ニューハーフ OL
第三章 六月下旬~七月下旬 1~2

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       第三章 六月下旬―七月下旬 1~2               1 「昨日は、どうもね」 「女子会のアイドル」 「聖子ちゃん、おはよう」  幾つもの声が明美にふり注がれる。 「何で聖子ちゃんなわけ?」  春夫が聞くのに佐和子が答えた。 「松田聖子が超ウマ。聖子ちゃんと違う独自の振りをつけて踊るわけ。リズムに合ってて、かっこよかった。渚のバルコニーとかチェリーブロッサムとかメチャ素敵だった」 「いいわよ。あんまり言わないで。恥ずかしいから」 「エエッ、そうなの?だけど、営業部の歓迎会の時は、カラオケ行こうって誘ったら、帰っちゃったじゃない」 「弾けたくなかったもん」  明美は、答えた。  慣例の飲み会兼だが、明美の歓迎会は、五月の末近くに営業会議の後に行われた。 その時、明美は一次会で「会議で疲れましたから」と帰ってしまったのだ。 「西野さんってショーダンサーでもあったのよ。ねっ?」 「ショーダンサー?」  春夫は、明美に向かって顔を乗り出していた。  ニューハーフクラブの中には舞台があって、ショーを見せる店があることは知っていたが、明美が踊っていたことは聞いたことがなかった。それなりに働いているニューハーフの人数が多いというまでは聞いていたが、聞いたのは、そこまでだった。 「まあ、私が働いていたところは、ニューハーフクラブの名称使っているけど、ニューハーフ達の踊りにも力を入れるショーパブと言っても十分通用するレベルのお店だったのは確か」 「センターポジションで歌ったり踊ったりしてたんだって」 「佐和子ちゃん、もういい、もういい。アルコール入ってたから余計なこと喋っちゃった。うっかりミース。忘れてちょうだい」 「踊りちょっとだけ、見せて」 「だめよ。言ったでしょう。私は、過去を捨てた女。お願いだから、お店時代を思い出させないで。佐伯さん約束しましたよね。僕がかかわるのは営業に関することだけ。個人的とには詮索しないって」 「そりゃあ、まあ」  春夫が答えた時、 「おはようございます」  刈谷係長が通り過ぎて行く。めったに朝の挨拶などしたことないのに何かいいことが、あったのだろうか。 「刈谷さん、あれ持って来ましたから」  と、明美が刈谷係長を呼び止めた。 「えっ?」  刈谷係長が、明美の声に踵を返した。 「幹細胞化粧品のサンプル」 「ああ、さっそく?ありがとう」  刈谷係長は、弾んだ声と共に明美に歩み寄る。 明美は、デスクの引き出しを開け、バッグから小さな瓶を出して刈谷係長に手渡した。 「フーン、これがいいんだ」  刈谷係長は、瓶のラベルに視線を投げかける。 「お肌が、生き生きして来ますよ。差し上げます。私は、お試し終わりましたから」 「いいのう。ありがとう。いただいておきます。アンチエイジング頑張るわ」  刈谷係長は、ご機嫌で経理の席に向かって歩いて行った。    アンチエイジングの化粧品ってことは、お肌の衰えを食い止めるってことだろうか。幹細胞化粧品とやらの知識を持ち合わせていない春夫は勝手に想像する。  先刻の明美の「ここまで、ここまで」を無視して、佐和子が話題を続ける。 「西野さんって足のラインがきれいなのよ。ミニとか穿いたら似合うんじゃない?」 「本当。嬉しい」 「たまには、ミニのフレアースカートで営業活動すれば?佐伯さん、いいと思いません?」 「膝上二十センチはまずいよ」 「穿きませんよ、そんな短いの」 「だけど、ショーの時は、ミニのフリフリなんてのもあったでしょう?」  佐和子が聞いた。 「あったわよ。お仕事だから、そんなのへっちゃらよ。足のラインが無骨なニューハーフもいたしね」 「顔もいかにも男性って人もいたでしょ?」  松尾が話題に入って来た。 「そりゃあ、もう。だけど、キモ系がいいってお客さんもいるわけで、ああいうお店って、うまい具合にバランスが取れているのよね」 「一度行ってみたいね」  春夫が言うと 「行ってみたら。何事も体験。私は、どこのお店であっても一緒には行かないけどね」  明美は、さらりと答えたのだった。                  2  数日後、女子会から重要かつ驚くべき決定が明美にもたらされた。女子用トイレの使用が認められたのである。 営業に出発する際、エレベーターの中で春夫は明美からそれを知らされた。入社から僅か一カ月ちょっとの期間で、である。心底、びっくりした。奇跡的出来事にさえ思えた。 「よかったじゃないか」 「うん、だけど、刈谷係長から言われた。水を流しながらして、というのとチンチンの先を便器につけないことって」 「えっ、刈谷さん、チンチンって言った?」 「うん、何で?」 「いい。刈谷さんは、そう表現したのか」 「ねえ、何か隠してない?」 「ないよ」 「気にいらないなあ」  明美は、口を尖らせた。  普段チンチンと表現する人が、会議の席で、チンボコと表現するだろうか。 刈谷係長でなければ、あの日のチンボコ発言は、誰だったのだろう。企画開発課の絵里だったら、――。春夫におかしさが込み上げた。 「なぁに?にんまりしちゃって。いやらしいこと考えているでしょう、最低」  明美が春夫の肩を叩いた。女性の軽く叩くポンではない。バシッ、と来た。 「いてっ」  春夫は、顔をしかめ、声をあげた。  この日が、日程上では、春夫が同行する最後の日だった。加田から引き受けた営業範囲は、問屋、店舗とも、ほぼ回り終えたのだ。今日は、問屋中心だが、最後にとっておきのお店が用意してあった。レイハナ八号店である。長谷川店長の尽力で、入り口をまっすぐに進みカーブすれば会計のレジに続く場所にフェルシアーノの特設コーナーが設けられたのである。その確認をしに行くのだ。  午後三時、レイハナ八号店に到着した。ふたりは、まっすぐ、フェルシアーノのコーナーに行った。間違いなく文房具売り場の先端部分にフェルシアーノのコーナーがあった。通路側に、展示のワゴンが置かれている。ワゴンは、木製で縁が浅く商品が見やすくなっている。置かれているのは、「大人の女性のためのペンケース」と「花柄文房具ポーチ」と二種類の「文房具ケース」。手に取れる見本とそのままレジに持っていける商品が置かれていた。  ワゴンのすぐ奥の棚には、フェルシアーノ製品という名前が書かれたボードが立て掛けられている。ファイリングシステム、大、中、小のメモ用紙、なども置かれていた。 「フェルシアーノのペンケースのデザインってちょっと幻想的な感じもあって、レイハナの化粧品のコーナーを歩いて来た人になんかにも違和感なく受け入れられると思う。ポーチも本当に可愛い」  明美が、嬉しそうに言った。 [この斬新なデザイン、働く女性の間で人気です] 「大人の女性のためのペンケース」の前には紫色の丸文字で描かれたポップが立てかけられている。 [可愛さいっぱいのとっても便利な花柄文房具ポーチ]「花柄文房具ポーチ」には、オレンジ色の丸文字でこんなポップが立てかけられている。 「こんにちは。どうですか」 と、ふたりの傍らから声が掛かる。  吾妻雛子だった。 「そろそろお見えになる時間かなって。新しい名刺です」  正社員になった名刺が、春夫と明美に渡された。アシスタントの文字がなくなって、文房具担当の肩書になっている。たった五文字の違いだけど、本人にとっては、大きな違いだろう。 「おめでとうございます」 「ありがとうございます」  春夫の言葉に対する雛子の返事は弾んでいた。    長谷川店長が加わった。 「ありがとうございました。素晴らしく目立つところに置いていただいて、感激です」 「今日で一週間目ですけど、ウィン、ウィンの関係になりそうですわ。特に高価なペンケースが、毎日複数売れていくって感じで、近いうちに追加頼むことになりそうです」 「ポップの力もあったと思います」  春夫は、吾妻雛子をねぎらう気持ちも込めて言った。 「試行錯誤した頑張った成果よね」 「はい。でも、この短いポップを読んでくださる方を見ると嬉しいです」 「感激で、握手させていただきたい気分です」  明美が両手を雛子の前に差し出した。 「ええっ」 「してあげなさい。上司として許可します。もちろん、無理しなくてけっこうよ」」 「じゃあ」  吾妻雛子が、手を差し出すのに明美の両手が包み込んだ。目を瞑り、笑いながら吾妻雛子の顔が赤く染まった。 「それでは、私は店長と」  春夫が言うと 「拒否します」  という声が返って来たのだった。 「西野さんって期待していいですよ」  と長谷川店長が言った。 「はい、将来は、優秀な営業マンじゃなくて営業ウーマンになれると社内的に評価しています」 「ねえ、言っちゃっていいかしらね?」  長谷川店長が明美の顔を覗き込む。 「何ですか?」 「先週の土曜日の午後のこと」 「ああ、ばれてました?いいですけど、照れちゃいます」 「西野さんね、ここに見に来たのよ、お忍びで。気になったわけ?」 「ええ、長谷川さんから金曜日に連絡していただいた時に嬉しくなって、どんな風になったのか、すごい気になって。なんの予定もなかったんで」 「可愛いブラウスとキュートな柄のフレアースカートの組み合わせで、素敵だったって。お家、近くなの?」 「代々木です」 「代々木から?遠いじゃないですか」 「それでも、早く見たくなって」 「いい心がけだ」 「佐伯さんも見習わなくちゃね」 「その通りでございます」  春夫は、返す言葉が見つからない。それでも、気分は爽快だった。レイハナ八号店のフェルシアーノコーナーを作らせた主役は自分だという自負があったからである。後は数字であるが、そういう意味でも売れ行き好調で、満足すべき状態と聞くと嬉しくなった。  この前寄った二階の喫茶室で、明美は、レイハナ八号店のフェルシアーノコーナーの設置で、営業の喜びを知ったと春夫に言った。 「どうしたら、自分の会社の販売戦略といったものを相手に理解してもらえるか、とか相手の弱点と感じていそうな部分をさりげなく示してフェルシアーノのコーナーを作れば店舗全体の売り上げが伸びますよ、とかアドバイスしながら食い込んで行く。頭も使いますよね」 「うん、せいぜい勉強して頑張って。僕の新入社員の時より、よっぽどしっかりしてる」 「そりゃあ、まあ。異業種とは言え、中途入社ですからね」  明美は、当然と言いたげに言葉を返して来たのだった。  春夫の頭の中では、営業会議の資料に書かれる5の数字が踊っていた。ポイント5をふたりしてゲットしたのだ。           

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