赤坂ひかるの愛と拳闘
成長する少女(7)

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   ◇  五年生になるときクラス替えがあったのだが、ひかると新崎はたまたま同じクラスになった。それ以外のメンバーの多くもたまたま同じクラスになり、ひかる軍団は少しのメンバーチェンジを経たにとどまった。しかし実際のところそれは、たまたまではなかった。  ひかるたちは何も知らなかったし想像もしなかったが、そこには教育的意志が働いていた。クラス替えは完全にランダムに行われるわけではなく、三月末の夜の職員室では、教育的な観点によるドラフト会議が行われるのだ。 「ナカザワ先生、この子たち……何とかお願いできませんか?」 「いいでしょう。お任せください」  年かさの女性教師や若手教師では手に余りそうな悪ガキは、まとめて教師ナカザワのクラスに配置された。ナカザワは西岡小学校で最も恐れられた教師で、生徒の前では一度も笑ったことがないという伝説を持っていた。 「ふざけるときにはふざけていい。だが、そうじゃないときには、けじめをつけろ!」  クラス替えの初日、ちょっと騒いでいた新崎が、いきなり教壇の前に呼びだされた。ほっぺたをつねりあげるようにされた新崎は、そのままばちん、と見せしめのビンタを食らった。  新崎は一撃で涙目になり、ひかるたちは震えあがった。みんな同じクラスになったと喜んでいたけど、ハードな毎日が始まったのかもしれない。  教師ナカザワは体育のときにも勉強のときにも、とにかく厳しかった。ひかるたちは毎日、家庭学習として、一日にノート五ページ以上の学習をしなければならなかった。朝の全校集会で校歌を歌うとき、真面目に歌っていなかったら、ひかるのクラスだけ廊下に立たされた。何か問題が起きると、給食の前に校庭を何周も走らされた。  ひかる軍団は様々な悪知恵を働かせた。ノート五ページの学習は、なるべく大きな文字を書いて負担を減らそうとした。しかしそんなことがナカザワに通用するわけはなく、やがて学習ノートは一ページ何行以上、一行何文字以上、と細かく決められた。  激しく怒られたときは思い切りしゅんとするひかるたちだったが、その二分後には復活した。教師ナカザワの監視の目をかいくぐり、バレても仲間を売るようなことはせず、ときどき校庭を走らされ、へとへとになりながらも毎日必ずカタキをやった。 「赤坂、ちょっとこっちに来い」  その日の放課後、ひかるはナカザワに声をかけられた。持ってきてはいけないガンダムのカードを学校に持ってきていたひかるは、びくびくしながらナカザワのところに行った。だけど始まったのは、そんな話ではなかった。 「今度の学習発表会、お前たちで何かやってみたらどうだ」  教師ナカザワは単なる鬼というわけではなかった。彼は、ひかるたちのありあまる情熱や好奇心を、どうにかしてカタキやガンダム以外のものにも向けてやりたい、と考えていた。もうすぐ六年生になり、やがて中学生になるひかるたちに、何かを成し遂げさせてやりたかったのだ。 「劇でもいいし歌でもいいんだぞ。今度の学級会でこれがやりたいって提案して、赤坂が中心になってやってみればいいだろう」  決して笑わないナカザワの目が恐ろしかった。だけど、怒られるわけではない、と、次第に理解し、ひかるの呼吸は落ちついていった。 「やってみたらどうだ? お前が頑張ってやるなら、好きなようにやっていいんだぞ」 「……あ、はい」  ひかるは緊張したまま曖昧な返事をした。 「学級会のときまでに、考えておけよ」 「はい」  先生のもとから去るとき、緊張は急激に弛緩しかんしていった。それと一緒に晴れやかな気持ちが膨らんでいく。学習発表会――。  それはつまり学芸会のようなもので、毎年、保護者なども集まる大々的な行事だ。一~四年生は各学年が、五~六年生は各クラスが劇や合唱や演奏や踊りや朗読やスタンツ(組み体操のようなもの)をする。こういうものは先生にやらされるものだ、と思い込んでいたけれど、自由にやってもいいらしい。 「わたしがやります!」  学級会で劇をやることを提案したのも、責任者に立候補したのもひかるだった。茫漠とした表情で学級会に参加していた新崎たちも、ひかるがやるとなったら急にいろめきたった。なになに? 劇やんの? どうやってやんの? どんなのやるの?  熱い風が吹き荒れようとしていた。カタキやガンダムのことを一旦棚上げし、ひかるたちは昼休みにも放課後にも、自分たちの劇のことを考え続けた。  公園の盛り土の上に寝転がって、ひかるとその仲間はあれやこれやと声をだした。新崎やバカな男子たちは、げらげら笑いながらアイデアを出した。公園の端に小屋のようなものがあって、ひかるはその屋根の上に仁王立ちした。 「その後ソンビは、伝説のギョウザマシーンの設計図を探しに行くことにした!」  ひかるが言うと、屋根の下で新崎たちが、うひゃひゃひゃと笑いながらメモをとった。 「ガジラとゴメラを仲間にして、カプセル怪獣にするんだ!」  宇宙の片隅にあるような札幌の小さな公園で、未だかつて誰も観たことのない脚本が、完成していく。 「ここでセットチェンジして、コマーシャルに行く」 「コマーシャル なんのコマーシャル?」 「ペプシです。これはペプシです」  うひゃひゃひゃひゃ、と新崎たちが笑った。  当時、彼らの間では、牛乳を飲んだりしたとき「これはペプシです」と言うのが流行っていた。ペプシコーラのCMで、二つのコーラを飲んだ人が、美味しいほうをかざしながら「これはペプシです」と言うのが元だ。  迷走するダンゴムシのように、着地点のない脚本ができあがっていった。主役の"ソンビ"をひかるが演じ、その敵"バリカン星人"を新崎が演じる。他の仲間たちの役も決まっていく。  休み時間や放課後、彼らはごっこ遊びの延長のような感じで、劇の練習をした。脇役などの立ち回りも自分たちで試しながら、演出を完成させていく。 「ねえ、これやらない? バリカン星人の弟子役。やるでしょ?」 「えー、バリカン星人?」  女子のなかで一番仲のよい樋爪ひづめさんと南さんにひかるは頼んだ。 「大丈夫だって、やろうよ。絶対おもしろいから!」 「んー、いいけど」  半信半疑だった二人だが、ひかるに頼まれたら断れなかった。ひかるは女子と遊ぶときでも、常にリーダー格だ。 「ねえねえ、板根さん、このデブルマンの役やってくれない?」 「……デブルマン?」  板根さんは怪訝けげんな表情をした。  ひかるから受け取った脚本を見ると、デブルマンは「ホーイ! ホーイ! ホーイ!」と叫んでいた。それよりもデブルマンという名前が、肥満気味の板根さんには気になるところだった。 「デブルマンは最後にも出てきて、結構いい役だよ。わたしがやり方とか全部教えるからさ。ねえ、一緒にやろうよ」 「……いいけど」  人懐っこいひかるの笑顔につられるように、板根さんはうなずいてしまった。 「ねえ、よーちゃん、よーちゃん」  ひかるに呼ばれた池上くんは振り返った。池上くんは妖怪人間ベムに似ているため、よーちゃん、と呼ばれていた。 「今度の劇でさ、わたしたちの味方役のムベやってよ。いいでしょ? やろうよ」 「……いいけど」  クラスのスターのひかるに気安く誘われたので、池上くんは嬉しかった。ムベというのは妖怪人間ベムのベムを逆さにしただけなのだが、そのことにはまだ気付いていなかった。  役者を口説き終えたひかるは、歌やナレーションなど、クラスの全員に役割を作った。学級会のときには、自分たちが練り上げた劇を、熱心に教えた。最初は遠巻きにしていたクラスメイトたちも、やがてその熱に巻き込まれていった。 「おい、お前たち! ここは通さんぞ。おれはムベ!」 「あたいはラベ!」 「おいらはロベ! 三人合わせてー」 「ようかい人間♪ ようかい人間♪」 「お前ら、これをやるからついてこい。にいくら屋の花園だんごだ!」  熱気は凄かったが、劇の内容はとてもくだらなかった。練習の様子を見た教師ナカザワは、これを保護者や教職員の前でやるのはまずいのではないか、と思った。だけど何も言わなかった。  生徒が自主的にやるといっても、他のクラスでは何だかんだでお仕着せの劇や演奏をする。だけど何年かに一回、こんなふうに団結して、自分たちだけで何かを成し遂げるクラスが現れる。もしかしたら自分は今、貴重なその瞬間に立ち会っているのかもしれない。  家に戻った教師ナカザワは、晩酌をしながら、ひかるの書いた脚本を開いた。  画用紙の表紙で綴じられた原稿用紙には、細かい文字が丁寧に綴られてあった。この情熱で学習にも取り組んでくれれば、と思ったが、そんなのは土台無理な話なのだろう。   『たたかえ☆ソンビ』 ナレーター   説明しよう! むかしむかし、ソンビという妖怪が、弟子といっしょに"カラッポそう"という所で下宿をしていたのだ。 ソンビの弟子  あ、カラッポ印のギョウザを作っている! ソンビの弟子  本当だ! カラッポだ! カラッポだ! カラッポおば  ア、あれ? ない! ない! ギョウザの設計図がない! ソンビの弟子  えー、そんなー カラッポおば  バリカン星人がぬすんだな~ ソンビ     (登場して)どうしたんでえ~どうしたんでえ~どうしたんでえ~ ぜんいん    ていへんだ~ていへんだ~ていへんだ~ていへんだ~ カラッポおば  お前ら、今までたまっていたやちんを、ちょう消しにしてやるから設計図をとりかえしてこい~(ソンビを蹴る) ソンビの弟子  んだんだ(このときみんな小さい声でてきとうに何か言う) ソンビ     へーい  場面かわる(ここで、ペプシのCM) ふう、とナカザワはため息をつき、脚本を閉じた。何かがほとばしっている脚本だが、彼には面白さが全くわからない。  眉間に皺を寄せてため息をつき、晩酌のビールをぐびり、と飲んだ。なあ、赤坂……、バリカン星人ってお前……、カラッポギョウザって何だよ、赤坂……。  こんなものを上演して、PTAや校長に何か言われたりしないだろうか……。他のクラスの劇で『オズの魔法使い』をやるところがあったが、我がクラスは『たたかえ☆ソンビ』でいいのだろうか……。  ただ正直、現在のクラスの熱気には驚いていた。ナカザワの長い教師生活のなかでも、こんな状況になるのは初めてだ。遊びの延長には違いないのだろうが、赤坂と新崎を中心とした生徒たちは、劇の成功に向けて団結し熱中している。男子だけ女子だけというムーブメントはあっても、男女とも同じように盛りあがることは滅多にない。  教師から見れば、クラスの四十人の生徒には、それぞれの個性があった。足が速い、よくしゃべる、大人しい、シニカルである、ふざけている、まじめで丁寧だ、声が大きい、優しい、のんびりしている、大人びている、勝ち気だ、感受性が強い、活発だ、背が高い、気が短い、向上心が強い――。  小学校という器で育ったそれぞれの魂は、中学や高校などを経て、他者や世界と折りあっていく。小さなもやもやした魂は、姿形を変えながら、やがてくっきりと輪郭を持つ。思いもよらない形になったとしても、根底にある色は変わらなかったりする。  だから大人になったかつての生徒と会うと、妙に得心することが多い。あの山本がこうなったのか、などと知り納得する。かつてああだった古手川はこうなったのか、なるほど、と腑に落ちたりする。  では、赤坂ひかるはどんな人生を歩むのか、と言われたら、彼にはさっぱりわからなかった。  男子みたいな格好をして、おしゃべりで明るくて、人懐っこくて、いつでも渦の中心にいて、周りを巻き込んでいく。全然良い子ではなくて、わがままでがさつで、そのくせ誰からも愛されている。愛される者特有のもろさや背伸びした感じもなくて、嫌われても全然構わない感じに振る舞っている。ときどき腹痛を起こし、午前中のうちに、するっと早退して教室からいなくなってしまう。  だいたい男子たちは、赤坂のことを何だと思っているのだろう。新崎は赤坂の舎弟のようでもあるし、弟のようでもある。それ以外の者も、たいてい赤坂の言うことには従っている。赤坂の王者力のようなものは、どうやって生まれたのだろう。 『たたかえ☆ソンビ』……。校長や教頭に何かを言われたら、自分がうまくごまかさなければならないな、と考えながら、ナカザワはビールを飲む。

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