出してみると、そんな玲を汐乃は悪魔らしい笑顔で見ている。人魚と悪魔、どっちが強いのだろうとふっと考えたが陸だと人魚の方が圧倒的不利であることを思い出して、玲は口をつぐんだ。  玄関口のドアが静かに開き、ひとりの男性が入ってきた。年齢は二十代半ばくらいに見えたが、精悍な顔立ちと太い眉毛が男らしさを感じさせる。がたいも良く、まるで昭和時代の俳優のような雰囲気があった。  その姿を確認するなり、汐乃は珍しく狼狽えた。気まずそうに目を泳がせた後「少しお待ちくださいね」とAIのような挨拶をする。 「玲さん、お待たせしました」  潔子が出てきて、その男と目が合うとぺこりと頭を下げる。男も無表情ではあるが礼儀正しく頭を下げた。  ちょっと待ってて、と汐乃が潔子に伝えると、その男性を施術室へ案内する。おそらく今日が初めてというわけではなさそうで、慣れた様子で部屋の中に進んでいった。  汐乃は慌ただしい様子で潔子達にハーブティーがしてくれた。ジャスミンの香りが鼻を抜け、潔子は爽快な気分になり、反対に玲は苦手だと思っていた。  客が待っていると思うと、なんだか落ち着かずにふたりはさっさとお茶を飲んで、会計を済ませて店を出る。汐乃が申し訳なさそうに眉毛を下げていた。 「……潔子、その……お前なんもされてねえか?」 「え? 別になにも。なぜそんなことを?」 「いや……その……溶けちゃいそう、とか聞こえたから」 「ああ。だって本当に溶けちゃいそうでしたもん。いやあ、身体が軽い軽い、最高の気分ですよ」  ──人の気も知らないで呑気な奴……。  玲がわざと口を尖らせても潔子はさほど気にしていない。 「そういえば、あの男のお客さん……なにかあるんですかね? 汐乃さん、ちょっと変でした」 「あ? 捕食対象が来て、そわそわしてたんじゃねえの」  玲がそう言い放った途端に、潔子の目がなにかを訴えた。目を細め眉間にはしわを寄せ、マスク越しではあるけども溜息のようなものが聞こえた。  玲は特段間違ったことを言っているつもりもなかったので、声を低くしてそう主張した。が、潔子の目はすっかり呆れかえっていた。

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