これまでの潔子は通院以外に家から出ず、とりあえず命をつなぐ最低限の食事をして過ごしていた。ここに引っ越してきてからは立ち仕事をしながらも、玲の料理をお腹いっぱいに食べていた。 ──そりゃ、太るよね……。身体もたるむよ。 「でも、あんまり綺麗になったら心配ね」 「心配?」 「潔子ちゃんがお店でモテちゃうかも。ね、玲ちゃん」 汐乃に声をかけられ、カウンターの奥でテリーヌを切り分けていた玲は無愛想な表情で顔を上げる。そして「ないわ」と切れ味抜群のナイフのような口ぶりで返した。 「あ、でもジム通い始めて、身体のことだけじゃなくて別の方面でもいいことがあって」 「なにそれ? もしかしてお客さんの誰かといい感じになってるとか? 男の人も多いし、ふふっ」 汐乃が両頬に手を当てて目を細めると同時に、玲が痛てっ、と声を上げる。どうやらテリーヌと一緒に自分の指も切ったらしく、左の人差し指を口に含んでいた。 「身体に触られても、さほど気にならなくなって」 「はあ!?」 「えっ、そこまでいったの? やだ潔子ちゃん、積極的」 ふたりのリアクションで誤解をされていることに気づく。そういう意味ではなく、筋トレ指導の時に希良が軽く身体に触れても、すぐさま洗いたいだとか怖いと感じることがなくなったという意味だ。それを説明したら、ふたりの顔から力が抜けた。 人に触れられるなんて恐ろしいことだと思っていた潔子だが、最近は少しずつ慣れてきた。先日心療内科へ通院した際には、「いい傾向だよ」と優しい笑みで言われた。 素肌同士の接触にはまだ抵抗があるが、服の上からなら思いのほか平気だった。以前の潔子のことを思えば、だいぶ進歩している。と思っている。 「よかったわねえ。身体も心も健康を目指しましょ。気が向いたらうちのサロンにも遊びに来てね」 「はい。足がよく浮腫むので……そのうち」 「……サキュバスの施術とか恐ろしいけどな……」 「玲くんもどう? うちは男女どちらでもOKよ。サービス、してあげるわよ?」 「……遠慮しときます」 汐乃はパライソでコーヒーを飲んでから店を出る。そろそろ玲も水に浸かる時間なので、二階へ足を進めたが立ち止まって振り返る。潔子を凝視して、重そうに口を開く。 「希良の奴、お前に触ってんの?」 「嫌な言い方しないでくださいよ。肩とか腰にサポート程度で触れるくらいです」 「ふうん……俺も体力向上でジム通うかな……」 「お、いいじゃないですか。玲さんのシックスパック見てみたいです」 玲は呆れ顔をしつつも自身の腹部を撫でる。そして「見てろよ」と言い残してから二階へ向かった。 ──シックスパックの玲さんか……。 想像したら、ちょっと笑ってしまった。
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