魔王が消えたあとのカペラ王国は、破壊された街も石にされた者も元通りに復活したとはいえ、未だ混乱の中にあった。 「うっ──痛……ロダン──」 突然苦しげに声を上げたかと思うと、みのりは砂が風にさらわれるように、少しずつ実体を失い始めた。 「みのり!」 とっさに両手を伸ばし引き止めようとしたが、少しだけ触れた手を最後に残し、彼女は完全に消えてしまう。 その手を、掴めなかった。 「嘘だろ──おい、返事をしてくれ、みのり。おまえ、どこに消えたんだよ……」 茫然とするロダンは、いつのまにか魔法協会の役員や政府関係者に取り囲まれていることに気がつかなかった。 「ロダン・クラウス・ベルシュタイン。ご同行願おう。貴殿には聞きたいことが、山ほどあるのでね」 連れていかれたロダンは、数日にわたり尋問され、厳しく追及され続けた。 エーテルハートを求めて姿を消したあとどうなったのか、結局エーテルハートとはなんだったのか…… 事情聴取が進むうち、ロダンにはいやでもわかってきた。 敵を作りがちだったロダンを煙たがる人々が、自分を処分する口実を作ろうとしているのだ。 事情を知るエリザベートやノエル王子は「確かにロダンは魔王に憑依され街を破壊したが、呪縛から解き放たれ、魔王を倒した。封印でなく完全に倒したのもまた彼だ」と、ロダンに温情ある措置を願う動きをみせていた。 が、王子の嘆願ですら、聞き入れられそうにない。 ロダンは改めて、過去の自分にいかに味方が少なかったかを痛感していた。 「魔王が倒れたとき、貴殿のそばにいたという少女は何者か。彼女にも話を聞きたいのだが」 あからさまに興味本位で尋ねてきた役員に、ロダンは冷めた目で答えた。 「オレはあいつがどうなったか知らない。何も答えられることはない」 やがて、ロダンの処遇が発表される。 ──王国追放処分。 自身から悪しきものに近づいた挙句憑依され、カペラ王国を混乱に陥れた……として、あまりにも重い罰が与えられることになってしまった。 だが、その宣告を聞いたロダンは身じろぎもせず、瞳の色ひとつ変えようともしなかった。 「あいつ、あんなに物分かりよかったか?」 「いや、そんなことは……今までだったら絶対、食ってかかってきてたはずだ」 「おかしいよな──」 かつてのロダンの姿を知っている者たちは、下された罰を従容として受け入れる彼を見て、困惑するばかりであった。 * * * 雨上がりの匂いが、清々しい。 何日にも渡る拘束からようやく解放されたロダンは、トゥルムシュタットの街をふらふらと歩いていた。 真っ白な城壁、石畳の広場、そしてそびえる時計塔。 ロダンは息をついた。 ああ……今まで見飽きるほど見てきた景色が、なぜ、こんなにも。 ──この街は、こんなに美しかったんだな。 ──あいつがあれほど感動した理由が、今になってわかるなんて。でも、もう遅すぎるよな。 一度は破壊され尽くし焼け野原と化した王都は、ほぼ元の姿を取り戻していた。 忙しく働く街の人々は、騒動の発端となったロダンを見つけると、さまざまな反応を見せた。 見ないふりをしたり、気遣うような視線を向けたり、明らかに憎しみのこもった目で見つめてきたり── そして。 「おい、待てよ。ロダン」 聞き覚えのある声に、ロダンは足を止めた。 目の前に立っていたのは、魔王に洗脳されたロダンが真っ先に石にした冒険者、グレアムとトビアス。 慈善学校時代の、同期だ。 「──悪かった!」 彼らも、被害者だ。てっきり罵声でも浴びせられるのではと思い構えたロダンは、予想とはあまりにも真逆の言葉を耳にして、呆気にとられた。 思わず見返すと、ふたりは神妙な面持ちで、こちらに頭を下げている。 「何だって?」 「石にされてる間、必死に戦ってるおまえが見えたんだ。ロダンはあの悪いやつに操られてただけで、自分の意思であんなことしたわけじゃない。むしろ、カペラ王国を救おうとしてた。あんなすげー魔法使って……」 「本当は俺たち、うらやましかったんだよ。ギルドでは仕事がないし、おまえばかりがうまくいってるように見えて、それで──……本当に、ごめん」 「グレアム、トビアス──」 てっきり自分を憎んでいると思っていた彼らに心情を吐露され、言葉を失うロダン。 いつのまにか周囲に、続々と人が集まってきていた。 その中には、ソフィーとエルフリーデをはじめとするアカデミーの後輩たちの姿も見える。 みんな、必死な顔をしていた。 「街を守ってくれたロダンを国外追放して、エリザベート先生まで副理事から降ろそうとしてるなんて! いくらなんでも魔法協会は絶対おかしいよ」 「本当に悪いのは魔王だ、ロダンじゃない」 「カペラ王国には、ロダンさんが必要です。絶対に」 「みんなでかけ合ってみればきっと──私たち、ロダンさんに教わりたいことがまだまだたくさんあるから!」 みんなの声が、輪になっていく。 まさか、エリザベートや王子の他にも自身をかばう者たちがいたとは、考えてもみなかった。 特にグレアムやトビアス、エルフリーデは自分のせいであんなことになったというのに。 ──もう、遅すぎたんだ。 「魔王に勝てたのは、オレだけの力じゃない。みんながオレの気持ちに応えて、力を貸してくれたからだ。──グレアム、トビアス、エルフリーデ……ひどい目に遭わせて悪かった」 込み上げてくる熱いものをこらえて少しうつむくと、小さな声で言う。 「だが、もう罰は下されてしまった。オレは、自分のしたことを受け入れるつもりだ。カペラ王国の未来は──おまえらが作るんだよ」 誰も何も言わなかった。 すすり泣く声が聞こえた。 「ありがとう……」 ロダンはほんの少し微笑むと、目的地に向かった。 * * * 私室で窓の外を見つめるエリザベート。 その身体にはところどころに包帯が巻かれ、痛々しさを感じさせる。 魔王に呪いをかけられ石にされた者は、元の姿に戻ったとはいえ、その圧倒的な魔力の影響により大なり小なり負傷していた。 たとえば、魔法協会の代表理事。 エリザベートに喝を入れられ正気を取り戻した彼は、魔王に立ち向かうも、多分に漏れず石にされてしまう。 彼は呪いが解けてもなかなか目を覚まさず、現在王立修道院に収容され、治療を受けている最中だった。 エリザベートはこの数日間、屋敷から一歩も外に出ていない。 今回の騒動を受け、「弟子の監督不行届き」として、謹慎処分を命じられたためだ。 ロダンは、その謝罪と見舞いにきたのだった。 ──とはいっても、あんなに慕われているエリザベートのことだ。 先ほどの後輩たちの様子を見る限り、いずれ市民たちの不満が爆発するであろうことは想像に難くないが。 「お入りなさい」 物音も立てなかったのに、ロダンがドアの前に立っていることに気がついたエリザベートは、静かに言った。 「エリザベート……」 ゆっくり部屋に入ってきたロダンは、気まずそうに身体を動かした。 処罰を告げられたときの落ち着きようとは、まるで違う。 ロダンの顔を見たエリザベートは、おもむろに立ち上がり、こちらにずんずん歩いてきた。 怒り、悲しみ、心配、さまざまな感情が混ざりあった色が、彼女の顔に浮かんでいる。 やがてエリザベートは立ち止まってかがむと、ロダンを抱きしめた。 泣いている。 「よかった……あなたが生きていて。あなたを、手にかけずに済んで──」 「…………」 「ごめんなさい。私、あなたに期待するあまり、厳しいことばかり言っていたわ。もっと、もっと、あなたの気持ちをわかってあげられていたら、こんなことにはならなかったかもしれない……!」 ロダンはエリザベートが泣くのを、初めて見た。 そうだ──慈善学校で、見つけてくれたときから。 自分の一番の味方はいつだって、エリザベートだったのに…… 「そうじゃ、ない……」 ロダンは絞り出すように、言葉を発した。 「あんたの言うとおりだった。オレは、全く回りが見えていなくて、未熟で、大バカだったよ。気がついたときにはもう遅かった。あんたまで処分を受ける必要なんて、ないのに。こんなひどいケガまでさせて……最後にどうしても謝りたかった。許されることではないかもしれないが──」 「私にも、見えていたわ。あなた、ご両親から受け継いだ究極の魔法を使ったのね。一生に一度きり使える、大切なものを守るための魔法を。それも黄金の不死鳥なんて、とんでもないものを生み出して──あんなの、私にだって作れやしない」 エリザベートは、涙を流しながらもわずかに微笑んだ。 「あなたと彼女の間に本当の絆があったからこそ、魔王を打ち倒すことができたんだわ。こうなってしまったけれど、私は師として、あなたが真に誰かを大切に思う心、本当の強さを手に入れたことが──うれしいの」 ロダンはうつむいた。 その、今まで当たり前のように一緒にいた大切な存在に、もう会えなくなったのだ。 とつぜん消えてしまったみのり。 あれから、彼女のことを考えなかった日は一日たりともなかった。 みのりは今、どうしているのだろう。 元の世界に帰ったのだろうか。 ケガをしていたり、苦しんでいたりしないだろうか── エリザベートはそんなロダンの想いを見透かすように言った。 「ロダン、これからどこへ向かうつもりなの?」 「どこへ──……」 言葉に窮した。 行きたいところ。 そんなものはひとつしかなかったが──行けるかどうかなんてわからない。 「私では、もはやあなたに与えられた罰を覆すことはできない。けれど、ヒントを与えることならできる。そしてそれには、大きい代償が必要になるかもしれない。そう──たとえば、あなたの魔力のすべてを引き換えにするとか」 「エリザベート……」 「私の話を聞く気はある?」 ロダンはためらったあと、うなずいた。 「あなたの本当の願いを叶えられるのは、あなただけ」 * * * 妖精も寝静まる、真夜中の森の中。 ロダンは寄り添うように立つふたつの墓標の前に、白い花を供え、手を合わせる。 いつか、みのりがそうしていたように。 ロダンは、両親の墓標に語りかけた。 「父さん、母さん──本当の願いを見つけたんだ」 風が森の木々を揺らし、星の光が強くなった。 「オレの願いは、オレ自身が叶えなきゃ」 夜空に星が流れ出す。 ロダンの瞳は、星の光を映して輝き始めた──……
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