ニューハーフ OL
第三章 六月下旬~七月下旬 3~5

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       第三章 六月下旬~七月下旬 3~5                       3  レイハナ八号店が、フェルシアーノのコーナーを作り文房具売り場の数字を伸ばしたことは、それぞれの企業にインパクトを与えることになった。長谷川店長の言うウィンウィンの関係が構築されたのである。  レイハナグループの店長会議が年に数回あると聞いていたが、長谷川店長がその効果を発言してくれたのか、鎌倉のレイハナ十二号店や目黒のレイハナ三号店でもフェルシアーノのコーナーが設けられた。テーブル式のワゴンに置かれる商品が、「おとなの女性のためのペンケース」と「花柄文房具ポーチ」と二種類の「文房具ケース」というのも変わりなかった。春夫にとって残念だったのは、明美に引き継いだ後の担当エリアにレイハナの店舗が、ひとつもなかったことであった。                  木川課長が、「こんなに早く営業の仕事に慣れるとは思わなかった」そんな言葉を吉村係長に洩らしたそうだが、明美は、ひとりになってからも張り切って仕事に励んでいた。  営業の仕事にやりがいを見出したのは、嘘ではなかったのだ。 明美はとりわけ、フェルシアーノのコーナーを獲得することに熱意を燃やしたのだった。成果もあがった。二十日間で三軒の店舗からフェルシアーノのコーナー設置の確約を取り付けたのだった。  池袋の西口近くの文房具具ショップ「ザザ」板橋駅前のブックストアー兼文房具の「ササキ書店」は、春夫も話したことがあるが、まるで、関心がないようだったので、希望はないな、とあきらめた店舗だった。  春夫が、これら二店よりも「やられた」と感じたのは、板橋区蓮根にあるバラエティーショップでのコーナー設置だった。名前は「リリーショップ」、ぬいぐるみやらクッションやらポストカードやら絵皿やらがあくまで主力商品である。  加田から「うちの商品で置いてくれているのは、ポーチだけだから、たまに顔を出す程度で十分」と言われたせいもあってか、引継ぎ後一度しか行かなかった店舗である。  明美は、違った。ホワイトボードに二週間に三回も「リリーショップ」の名前を書いたのである。そうして、見事にコーナーをゲットした。  「ザザ」や「佐々木書店」の時は、自分ももうちょっと頑張るんだった、と悔しい気持ちが先だったが、「リリーショップ」の場合は完敗を認めざるを得なかった。  ただ、やっかみでなくて、気になることもあった。ニューハーフクラブの乗りで、けっこう強引な営業をすることだった。夜の商売をテクニックをことさらに入れてもらっては、会社としてのイメージもあるので、困ることなのだ。瀬川主任や渡海からも同じ意見が出た。 「ポイントを取りたい気持ちは、皆おなじだけどさ、強引な営業はなしだからね」  春夫がソフトに言うのに 「ご安心のほどを。夜の世界の営業感覚を昼の世界に持ち込みませんから」  明美は答えたのだった。                               4  七月最終の週に開かれた月一の営業部全体会議の主役は、当然のように明美だった。  木川課長が明美の仕事への前向きさを絶賛した。  会議室で配布された㊙の印が押された用紙には、営業部全体の数字と共に営業課各自の当月の売り上げ額、目標額達成率、フェリシアーノコーナー獲得に関する成績などが掲載されている。  コーナー設置では明美が、四軒二十ポイントで一位だった。渡海が十ポイントで二位、春夫は五ポイントで三位、他のメンバーは、本社もサテライトも揃ってゼロポイントだった。    木川課長は、言った。 「コーナー獲得で、明らかに、女性向け商品の数字は、あがっています。皆も西野さんに負けないように頑張ってください」 さらに、こう付け加えた。 「西野さんの名誉のために言っときますけど、強引な営業はしていませんからね。お礼と共にザザと短期間で何度も行ったリリーショップの店長さんに確認しましたが、納得のコーナー設置だと言ってました」 「あの」  福岡サテライトの峰岸が顔をあげた。 一昨年に土木業界から転職して来た係長である。春夫には、短髪で将棋の駒みたいな顔の形に目、鼻、口のパーツが納まっているように見える。年齢は、五十歳、木川課長よりも年上である。他のサテライトは、二十代後半から三十代前半で名刺にはサテライト長と印刷されているが、峰岸だけは、係長待遇でサテライト所長と印刷されている。時々、木川課長に対してズケズケした物言いをする。言ってみれば、刈谷係長の男版と言ってもいい人であるが、敬意を払うべきところは払うというキチンとした部分もあるので、ふたりの関係は良好である。 「率直に言わせていただきますが、ポイントの多い背景には、西野さんの女装スタイルも有利に働いているかと思われます。私も女装していいですか?」  木川課長が答える前に「やめてください」、業務の女性達の声が重なった。 「もちろん、これです」  木川課長は、右手と左手を交錯させて大きなバッテンを作った。 「いいですよ。メイクの仕方とかランジェリーの付け方とはマンツーマンで教えましょうか」  明美の言葉に「いい、いい、マンツーマンは、ご遠慮します」と笑いの中で、峰岸サテライト長は両掌を顔の前で左右に振った。 「福岡サテライト所長、先月の営業会議でどこか取れそうだ、とか言ってなかったか?」  三田部長が言った。 「期待していましたが、ダメになりました。しばらく、このままで、ということで」 「やると言ったらやる、の峰岸さんでしょう、頑張ってよ」  三田部長の言葉にさすがの峰岸係長も反論なしだった。  昼休み明美は、いつものように女性達と社内でお弁当を食べていたが、男性社員の多くは、近くの中華料理屋に行った。 「西野さん、色っぽいよなあ。さっき、メイクとかランジェリーをマンツーマンでって言った時の俺への視線、ドキッと来たよ」  春夫の前の峰岸サテライト所長が言った。 「艶(つや)っぽい、と言った店長さんもいましたよ。女性ですけどね」  レイハナ八号店の長谷川店長の顔を頭に描きながら春夫は答えた。 「艶(つや)っぽいか。分かる。確かに」  峰岸サテライト所長は、ひとり納得する。 「営業同行していた時、女性を感じたりしたことあった」 「だって、女性ですもの」  木川課長の指示を忠実に守っているぞ、とばかり春夫は答えた。 「そうは言ってもさ」  峰岸サテライト所長がなおも何か言おうとした時、 「川田さん、大丈夫かな?」  他のことはのんびりしている感があるのに食べるのは早い松野が、食後のサービスで飲み放題のウーロン茶を前に関係ない言葉をポツンと言った。春夫もそれは気付いていた。午前中の会議で、木川課長が明美を誉めている時、つい佐和子の方を春夫は見てしまったのだが、表情を作る筋肉がこわばっていた。松野も気にしていたのだ。 「ちょっと心配だよな」  春夫も同調する。 「気が強いでしょ、川田っちゃんは?」  峰岸サテライト所長が言えば 「強いですよ。負けず嫌い」  松尾が答える。 「大丈夫にしなくちゃ。それより、松野君、君は自分のことを心配しなさい」  吉村係長が言った。 「私ですか?全然、オーケーですよ」  松野は、平然と言ってのけた。春夫も呆れる図太い神経である。    午後は、営業部として全体的にどのように展開していったらいいのかという話に加え、企画開発部で検討されている文房具ポーチに動物シリーズを加える案について意見交換会が成された。これの発案者は明美であった。アイディアを木川課長経由で企画開発部に持ち込んだのだ。企画開発部の企画開発課とデザイン課で検討、前向きに検討することになったのだった。  会議には、企画開発課の奥野課長と椎野主任、デザイン課の花柄ポーチの担当、隠岐裕実が出席した。企画開発部と意見交換会というテーマに春夫は内心で矢野主任も出て来ることを期待したが、かなわなかった。  隠岐裕実が描いたカバやトラやシマウマのサンプル絵柄に明美はノリノリで賛成する。業務の女子社員ふたりは「可愛い」を連発して商品化に賛成するが、女子社員の中でひとり佐和子だけが気乗り薄である。フェルシアーノのコーナーの獲得でも大きく負けている上に明美の発案が採用されたりしたら、面白くはないだろう。年齢は上でも相手は少し前まで夜の世界で働いていた人間なのである。「いいんじゃないですか」投げやりとも取れるひと言だけだった。そんな態度に佐和子の負けず嫌いの性格を理解しているから誰も何も言わない。佐和子と明美が冷たい関係になったら嫌だな、と春夫は心配になった。                 5  月一の営業会議の後は、いつもの如く近くの居酒屋で営業部全体の飲み会である。座敷に長いテーブルを連結させて座ることになる。 女子社員達は、中央部に座る。去年までは、端っこに座っていたのだが、「女性を大切にする部署だから」と三田部長の提案で中央部になったのだった。明美は、もちろん、佐和子と並んで中央部に座った。  木川課長は、毎回、いろいろな場所に座るが、三田部長は、いつもテーブルの真ん中に座る。「単に部長が、いい思いしたいがために女性を真ん中にと言ったのでは」の意見もあるが、女性達が嫌じゃなければいいだろう、と皆が受け入れている。  この日、次々料理と酒が出て来る中で、サプライズが起こったのは、真ん中あたりだった。 「忘れるといけないから」  と明美がバッグの中からリボンがかかった水色の小さな箱を持ち出したのだ。 「佐和子ちゃんの誕生日明後日でしょう。営業部女子からのプレゼント受け取って」 「ええっ」  佐和子は、驚きながらプレゼントを受け取った。    男性陣のアチコチから、「ハッピーバースデー」の声が上がる。 「開けていいわよ」  という声に「じゃあ、男性の方には見せません」と言いながら長テーブルの下で包みを開ける。 「ああ、これ」  この日一番に違いない喜びの表情が佐和子から弾けた。 「明美さんに感謝してね」  業務の貫井夏子が言った。 「嬉しい。明美さん、ありがとう。でも、よく手に入れられたね」 「女子会の時、言ってたでしょう。しっかり、インプットしてたのよ」 「言ったっけ?忘れてた」    佐和子は、本当か嘘か分からないが、そう言って笑った。 「感謝してもらうわよ。佐和子ちゃんのために毎日のようにネットで調べて発売日を調べて、土曜日朝早くから並んで手に入れて来たの?」 「ありがとう」  佐和子は、泣きそうな顔になった。 「見せてよ」  男性陣の強い要望に佐和子が数秒見せたのはブレスレットだった。赤と紫、二本の曲線が絡み合う中に宝石のような光を放つ小さな粒々が見えた。 「ダイヤモンド?」 「違うわよ。女子会のプレゼントよ。そんなわけないじゃない」 「ジュエリー岡畑の人気デザインで、ネットでも即完売なのよ。青山のお店でたまに売り出されるけど先着順で朝早くが苦手な私はあきらめてたの」  佐和子は、大事そうに箱にしまいながら言った。 「四時起き、佐和子ちゃんの喜ぶ顔が見たかったからね」 「涙ウルウル?」  自宅から毎日四キロの道のりを片道四十分歩いて往復している健脚自慢の仙台サテライト長の小暮が言った。 「心はそんなもんじゃありません。涙ダーダーです」  佐和子が顔の前で掌で涙の滝を作った。    自然と春夫と松野の視線が合った。松野が春夫に頷くのに春夫も微かに頷いた。冷戦回避であることは間違いないだろう。  余り直接仕事に関わる話はしない、が飲み会での暗黙のルールである。 だから、笑いが絶えないのだが、この日の飲み会は、普段顔を合わさないサテライトのメンバーからの明美への振りが自然と多くなった。 「あなたさあ、女性に恋したことないの?」  峰岸係長が、明美に聞いた。 「ないですよう」 「一度も?」 「はい、自信をもって言えます。単なる好きは、ありますけどね。佐和子ちゃんもそうだし、業務の女性達も皆好きよ」 「ニューハーフクラブで踊っていたんでしょう?」  大阪サテライトの小平主任だった。 「ショータイムにね」 「可愛いヒップをエロっぽく振って踊っていたわけだ」  峰岸係長のこの言葉には「セクハラ」の声があがる。女性達の前では、飲む席でもこの辺りが限界だった。 「休みの日には、何やってるわけ?」  こんな質問も出た。金沢サテライト長の三好だ。 「ウーン」  ちょっと考え込む明美に代わって夏美が答えた。 「塗り絵、だよね?」 「ありがとう。そうなの、お部屋でひとり塗り絵をしてるの、私」    塗り絵?春夫が初めて聞いた言葉だった。そう言えば、営業の同行中に趣味の話は余りしていなかった。 「色鉛筆?」 「大抵はそう。パステルの時もあるわよ」  明美は、質問者の春夫の目を見て答えを返したのだった。  居酒屋での飲み会が終わった後は、カラオケに行く時もあればカラオケのあるスナックに行く時もあった。この日は、神田駅の西口から少し歩いた場所にあるスナック「ヨシノ」の方だった。業務の女性ふたりと佐和子は一次会で帰るのが習わしでこの日も三田部長と共に駅の近くで別れた。  明美も「私は女子だから」と彼女達について行くそぶりを示したが、峰岸以下サテライトの人間「六月の時も帰っちゃったんだから今夜は付き合ってよ」と皆が引き止めた結果、二次会に参加となった。  ほんのり頬が赤くなっている明美は、「アルコールが回ると私お喋りになっちゃうのよね」と盛んに気にしながらヨシノに向かってついて来た。  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