「ねえ、ムシケン! ぐるっとやって、ねえ、ぐるっと!」 ムシケンと呼ばれた青年が目を向けた先で、五歳のひかるが両手を大きく差しだした。 「ぐるっと! 違うよムシケン! そう、そう、ぐるっとぐるっと」 向かい合って両手を握ってもらったひかるは、ムシケンの両脚を一歩一歩這い上っていった。やがて自らの肩を中心に、ぐるん、と体を回転させ、あきゃきゃきゃあ、と笑い声をあげる。 「ムシケン! もう一回! ムシケン!」 初めて会ったこの青年のことを、ひかるはいきなり気に入っていた。 ムシケンの体は引き締まっていて、もこもこした不思議なヘアスタイルと口元のヒゲが、とてもイカした。彼は研ぎ澄まされた厳しい目をしていたが、その奥にある優しさを、ひかるは見逃さなかった。 ぐるん、ぐるん、ぐるん、ぐるん。 「もう一回! ムシケン! もう一回!」 あきゃきゃきゃきゃきゃあ、とはしゃぎながら、今度はカンガルーのキックのように、ムシケンの腿を蹴りあげて一気に回転した。 「ちょっ、ちょっち、ひかるちゃん!」 無口な青年が、慌てたように声をだした。 青年は昨夜からかなり疲弊していたけれど、それでも小さな女の子と遊ぶくらいなら、わけはなかった。だけどこの五歳児は青年の想像を超えて、勢いよく跳ね回る。 「もう一回! ムシケン! もう一回!」 「ひかる、こっち来い、ひかる!」 父に呼ばれたひかるは、あっさりとムシケンの手を離し、いきなり踵を返した。 急に手持ちぶさたになった青年は、不思議そうな表情をして首をひねった。道産子はみんなこんなに元気がいいのだろうか、と、石垣島で生まれた彼はぼんやり考える。 五月の札幌の中島公園には、気持ちのいい風が吹いていた。 ひかるはともかく、毎日が楽しくてしょうがなかった。この春、ひかるは父母と一緒に暮らせることになったのだ。 彼女はこの二年、祖父母の元で暮らしていた。幼い彼女はあまり自覚していなかったが、ずっと寂しさを抱えて生きてきた。 失った時間を取り戻そうとするように、ひかるは父にまとわりつく。 ひかるの父は、もともと大相撲の力士を志していた。 中学校を卒業すると同時に上京し、彼は相撲部屋に入門した。最初はなかなか太ることができなくて苦労したが、三年間で三段目まで進んだ。兄弟子とケンカをして相撲部屋にいづらくなったとき、親方にボクシングをやってみないかと勧められた。 それから東京の帝拳ジムに通いだした父は、今度は逆に二十キロ以上、体重を落とすことになる。大相撲で培ったパワーを活かし、やがて彼はプロボクサーとして頭角を現す。 ひかるの母はたまたま知り合いに誘われて、ボクシングの試合を観戦していた。汗や血を飛び散らせながら闘う男たちに、母は息を呑んだ。試合後、さっきまでリングの上で闘っていた父を紹介された。逞しく、礼儀正しい父に、母はぐっときた。 父はやがてミドル級の日本チャンピオンにまで上りつめることになる。チャンピオンになったとき、父は母にプロポーズし、二人は結婚した。 チャンピオンから陥落してからも、ローマで世界チャンピオンと試合するなど、父は活躍した。だが選手としての力は次第に衰えていく。日本ミドル級の王座を賭けて、新鋭のカシアス内藤と闘い、KO負けをしてしまう。 「ねえ、いつまで選手を続けるつもりなの?」 それからなかなか試合の組まれなかった父に、母は問うた。 「……女の子が生まれたら、引退するかな」 「そっか」 その夜、いろいろあって、新しい命が母の胎内に宿った。 一九七一年、母は実家のある札幌に戻り、元気な女の子を出産した。女の子はひかると名付けられ、父は本当にボクシングを引退した。 思いつきなのかなんなのか、父はそれまでゆかりのなかった北海道でボクシングジムを開きたいと言いだし、一家はそのまま札幌に住むことになった。 いつかボクシングジムを開くという夢を温めながら、父は内装工事の仕事を始めた。ただ彼はまあまあのロクデナシというか、ともかく給料が入るとすぐに、後輩全員を引き連れて飲みに行ってしまうような親分気質の男だった。 母は美容師の仕事を始め、家計を助けた。 ひかるが三歳になるころ、無理を重ねた母が体調を崩し、入退院を繰り返すようになった。気付けばひかるは、母方の祖父母のもとに預けられていた。 祖父母の家は札幌から遠く離れた、倶知安というところにあった。エゾリスやエゾモモンガの棲む羊蹄山のふもとで、彼女は小学生になる前の時間を過ごした。 何もないところだった。 祖父母は家の二階を自衛隊員の家族に貸していて、その子ども二人とよく遊んだ。祖母の友だちの家に、ときどき遊びに連れていってもらった。その家がとても遠かったということを覚えている。 毎朝、食卓にあがるクジラのベーコンが大好きだった。エビフライも好物で、食べ終わると名残惜しくて、シッポをちゅう、と吸った。スパゲッティが発音できなくて、スカペッピーと言っていた。 祖父母と一緒だったせいか『江戸を斬る』や『水戸黄門』や『大岡越前』や『遠山の金さん』といった時代劇ばかりを観ていた。あとは『天才バカボン』を観ていたことも覚えている。おかげで太陽は西からのぼるものだと後々まで信じていた。 「ひかるちゃん、どういう自転車がいいの?」 初めて自転車を買うことになり、どんな自転車がいいのかと祖母に訊かれた。 「馬がいい!」 時代劇ばかり観ていたひかるにとって、馬は乗り物だった。馬があれば一人で遠くに行けるだろう。もしかしたら札幌の両親のところまで行けるかもしれない。 「……馬はちょっとねえ」 彼女を甘やかしまくっていた祖母だったが、さすがに馬は飼えなかった。 ひかるは毎晩、祖母の手の甲の皮をつまんでいないと眠れなかった。眠りについても手を離さなかったから、祖母の手の甲には常にアザができていた。 ときどき札幌から両親が遊びにくると、ひかるは喜びを爆発させた。だけどそのときの嬉しさよりも、両親が札幌に戻るときの寂しさのほうを、強く覚えている。普段は寂しさを感じることはなくても、そのときばかりは、もの凄く寂しかった。 「ひかる、それじゃあな、ひかる」 父はがしがしとひかるの頭をなでた。母と一緒に車で去っていくその後ろ姿を、ひかるは祖母の手を強く握りながら、見つめ続ける。 「ちょ、ちょっちゅ、ひかるちゃん」 無口なムシケンがまた声をあげた。走り回っていた彼女が、また青年の脚に飛びついてきたからだ。 「ねえ、ねえ、ムシケン!」 ひかるはムシケンのもこもこした髪型に興味があって、それを触りたかったのだが、ジャンプしても手が届かなかった。 「ねえ、ムシケンは、どんくらい強いの? お父さんより強い?」 「それは、試合したことがないから……わからないんだよ」 生真面目なムシケンが、札幌では聞き慣れないアクセントで答えた。 ふうん、と、ひかるは彼を見上げた。ムシケンと父は、何となく、互角なんじゃないかと思った。もこもこ頭のムシケンと、元チャンピオンだという父が闘う姿は、まったく想像できなかったけれど。 お父さん……。 他のことに気を取られているときは何も思わなかったけれど、父のことを思いだすとすぐ、側に駆け寄りたくなった。ひかるはまたいきなり踵を返し、父の背中にまとわりついた。父はムシケンとは別の人物と、何かをしゃべっている。 倶知安から札幌に戻ったひかるの日常は輝いていた。近所には遊び仲間がいたし、家には父や母がいる。父が誰でも招き入れるため、家には入れ替わり立ち替わり、いろんな人がやってくる。 体調のよくなった母親は再び美容師として働き始めていた。父は内装工事の仕事をしながら、ボクシングの興行に関わったりした。父はひかるを遊びには連れていかなかったけれど、自分の行くところにはどこでも付いてこさせた。 ひかるは昨夜、父親に連れられて行った札幌・真駒内スケート場のアリーナで、ムシケンの試合を見つめていた。まわりは全ておじさんだった。何が行われているかも知らず、ボクシングがスポーツであるということすら理解していなかった。 ざわざわとする観客が、ときどき一斉に熱狂して大声をあげた。ひかるは興奮するわけでもなかったし、退屈するわけでもなかった。ときどき声をあげる父の隣で、じっと二人の男の闘うさまを凝視していた。これは時代劇とか天才バカボンとは違うものごとだ、と、頭のどこかで理解していた。これはそういうものよりもむしろ、倶知安で両親が去っていくときに自分が覚えた感情に近いものごとだ。 一九七七年の五月、ようやく春らしくなった札幌の中島公園に、また強い風が吹いた。 「具志堅さん! こっちで写真お願いします!」 「はい」 ムシケンを中心に、何人かの男が移動していった。ひかるはムシケンだと思っていたが、その青年の本当の名は具志堅用高といった。 WBAジュニアフライ級世界チャンピオンの具志堅用高は、昨夜、ベネズエラのマルカノを相手に、二度目の防衛戦をした。十五ラウンドを闘い判定で勝利したそのチャンピオンの興行を父は手伝っていた。 具志堅用高はアフロヘアーに口ヒゲのスタイルで、カンムリワシの異名を持つ若き王者だった。「百年に一人の天才」と呼ばれ、とんかつ店で働きながら、この後、防衛記録を塗り替えていく。やがて世界王座を十三回防衛した前人未踏の日本記録は、現在でもまだ破られていない。 だがその偉大な王者も、そのころのひかるにとっては、もこもこ頭のムシケンだった。
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