赤坂ひかるの愛と拳闘
迷走する青春(11)

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   ◇ 「父さんは、どれくらい入院するの?」  病院からの帰り道、車を運転しながらひかるは訊いた。 「わからないけど、脳梗塞の入院は長くなることが多いらしいよ」  助手席に座る母は淡々としゃべった。 「ただ退院できても、前と同じように、仕事できるかはわからないけどね。どっちにしても、いい歳だし」 「……ジムはどうなるの?」 「続けるわよ。それで、もしよかったら、あんたさ、」  前を向いたままの母は、それから驚くようなことを言った。 「ジムの留守番をやってみない?」 「え? 留守番って何?」 「管理人的に、ジムにいる感じで」 「いや、だけど、それって無理じゃない?」  赤坂ジムは十六時半に開き、二十一時すぎに閉まる。ひかるが会社から戻ってくる時間にはもう開いているし、すでに閉まっていることさえある。留守番なんてやりたくてもやれない。 「だから、あんたが会社を辞めてってことだけど」 「え?」  驚いたひかるの足が、一瞬だけアクセルを戻した。 「誰かがジムを開けて、終わったら戸締まりしなきゃならないでしょ。今までは父さんがやってたけど。わたしには無理だし」  母は一日おきに友人の美容室の手伝いに行っていた。それに加え今は毎日、病院に通っている。 「ジムの開け閉めと、あとは電話がかかってきたら出て、見学者とかお客さんが来たら対応するのと、月謝を集めたりとか。給料はだせないけど、必要なものは家のお金で買えばいいから」  車間距離に集中しながら、ひかるはアクセルを調整した。それは要するに、ちょっと家業を手伝ってみないか、という感じの話のようだ。 「ジムの仕事って、多分あんたには向いていると思うよ。事務員もいいけど、どっちかといったら、そういう自分一人の仕事のほうが、向いているんじゃない?」  気楽な調子で母は言ったけれど、思いつきで言っている感じではなかった。  かっち、かっち、かっち、とウィンカーをだし、車は家に向かうための最後の角を曲がった。水源池通りの先にひかるの家が見えてくる。  練習生たちは、父が倒れてからも、今までと変わらず通っているらしい。ジムの経営はもともと母が回していたし、指導についてはベテランのボクサーが、選手と兼任でやってくれている。父が戻ってくるまで、自分たちがジムを守ろう、という雰囲気になってくれているらしい。  車を減速させたひかるは、ちら、と目だけを動かした。 “赤坂ボクシングジム”という赤い文字が目に入った。脇には”練習生募集”という文字と、電話番号が書いてある。自宅の一階にあるそこは、今までひかるにとっては遠い場所だった。 「……やってみようかな」  あっさり言ったひかるは車を停め、サイドブレーキを引いた。  やる気があったわけではないけれど、これで朝のつらさから解放されるかもしれないと思った。たいていの物事を、ひかるはこんなふうに決めてきた。 「そうね、少し考えてみなさい」  シートベルトを外しながら、母は言った。

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