赤坂ひかるの愛と拳闘
迷走する青春(2)

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   ◇  ひかるの家には、まだビデオがなかった。お昼の『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに高井麻巳子が出ると知ったひかるは、二時間目の授業を終えると、保健室まで走って心拍数をわざと上げた。 「――すいません。ちょっと熱があるみたいで」 「ああ。じゃあ、これで計って」  保健の先生はやれやれ、という表情をした。  先生に背を向けたひかるは、三十七度五分を狙って、逆さにした水銀体温計の先を、手の平で連打した。四十度くらいまで上がってしまった体温計の表示を、ちょっと振って戻す。水銀の途切れも綺麗につなげるプロの技だった。 「三十七度七分……。熱があるようだから、早退する?」 「はい」  ひかるは苦しそうなプロの表情で頷いた。のろのろとしたプロの動作で、保健室をでる。  門をでてからは急ぎ足で帰宅し、一人でテレビを見て満足し、やることのない午後を過ごした。 「あんた、今日、何しに帰ってきたの?」 「ちょっと、見たいテレビがあって」  そういうとき、ひかるは母にそのままを報告するのが常だった。夜に遊びにいくときも、学校をずる休みしてどこかに行くときにも、母にそのまま伝えた。嘘は決してつかなかったから信頼されていたようで、大きくラインを越えることでなければ何も言われなかった。  隠し事のできない性質だった。後ろめたいことを隠していると、気になって気になって何も手につかなくなる。だから逆に、自分のなかに明確な線ができた。万引きやいじめや喫煙や飲酒など、母に言えなくなるようなことはしないし、するべきではない。  校内暴力が大きな社会問題になっていた時代だった。札幌には"道連"という暴走族がいて、道警と抗争を繰り広げていた。ひかるの中学にも恐ろしい先輩たちがいて、トイレで後輩をシメていた。  ひかるは女子バスケ部で活躍していたし、先輩ともうまくやっていた。少し不良に憧れていたひかるは、ショートカットに軽くパーマをかけ、髪を少し流してみたりした。学生カバンの芯を抜いて、安全ピンでとめて、せんべいみたいにぺらぺらにした。開襟シャツを着て、色のついた靴下をはいて、靴のかかとを踏み、なかなかビーバップな青春を、ひかるは送る。  中学に入ってからは、目立ちたがって暴れ回るのは何か違う、と思っていた。小学生のときとは違って、一歩引いて斜に構える。集団のNo.2のようなクールな立ち位置を気取りたかった。  先頭にたつのではなく、けしかけてその気にさせ、斜め後ろから口をだす。活躍するというより暗躍する。ブレーンとかセコンドのように謀り、助け、導く。  人懐っこくておしゃべりなひかるには、このスタイルが案外似合っていた。くるくるよく回る頭で面白いことを考え、にこにこ好奇心全開の目で人の懐に飛び込む。嘘をつけなくて遠慮のないひかるの発言は、いつでも筋が通っているから、仲間たちからは信頼される。 小学生のときと同じく、ひかるのいる場所が、たいてい半径数百メートルの世界で一番面白い場所だった。言い出しっぺはいつもひかるだ。夜、友だちの家に集まってゲームをやったり、ホラー映画のビデオを観たりする。宿題をやろう、と集まって、結局何もやらずにしゃべり続ける。  夜が深くなるときっぱり眠くなるひかるは、二十四時になると場所がどこだろうと一人で寝てしまった。その後、暇になった仲間たちは、街や公園に自転車で出かけたりする。  朝起きて昨夜のできごとを聞いたひかるは、愕然とする。夜中に自転車をこぎ出して街や公園に行く、そんな尾崎豊の歌詞世界のようなことに、自分も参加したかった。だけどどうしても眠くて、いつも先に寝てしまう。  仲間同士で集まれば、いつだって愉快だった。北のカナリアたちは、遠くのアイドルの話に夢中になり、近くの友人の噂話にげらげら笑う。  思春期だった。いつでもお腹をすかせていた。小さなことに悩み、小さなことに腹をたて、小さなことに喜んだ。好奇心と情熱は湯水のように溢れ、異性との交流にも興味津々だった。 「ねえ、松岡先輩って格好良くない?」 「うーん、でもわたしは、岡部先輩のほうが好きかも」  野球部の試合を見つめながら、ひかるたちは話に花を咲かせた。ヒットを打った先輩に拍手を送り、噂の先輩に歓声を送る。  打点をあげた塁上の先輩と目が合うと、女友だちAは大いにキュンとし、BとCはまあまあキュンとし、ひかるはふうむ、と思った。 「今のは二塁まで行けたっしょ」  ひかるのつぶやきを、友だちは聞いていなかった。きゃあきゃあ騒ぐ彼女たちの隣で、ひかるはじっと、選手の動きを見つめる。父親に連れられてプロ野球を観にいくことが何度かあったが、プロ野球選手と中学生男子の動きの違いなどについて、考えたりする。  異性に興味がないわけではなかったが、野球部の部員などは皆、茶坊主に見えた。ひかるは運動部よりもワルの先輩に憧れた。と言っても、この人たちと仲良くなれたらなー、などと思う程度だ。  ひかるは友だちの恋愛相談に乗ったり、告白のフィクサーとして暗躍したりはするけれど、自分の恋心については一切話さなかった。恥ずかしかったというのもあるし、クールを気取っていたのもあるが、もともとそんなに興味がなかった。女友だちAが先輩と付き合いだしても、女友だちCが同級生と付き合いだしても、そのことに憧れたりはしなかった。 「なあ、赤坂、ちょっといい?」  だがあるとき、ひかるの男友だちのイケダくんが、その扉を開いた。 「おれたち、付き合おうぜ」  イケダくんは伏し目がちに、それでもまっすぐに言った。イケダくんはひ弱で線の細いガリガリ男子だったが、その日、好きな赤坂ひかるのために根性を見せたのだ。 「あー、うん」  と、ひかるは曖昧にうなずいた。  はっきりとは返事をしなかったのだが、やがてむくむくと興味がわいてきた。  いいかもしれないな、と思う。正直、イケダくんのことを好きだと思ったことはないが、考えてみれば彼は優しくていいヤツだ。きらきらしたアイドルが好きなひかるだったが、実生活では案外、色白でどんよりした男子を好んだ。  他の友だちには内緒にして、二人は付き合い始めた。普段は手紙のやりとりをして、ときどき二人きりでしゃべる。学校の友だちの話とか、おニャン子クラブの話とか、何ということのない内容のやりとりが、ゆるゆると続く。  塾の帰り道には、自転車で迎えにきてもらった。他の生徒の手前、塾の前まで来てもらうのは恥ずかしかった。だから二人はいつも、途中の公園で落ちあうことにした。  イケダくんはいつも自転車にまたがって、後輪をくるくる回しながら、ひかるを待っていた。ひかるを見つけると、左脚をはねあげてサドルから飛び降りる。そのとき夜の底にすたん、と響く靴の音が、ひかるは好きだった。 「おー、イケダー」 「おおー、赤坂ー」  普段は無口なイケダくんが、嬉しそうに顔をゆるませた。  夜の公園でブランコにのりながら、二人はしゃべった。本当にどうでもいい内容をしゃべるだけだったが、それは多分、青春を歌っているのと同じだった。多分、恋や友情や夢を歌っているのとも同じことだ。  イケダくんはひかると違って、計画的な男子だった。夏、彼はまだ中学生だからお小遣いは少なかったしアルバイトもできなかったが、親が勤めている郵便局の周りの草むしりをして、お金をためた。彼はひかるの誕生日に、プレゼントをしたかったのだ。  十一月、ひかるの誕生日を前に、イケダくんは考えた。おれの彼女は何をあげれば一番喜んでくれるのだろう。ひかるの喜ぶ顔を思い浮かべながら、イケダくんは考え続けた。 「おー、イケダー」 「おおー、赤坂ー」  その夜、イケダくんはいつもより勢いよく、ぴょん、と自転車から飛び降りた。 「なあ、ベンチのとこ行こうぜ」 「うん」  並んで歩きながら、イケダくんはさりげなく言った。 「誕生日おめでとう」 「ありがとー」  ベンチに先に座ったひかるに向かって、イケダくんはジーンズのポケットに手を突っ込んだ。 「これ、誕生日プレゼント」 「え? なんで?」 「これで吉川晃司のコンサートに行きなよ」  イケダくんは三千円を、ひかるに手渡した。自分のぶんも貯めて一緒にコンサートに行くには、草むしりでは届かなかった。でも自分が草むしりをして貯めたお金で、ひかるに吉川晃司のコンサートに行ってほしかった。 「まじで? ありがとう!」  特に疑問に思うこともなく、ひかるは三千円を受け取った。現金をもらうなんて何だか変だな、と頭の片隅で思ったけれど、無邪気に喜んでもいた。 「じゃあ行ってくるよ、コンサート」 「ああ、行ってきなよ」  イケダくんはにんまりと笑った。  十五歳になった日、イケダくんの優しさに触れて幸せな気分だったことを、ひかるは今でもよく覚えている。このお金で自分は吉川晃司のコンサートに行くんだ、と思ったこともよく覚えている。  だけど自由だった。財布に入ったお金は自由で、用途を限定してくることなどない。  友だちに肉まんをおごったり、ポップコーンを買ったりしているうちに、三千円はあっという間になくなってしまった。  もらった三千円と同じように、ひかるの中学生活も、あっという間に終わりを迎える。

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