きまぐれシャノワール
災厄、ふたたび

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 カペラ王国の王都トゥルムシュタットは、その日も行き交う人々で賑わっていた。  曇りがちなこの国には珍しく、雲ひとつない青空が広がっている。  広場で、愚痴をこぼしながら歩いている屈強な男ふたりがいた。  ひとりは人狼じんろうで、ひとりはオークだ。  それぞれ冒険者の証のバッジをつけている。  彼らが手にしているギルドの書類には、こう書かれていた。  ──この依頼にはご応募が多数あったため、選考の結果、誠に残念ではございますが別の方に決定いたしました。 「なあ、今夜ダントンの酒場で飲んでかねえか。新作が入ったんだってよ」 「おっ、いいね。はあ、飲まないとやってられねーよな」 「俺らみたいな肉弾戦向き冒険者を求めてる依頼者もいるってマスターは言うけどよ、結局仕事ねーじゃん。おまえらは需要がないとか言ってくるやつもいるし、どいつもこいつもバカにしやがって──」  人狼の足に、何者かがぶつかった。  声を荒げる人狼。 「おいこら、前見て歩きな!」  彼は無言で立ち止まった。  男ふたりは、その顔をまじまじと見つめ、下卑げびた笑いを浮かべた。 「これはこれは。誰かと思えば、天才魔法使いのロダンじゃねーか」  足を止めたロダンは、ゆっくりと顔を上げ、無表情で彼らを見つめ返す。 「将来安泰のロダン様はもうお忘れかもしれねえがな。俺らは忘れてねえぞ。おまえに慈善学校で、さんざんコケにされたこと」 「おいおい、まるで自分たちが被害者みたいな言い方はよせよ。オレはそっちが仕掛けてきたのを返り討ちにしただけだぜ。オレだって忘れたくても忘れられねえさ。あのときのおまえらのアホ面はな」  敵意をむき出しにする同窓生に、ロダンは心底楽しそうに挑発し返した。   「んだとぉ? やんのかてめえ!」 「待てよこいつ……なんか様子が変だぞ」  見事にロダンの挑発に乗ったオークを、人狼が止める。  だがもはや、手遅れだ。  ロダンが何かつぶやくと、彼らは抵抗する間もなく、石になった。 「あれ? ここ、石像とかあったっけ」 「馬鹿ね、こんな通り道のど真ん中に石像なんか作るわけないでしょ」 「おい……こいつら、グレアムとトビアスじゃねえか?」 「石になってる──‼」  ふたりが石化されていることに気づいた通行人たちがあわてはじめ、パニックが街中に連鎖していく。  泣き声と怒号どごうで埋め尽くされていく街を眺め、ロダン──いや、魔王は満足げに息をついた。  その姿がじわりじわりと、小さな猫の身体から異形の獣へと変貌していく。  魔王本体と融合しているのだ。   「思う存分、逃げ惑うがよい。どうせ貴様らは、最後まで逃げ切れはしないのだから」  ロダンはいよいよ、魔王の魂の器として目覚めさせられようとしていた。  * * *   「なんだ? 空が──」  カペラ王国魔法協会本部の会議室。  ざわつく役員たちの声に気づき、窓の外に目をやったエリザベートは、眉をひそめた。  真昼間だというのに、にわかに空が薄暗くなり始めていた。  窓を開け、空を見上げたエリザベートの目に、静かに欠けていく太陽が映る。  日蝕にっしょくだ…… 「馬鹿な。日蝕なんて、当分起こらないはず」 「何か不吉なことの前触れか?」 「皆、落ち着くのだ。街の様子を──」  協会の代表理事がそう言った瞬間、会議室のドアが勢いよく開いて、何者かが駆け込んできた。 「助けて! 助けてください……」  エリザベートもよく知っている、魔法アカデミーの女子学生──カーバンクルの双子の姉だ。  耳が垂れ下がって、今にも泣きそうな顔をしている。   「ソフィー、大丈夫よ。落ち着いて話して。何があったの?」  エリザベートは彼女を落ち着けようと、優しい声で話しかけた。 「ロダンさんが──ロダンさんが……」  パニック状態のソフィーが繰り返した名前に、エリザベートは青ざめる。 「何ですって? ロダンが帰ってきたの? 彼は今どこにいるの?」 「ロダンさん、やっと帰ってきてくれたと思ったら、突然怪物みたいな姿になっちゃって……自分は魔王だって言って、街をどんどん破壊してるんです。きっと憑依されてるんだと思います。王子殿下の軍も応戦しているようなんですけど、……かなりの人数が石にされてしまって──妹のエルフリーデもやられました」  ソフィーはそこまでいうと、わっと泣き出した。 「魔王だって⁉ そんな馬鹿な」 「勇者の封印は永遠ではなかったのか」  人々が騒然とする中、エリザベートは唇を噛んだ。  ──なんとかロダンのいる世界に干渉できないかと試していたが、結局懸念していた通りになってしまった。    あのときエリザベートが見た日記の記憶が正しければ、きっとロダンは……  エーテルハートの中の魔王に魅入られて、精神を支配されてしまったに違いない。  かつてのレーベン村の悲劇が、また繰り返されようとしているのか。  ならば、絶対に阻止しなければ。  胸がつぶれそうになりながらも、エリザベートは彼女の背中をさすり、なだめた。 「ありがとう、ソフィー。よく知らせてくれたわね。さあ、安全な場所へ避難なさい」  ソフィーが連れていかれると、先ほど「落ち着け」と口にしていたはずの代表理事はすっかり色を失い、混乱していた。 「ロ、ロダンめ、とんでもないことをしてくれおって。あやつはいずれ何かしでかすのではないかと思っていたが、ここまでとは……!」  その言葉に、黙っていられないエリザベート。 「お待ちください。私は、確かに申し上げたはずです。先日発見された古い手記に、エーテルハートの──魔王の記憶が残されていたと。今からでもロダンを止められる、何なら私があの世界に向かってでも、と。相手にしなかったのは、」  ──あなたでしょう。  言いかけたところで、市民の悲鳴が耳に入り、エリザベートは我に返った。  今は、無能な代表を糾弾きゅうだんするときではない。   「とにかく。ロダンはきっと、魔王に操られているだけですわ。洗脳を解くことさえできれば……私がなんとかしてみます」  このままだと、ロダンが、大切な弟子が、完全に悪者になってしまう。  エリザベートは必死に訴えたが、代表は激しく取り乱すばかりだ。 「だ、だが、どうするというのだ⁉ 相手は一度この国を滅ぼしかけた魔王だぞ。エリザベート副理事、貴女には奴を倒せるというのか⁉ あの魔王に勝てるはずがない‼ ああ、もうカペラ王国は終わりだ、もうおしま」  突如、会議室に派手な音が響き渡った。  錯乱状態の代表理事の頰を、エリザベートが打ったのだった。  その場にいた全員、声も出せずに突っ立っているばかり。  平手打ちを受けた代表理事は、自分の身に何が起きたか理解できず、しばらくあらぬ方向を見つめていた。   「──ご無礼、お許しを。しかし、弟子も、王国の命運も……どちらも諦められません。私は、私にできることをします」  エリザベートの表情は、悲壮な覚悟に満ちていた。 「それでも万策尽きたなら。師として、私があの子を討ちます」

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