第四章 八月上旬~九月中旬 5 5 クリーム色っぽいワンピースを着たショートカットの冴子だった。睨んでいる。 「えっ、どういうこと?」 「どういうことって言葉は、私が言いたいわよ」 「ハル君、この人が冴子ちゃん」 明美が囁くように言った。 「ハル君って――。そうなんだ。そういう関係なわけ?帰ります」 冴子がふたりの横を過ぎようとした時、明美が、前を遮った。 「ストップ、ストップ、ストップ。私、フェルシアーノで佐伯さんにお世話になっているニューハーフの西野明美と申します」 「えっ」 両腕を掴む明美の手を身体をよじって振りほどき、冴子は、数歩バックして目を見開いた。 「そう、紹介する。営業部の西野明美さん。おばあちゃんの原宿が、どうしても見たいっていうからさ」 「無理やり頼みました。暑いでしょう。中に入って話さない?」 「そうしよう。言ってくれれば、よかったのに」 春夫は、スラックスのポケットから慌てて鍵を取り出した。 冴子は、もう帰るとは言わなかった。すっかり納得した感じではないが、初めの興奮状態から少しは脱したかの様子に春夫はひとまず安心した。 キッチンには椅子がふたつしかない。どう座ろうか考えながら、冴子を落ち着かせるためにも冷たい飲み物だ。明美にはコーラ、冴子にはグレープスカッシュを入れる。グレープスカッシュは冴子の好きな飲み物で夏休み中にこの部屋に来ることを見越して用意しておいたのである。 「今日、帰って来るなんて言わなかったじゃない」 春夫は自分のコップにオレンジジュースを注ぎながら冴子に言った。 「驚かせようと思ったの?まさか、ニューハーフの人とデートしているなんて思わなかったわ。地蔵通りをふらっとして、そこから携帯入れようとしたけど、まさかふたりがデートしてるなんて。すれ違った時も、佐伯君、まるで気づかなかったわよね」 冴子はデートというフレーズを繰り返す。まだ、疑っているのか。 「私っておしゃべりな女だから、話に夢中になってたのよ。ごめんなさい」 明美が、冴子に謝った。 大好きなグレープスカッシュを冴子は、残り一センチ位まで一気に飲んだ。 「確認させてください。ふたりは付き合っていて、今日はデートじゃなかったのですか?」 冴子の目は笑っていない。 「付き合ってなんかないよ。言ったでしょう。この人からおばあちゃんの原宿と言われている巣鴨を案内して欲しいと頼まれたので案内しただけ」 デスク用の椅子を春夫はダイニングテーブルまで持って来る。 「間違いありません。それから、付き合っている,いないについてですけど、付き合ってはいません。ハル君は、私の心を燃やすタイプではないからです」 「この人が好きなのは、筋肉質の精悍さがある男性、だよね?」 「まあね。やだ、照れちゃう」 明美は、両掌で赤くなった頬を恥ずかしそうに挟み込んだ。その様子をびっくりしたような顔で冴子は見つめている。残り一センチのグレープスカッシュを冴子は、ズズッと音を立てて飲み干した。 ようやく、表情が和(やわ)らいだ。 春夫は冷蔵庫からグレープスカッシュの新たな缶を取り出し、冴子のコップに注いでやる。買っといてよかった。 「ありがとう。本当に女性みたい。巣鴨の地蔵通りの時はもちろんエレベーター降りて来た時も、正真正銘の女性だと思いました。佐伯君から西野さんというニューハーフが営業部に入ったってことは聞いてましたけどね」 「正真正銘の女性って。少なくも、心は、完璧に女性ですわよ。冴子ちゃん、そう呼ばせてもらうね。あなたも理性的って言うの?きりっとした感じでなかなかだわね」 明美は、言った。 「ありがとうございます。私は、明美さんって呼ばせていただきます。いいですよね?」 「もちろん」 「でも、綺麗ね。佐伯君から女性にしても綺麗な方だと思うよ、って言われてたけど、かなりの美人」 「嬉しい」 「ねえ、そこに立ってみて」 「こう?」 明美は、テーブルから少し離れて冴子の視界に入るようにキッチンの床に立った。言われないのにグルリを身体を回した。 「浴衣が似合ってる。ねえ、佐伯君のこと誘惑したら嫌だからね」 「するわけないじゃない」 冴子の視線が、本当に自分のカレシがニューハーフの明美に興味がないのか心の内を探るように春夫に移動した。 「写真いいかな?明美さんの写真見せたら絶対喜びそうな友達がいるのよ」 「どうぞ」 明美は、首を傾げたり、巾着袋を顔の近くに持って来たりのポーズを取った。 「決まってる。明美さんってニューハーフクラブに勤めていたんですよね」 「そう。ハル君から聞いてるでしょ、私のいろいろを」 「いろいろかどうかは分からないけど、ある程度は聞いています。なんていうお店ですか?」 「教えないんだよね」 「うーん、冴子ちゃんに会えた記念に言っちゃおうかな」 明美が、これまで秘密にしていた店の名前を言ってもいい、と言った。この機会を逃す手はない。 「言っちゃえ、言っちゃえ」 春夫は焚きつけた。 「ラウンジスリー、っていうお店」 「ええ、やっぱり、ラウンジスリーだったのか。佐野店長の言葉が正しかったわけだ」 「佐野店長って?」 「上野にあるパピル東京上野店っていう名前のバラエティーショップ。うちの商品少しだけど置いてくれてる店舗なんだけさ。西野さんがお気に入りでニューハーフクラブをネットで検索して、西野さんらしき人が踊っている画像を見つけて印刷までしてた。あの時、懸命に否定してたよね。焦った?」 「突然胸のポケットから出すんだもの、動揺したわよ」 明美は、笑った。 「ということは、佐野店長が印刷した画像は、西野さんだったわけ?」 「あれは、違う。誰々ね、ってピンと来たけどね。ホームページも作り変えていると思うわよ、全然、見ないから分からないけど」 「私、一度、行ってみたい。ニューハーフクラブって。明美さん、連れてってくれる?」 「ラウンジスリー以外だったら、考えてもいい」 「何でラウンジスリーじゃいけないわけ?」 春夫が口を挟む。 「何でも。ねえ、冴子ちゃん、お昼食べて来たの?」 「新幹線のなかでサンドイッチ食べた。でも、ケーキか何か食べたい気分」 「だったら、私おごるわ。近くにケーキ屋さんある?」 「いいんですか?ごちそうさま」 冴子は、遠慮しない。今度は、春夫も遠慮しなかった。歩いて五分とかからないグルメ雑誌にも掲載されたことがあるケーキ屋さんの場所を明美に教えた。
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