赤坂ひかるの愛と拳闘
成長する少女(2)

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   ◇  本当に私たちは幸せでした!  三人の少女キャンディーズが、後楽園球場のラストコンサートで普通の女の子に戻った。入れ替わるように、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビューした。世界のムシケンは、札幌の試合以降、全ての試合をKOで勝利し続けている。  一九七八年。小学生になったひかるは、連日、男子を引き連れて遊びまくった。公園で遊んだり、校庭で遊んだり、教室で遊んだり、通学路で遊んだり、誰かの家で遊んだりするのだが、その日に何をして遊ぶのかを決めるのは、いつも赤坂ひかるとその相棒の田川のコンビだ。 「赤坂、今日はどうする?」 「んー、うちで遊ぼっかな」 「おお、じゃー早く行こうぜ」  走りだすひかると田川の後を、五、六人の男子が追いかけてくる。  二年生になると、野球のまねごとやドッジボールを始めた。あとはウルトラマンが流行はやると毎日ウルトラマンに関わる遊びをし、それが突如としてドラえもんに変わり、また突如としてスペースインベーダーに変わった。  女子の間ではコメットさんが流行っていて、くるくる回すバトンを買ってもらう友だちもいた。ひかるは一応、そういう女子向けのものも嗜んだ。だがそれよりもボルテスVの超電磁ゴマや、闘将ダイモスの必殺烈風正拳突きなどといったものに、どうしようもなく惹かれた。  彼女の毎日は輝いていた。倶知安から札幌の街中にやってきて、家族との時間が増え、大勢の友だちができた。家の近所、家から学校、途中にある公園、友だちの家の近所、と、ひかるは自らの活動範囲を広げていく。 「ひかる、ほら、ひかる、ほら!」  父の差しだす左手に、ぺちん、と右ストレートを合わせた。父は機嫌の良いとき、こういうミット打ちのようなことをやりたがった。食卓にあるテレビで、山口百恵が「いい日旅立ち」を歌っている。  父はイカ徳利どっくりにいれたお酒をちびちびと飲んだ。イカ徳利とはイカを徳利の形にして干したもので、ここに燗したお酒を入れればイカの味がしみ出て、お酒が新しい味わいになる。飲んだあとイカをあぶって食べると、今度は酒の味が染みこんでいて、また新しい味わいになる。  お酒のアテが大好きなひかるは、父が解体してくれたイカ徳利をはむはむとかじった。 「いい日ー、旅ー立ちー、か」  また左手を差しだす父親に、ぺちぺちん、と、ワンツーパンチをたたき込んだ。 「そうだ。ひかる、西岡って知ってるか?」 「知らない。何?」 「今度な、西岡に引っ越すぞ」 「やだ!」  ひかるは大きな声をだした。反射的に答えただけだったが、これははっきり嫌なことだ、とすぐに理解が追いついてきた。倶知安とかニシオカとか、遠くに行くのはもう嫌だ。自分は札幌にいたい。 「今よりずっといいところだぞ。家も広くなるし」 「やだ! 絶対やだ! やだ!」  ぶんぶん、と首を振るひかるの反応が、父にはとても意外だった。そして父は、ゆっくりと気付いていく。 「……みんなで行くんだぞ、ひかる。父さんも母さんも、みんなで引っ越すんだぞ」  泣きそうになっていたひかるだったが、ひとまず涙腺は閉じていった。 「今より広い家になるからな、二階建てだぞ。ひかるの部屋もあるからな」 「……あたしの部屋?」 「そう。ひかるの部屋を二階に作るし、山も近いし、いいところだぞ」 「んー……、でも、やっぱり札幌がいい」  あっはははは、と、父は笑った。 「札幌だぞ、ひかる。西岡も札幌だ。ここから車で二十分くらいだから、すぐ近くだぞ」 「ふーん」  それならまあいいか、と、ひかるはあっさり思った。車で十分か二十分というのが、どれくらいの距離かあまりわからなかったけれど、札幌なのだったら別によかった。自分の部屋ができるというのも、スバラシイことだ。  まあまあのロクデナシであるひかるの父は、思いつきで行動する人だった。ちょっとここも手狭になってきたわねえ、と、母がつぶやいたのは五日前のことで、そのことを父が行きつけの飲み屋で語ったのが三日前のことだ。いいところがあるんだよ、と知りあいに物件を紹介され、二つ返事で契約することを決めたのは昨夜のことだ。  やれやれ、と首を振りながら、母はいつものことなのであきらめていた。母は自立心と包容力にあふれるあまり、父のデタラメさや非常識を許容してしまいがちだった。 「ひかるは転校だからな」 「え! 転校するの?」 「ああ。西岡小学校は大きいから、楽しいぞ」  上機嫌に語る父に、転校か、と、ひかるは思う。  ひかるのクラスにも、転校生がやってきたことがあった。注目を浴びる転校生のことを、何故だか格好良く感じていた。異なる世界からやってきたその子のことが、とても気になった。その子に対して優しく接する自分を、誇りに思うような気持ちがあった。  転校……、ひかるは想像する。目立ちたがりやで、人気者で、活発なひかるのなかで、好奇心がむくむくと湧きだす。  友だちとの別れがどういうものなのか、八歳のひかるにはわかっていなかった。新しい環境が自分に与えるかもしれないストレスについてもわかっていなかった。まあまあロクデナシな父はもちろん、そんなことは想像すらしなかった。 「ねー、いつ引っ越すの?」 「二ヶ月くらい先、三学期からかなあ」  二ヶ月というと、まだだいぶ先の話のように思えた。車で二十分の距離がわからないように、二ヶ月といった時間についても、小学二年生にはあまり実感できない。  翌日、ひかるは早速、自分が引っ越すことをクラスメイトに話した。 「あのさ、あたし転校するんだよね」 「うっそ」  衝撃や動揺や不安とともに、クラスは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。最初は得意気だったひかるだが、急に不安になってきた。だけど彼女たちは小学二年生だったから、様々な感情は宙ぶらりんのまま、一旦、棚上げされた。  昼休みになると何ごともなかったかのように、ひかるを中心としたインベーダーごっこが行われた。でっ、でっ、でっ、でっ、でっ、でっ、でっ、でっ、でっ、と言いながら左右に動く男子めがけて、ひかるがぞうきんのボールを投げる。UFO! と叫びながら、ときどき一人が最後列を駆け抜けていく。  二学期が終わると、北海道特有の長い冬休みが始まった。年が明けて一月十六日に新学期が始まり、それから一週間が経つと、いよいよ赤坂家の引っ越しとなった。何もこんな寒いときに、と、母が愚痴をこぼしている。  だいぶ先だと思っていたことでも、いずれその時は来てしまうのだということを、小学二年生たちは知る。お別れ会の日、ほとばしる思いの詰まった手紙を、ひかるは受け取った。  ――赤さかさんはぼくに、はさみをかしてくれました。わかれるのがとてもいやです。ぼくはぜったいきゅうしょくを食べるからね。  ――赤坂さん、うちの犬とあそんでくれてありがとう。けしごむをかりました。ぼくの字はへたでしょう。むこうの学校でも早く友だちを作ってね。  ――今までいた中で赤坂さんが一ばん元気がよくて、たのしかったです。ゼッタイにてがみを書くので、へんじをください。  恥ずかしいような、照れくさいような、それでもやっぱり嬉しかった。お別れなのに、お祝いされた気分で、最後にみんなで歌を歌う。 「じゃあ、あとで公園に集合な!」  友だちの男子たちは家に荷物を置きにいき、ひかるは田川と二人、家への道を歩いた。  その日は、もらった手紙やお道具箱や教科書などを、全部、家に持ち帰らなければならない。男子たちがみんな手伝ってくれようとしたが、おれが一人で持つ、と田川が言い張った。  田川が荷物を大量に抱えたため、ひかるはいつもの帰宅時と変わらなかった。ふらつきながら歩く彼に合わせて、ひかるはゆっくりと歩く。  田川はクラスで一番、スポーツができた。ひかると一番仲の良い友だちだった。ひかるの相棒であり、ひかるの初恋の相手であり、向こうが自分のことを好きなことも知っていた。だけど今日、初めて知ったことがある。  ――赤さかさんはぼくの一ばんのしんゆうでした。ひる休みにいっぱいあそんでくれてありがとう。サッカーのチームはせきにんをとるから心ぱいしないでください。  しんゆう、という言葉にひかるの胸は熱くなった。自分たち二人は親友なのだ。  親友というのは友だちとは違った。一緒に遊ぶというだけではなく、二人はもっと深いところで繋がっている。親友は同じ方向を見つめるユニットのようなものだ。  二人の少年が合体して闘う超人バロム・1という特撮ヒーローのことを、ひかるは思いだした。バロム・1は悪い敵と闘う。そのとき二人の少年は、完全に一人のヒーローになっている。二人の魂はうねるように交わり、一つの熱い意志になる。  ひかるの家に着いた二人は、荷物を置いて、家の前の段差に座った。これから公園に行かなければならないのだけれど、なかなか動かなかった。 「……おれらは、ずっと親友だから」 「うん」  ひかるは深く頷いた。 「サッカーチームのことは、おれが何とかするから」 「うん」  少し前にひかるは、クラスの中から十一人を選んでサッカーチームを作ろうとした。だけど自分が転校することを思いだし、やっぱりやめる、と言ったら、田川は不満そうな顔をした。だってわたしは転校するんだから、と言ったら、田川は、そうか、とだけ答えた。 「ときどき遊びにいくから」 「うん、わかった」 「……あと、ときどき遊びにきてよ」 「うん、わかった」  二人の吐く息が白かった。二人はお互いにもっと伝えたいことがあるのだけど、それが何なのかはわからなかった。 「おれと赤坂は、ずっと親友だし」 「うん、そうだね」  札幌の冬空の下、触れると火傷するような何かが、めらめらと燃えあがっていた。太陽のプロミネンスのように、二人の魂は渦を巻きながら燃えあがる。 「こっちのことは心配するなよ」 「うん」 「他のやつらのことも、おれが何とかするから」 「うん。まかせた」  二人は段差のところから動かなかった。  公園では放置された五人の少年が、リーダー二人の到着を、まだかまだかと待ちわびていた。

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