娘が作った朝カレー
娘が作った朝カレー

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 たん、たんたん、たんたんたん、と音が聞こえた。朝5時前のことだった。  私はいつもの寝室で横になっている。特有のふわふわした心地は感じないから、ここが夢の中でないことははっきりしている。それでも細かく状況を確認したくなるような可笑おかしな音が、されど聞き馴染みのある音が、台所から聞こえる。  間違いない。包丁でまな板を叩く音だ。  はじめは幻聴じゃないかと疑った。けれど耳を澄ませばやっぱり聞こえる、野菜類を切る不揃いな音。主人は隣の布団で寝息を立てている。  確かめない訳にはいかなかった。我が家に何者かが忍び込んでいるという考えが、私の被害妄想に過ぎないことを。あるいはやっぱり気のせいでしたという、朝一番にふさわしいベタな結末オチであることを。  しかし予想はどちらも外れていた。  おそるおそる覗いた台所には、高校2年生である私の娘が立っていた。 「あら、おはよう」  迷わず声をかけると、娘はギェッという悲鳴を返した。バレたという心の声の代わりにしかめっつらを向けられる。  嫌われたかもしれないが、心底どうでもよく思えた。目の前で一大事が起きているからだ。  娘が料理をしている。  普段はろくに家事を手伝わず個室でゲームばかりしている娘が、休日の朝早くに料理をしている。それも一人で。 「何してるの?」 「……カレー作ってるけど」 「一人で?」 「そうだけど、何」  見れば分かるでしょ、と言いたげに娘が台所を指す。木製まな板の上には切りかけのニンジンが散らばり、コンロには出番を待ち侘びる空っぽの鍋が置いてある。 「お米は?」 「いま炊いてる」  炊飯器を見るとスイッチが入っていた。 「自分で研いだの?」 「研がずに炊くわけないでしょ」  流し台に目を向けると、使用済みのステンレス製ざるが置いてあった。  娘が素直な小学生だった頃だろうか。ざるを使うと素早く出来ると言いながら、私がお米の研ぎ方を教えたことがある。まさかあれを覚えていたというのか。  我に返って娘を見ると、ニンジン切りを再開しているところだった。私はずっと気になっていたことを口にする。 「細かく切りすぎてない? ニンジン」 「あたしはこれくらいが丁度良いんだけど」  手元から目を逸らさずに娘が答える。いつもは乱切りにしているニンジンが、今回はいわゆる微塵切りにされていた。  まな板の隅を見ると、野菜室から出したであろうジャガイモも置いてある。多分、これも同じ運命を辿ろうとしているのだろう。 「乱切りで済ませた方がいいよ?」 「だって、ゴロゴロしているの好きじゃないし」 「大きさだけじゃなくて、火の通り具合や味の染み方も変わっちゃうから」 「へえ、そうなんだ」  いまいちピンと来ていない娘に、私はレシピに沿わないと失敗しやすいことを教えた。  普段の性格からして高を括られると思ったが、数週間前に私が夕飯のカレーを焦がしたことがあった。それを根に持っていたらしい娘は、仕方ないと言いながらジャガイモを乱切りで済ませた。 「なにか母さんに手伝ってほしいことは?」 「面倒くさそうだからタマネギ切って」 「はいはい」  頼まれたことはそれだけで、野菜の火入れや煮込みも全て娘が担当した。  火傷やけどをしないか心配で見ていたが、意外と慎重な手つきでこなしている。具をかき混ぜる手が遅い気はするけれど、問題は特に起きていないから目を瞑ることにする。その代わり、次に作る時はタマネギの切り方を覚えていてほしいと願う。  そうこうしているうちにカレーは完成した。  馴染み深いにおいが鼻をくすぐるが、娘は眠いからと言いながら個室へ戻ろうとする。後片付けも料理のうちと伝えると、しぶしぶ頷いて台所を出ていった。  時計の針は5時30分を指していた。今日はいつも以上に娘と話した気がする。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません