きまぐれシャノワール
ふたり、空を翔ける

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 結局、二年C組の優勝は逃してしまったものの、みのりは爽やかな気持ちだった。  夕食の席で、両親も兄もみのりの健闘を称えてくれたが、ロダンはこっちを見ることもなく、いつものように黙々とリビングの隅でキャットフードを食べている。    お風呂で今日の汗を流し、部屋に戻ったみのり。  ロダンは、窓の外を眺めて何か考えているようだった。  意を決して、話しかけてみる。 「──ロダン。今日はありがとう」 「何が」  向こうを向いたまま、やはり素っ気ないロダン。  が、ちゃんと人間の言葉で返事をしてくれて、内心ほっとする。  みのりの声は自然と、明るさを増した。 「今日、シュート決めさせてくれたの、ロダンでしょ。ロダンのおかげで勝てたよ。それにね、あの子たちとも」 「それは違う」  ようやくみのりに向き直ったロダン。  その瞳は、今まで見たことのないようなくすんだ灰色をしていて、みのりは急に不安になる。 「みのりがやったことだ。オレは、ほんの少し時間を止めただけ。オレのおかげでもなんでもないよ。努力してきたおまえがつかんだ結果なんだ」 「ロダン──」  みのりを肯定するようなことを言いながら、その口調はどこか頑なで、隙がない。  みのりは途方に暮れそうになった。    やっぱり、私には心を許してくれないの?    ロダンが癒されない傷を抱えていることに、みのりは気づいていた。  意地悪ながら本当に困ったときは助けてくれる、優しさを持っていることにも。  経緯はどうあれ、せっかく出会って一緒に暮らすことになったのだから、もっと打ち解けたいのに……  ──そうだ。  みのりは、ふと思いついて、切り出す。 「決めた。ロダン、この土曜日、私と一緒に来てくれる? ロダンにお礼をしたいの。それもとっておきの」 「はあ? だからオレは何もしてないって──」  唐突に態度を変えるみのりに、ロダンは瞳の色をオレンジに変えた。 「私がそう思ってるんだから、いいの! ね、土曜日よ。一緒に行くんだからね」 「何なんだよ……」  土曜日、晴れるといいな、と楽しそうにつぶやくみのりに、ロダンは当惑するばかりだった。  * * *  そして、やってきた土曜日。  森の中の石段を登りきると、突然視界が開けて、高台に出た。  みのりにとっては、見慣れた景色だ。  眼下に広がる海は、太陽の光を受けて輝いている。  遠くにうっすら見える瀬戸内の島々の前を、白いフェリーがゆっくり横切ろうとしていた。  ──祖父の教えてくれた、魔法の丘だ。 「やっと着いたー」  猫用キャリーバッグを開けてあげると、中から不満顔のロダンが飛び出してきた。 「何だよ、目的も言わずにこんな遠くまで連れてきて!」 「ごめんね。ロダンとどうしても、この場所に来たかったの。私、ここが大好きだから。きっとロダンも好きになると思う」  笑顔で答えたみのりは、休憩用のピクニックテーブルに、家から大切に持ってきたバスケットを置いた。 「ロダンに、これを食べてもらいたくて」  バスケットの中身は、ふたつのランチボックス。みのり特製のお弁当だ。  おにぎり、焼き鮭、ブロッコリー、そして卵焼き。ロダンでも食べやすいよう、彼の分は小さめに作っている。 「なんでまた……」 「いいから、食べてみて。はい、あーん」  みのりに差し出された卵焼きを、ロダンは戸惑いつつも口に入れ、咀嚼そしゃくした。  突然、固まるロダン。  瞳の色が、急激に変わっていき、みのりはうろたえる。  ──え、うそ、食べさせたらダメなものだったのかな。一応、猫に危険なものは入れてないんだけど……  だが、ロダンの口から出てきたのは、意外な言葉だった。 「う……美味い……」 「えっ」  彼は感動を隠しきれない様子で、卵焼きの感想を口にする。 「な、なんだこれ……こんな美味いもの、初めて食った。なあ、もうひとつ食っていいか⁉︎」 「あ、うん……好きなだけどうぞ」  用意した猫用のお皿に卵焼きを出してやると、ロダンは喜んでかぶりついた。  鮭も、ブロッコリーも、おにぎりも……  お弁当の中身は、どんどん空になっていく。 「あぁ、美味かった……!」  あっという間に完食したロダンは、満ち足りた様子で、ベンチに寝転んだ。  幸せそうに目を細めている。みのりはそんな彼を、自分のお弁当を食べながら眺めていた。  ──ロダンって、こんな顔するんだ……   「うれしい。また作ってあげるよ」  みのりが微笑むと、ロダンは決まりが悪そうに身体の向きを変え、小さく「ごちそうさま」といった。  ロダンが初めて喜びの感情を見せたことに、じわじわとうれしさを感じるみのり。 「まさか、そこまで喜んでもらえるなんて……ロダンって普段どんなもの食べてたの?」 「ハーブを粉末にしたやつとか、木の実とか、森トカゲの肉とか。まぁどれもうっすい味で、食ってる感じがしない。こっち来てから食ってる、あのサクサクしたやつの方がずっとましだよ」 「トカゲの肉……」    みのりは想像して、ぞっとした。  キャットフードの方が美味しいなんて。  いくら素敵な世界だとしても、自分はカペラ王国では生きていけないと強く思った。   「そんなのゲテモノじゃない、絶対無理! 私、食べる楽しみがなくなったら死んじゃう!」 「食うって、楽しいことなのか。ただの生命維持の手段じゃないのか?」 「そんなことないよ! 食べることは、身体にだけじゃなくて、心にも必要なの!」  無意識のうちに熱くなっている自分に気づき、みのりは少し恥ずかしくなった。  咳払いをし、言い直す。 「ロダンに、おいしいものを食べさせてあげたかった。ロダンはいつか、自信を持つことが大事って言ってた。それは事実だと思う。だから、私が自信を持てることで、ロダンにお礼をしたかったの。私──料理だけは得意だから」  ロダンは黙って、みのりを見ている。   「ねえ、ロダン。私、あなたと仲良くなりたい」    みのりがずっと胸の中にあった想いを告げると、ロダンの瞳はオレンジ色に変わった。  文字通り、困惑の色だ。  いつしかみのりは、ロダンの瞳の色と感情の関係を理解しつつあった。  ──数秒の沈黙が流れる。 「オレは昔、落ちこぼれの魔法使いだった」  ロダンは、唐突に口にした。  彼が自身の過去を語っているのだと少しして理解し、みのりはうろたえる。   「うそでしょ? だって……あんなにすごい魔法使ってたじゃない。そもそもロダンの学校って、優秀な人しか入れないんじゃないの?」 「最初から、あのアカデミーに在籍してたわけじゃないんだよ。オレはもともと、慈善学校じぜんがっこうにいたんだ」 「慈善学校って……」 「孤児院、って言やあわかりやすいかもな。オレが三歳くらいの頃、両親が死んだ。父さんも母さんも身寄りがなかったから、オレが行くところといえばもう、王都にある慈善学校くらいしかなかった」 「っ、──……」    みのりは下を向いて、両手を握りしめた。  だから彼は、自分の話をしたがらなかったのか。  ロダンにとてもつらいことを言わせてしまっているのに気づいて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 「両親はやたら魔法ができることで有名だったんだ。そんな夫婦の間に生まれた息子だってことで、オレが慈善学校に入れられたときはちょっとした騒動になったらしい。だけどオレは魔法が下手くそで、勝手に期待したやつらが勝手に失望していく空気を肌で感じたよ、子どもながらに。そんな大人たちの姿を見たガキどもも、オレを笑い物にしてからかった。実際あの頃のオレはやせてて小さくて、見るからに弱そうだったから、こいつには何を言ってもいいんだって思ったんだろうな」 「ひどい。そんなのって……」 「オレに力がないから、オレが弱いから、こんなことを言われるんだって。情けなくて惨めでたまらなくなったオレは、決意した。もっと努力して偉くなってこんなとこ出てってやるんだって。そんなときだったよ。エリザベートと出会ったのは」 「エリザベートさんに?」 「慈善学校で魔法を練習してたオレに、視察に来たエリザベートが目をとめたんだ。あいつはオレの魔法を見て、褒めてくれた。──筋がいい。ご両親のことは関係ない、あなたはきっと素晴らしい魔法使いになる、って」 「ロダン──」 「オレはうれしかった。生まれて初めて、自分という存在を認められたから。それもエリザベートのような実力のある魔女に」  ぽつりぽつりと語り始めたロダンだったが、今まで自分の生い立ちについて話す機会など、あまりなかったのだろう。  いつのまにか彼は、とても饒舌じょうぜつになっていた。 「オレはより一層魔法の練習に励むようになり、気がつけば学内外でも評判になっていたみたいだ。みんな昔オレを蔑んだのと同じ口で、褒めそやしてきたよ。やっぱりあのふたりの子どもだって。その少しあとだ、魔法協会からの誘いがあったのは。アカデミーに転入しないかって」 「そういういきさつで、あの学校に入ったんだ──」 「今考えると、いい気になってたんだよな。みんなに天才だ、何十年に一度の逸材だってもてはやされて。気がついたらオレは、かなりの敵を作ってたよ。特に魔法協会の上層部は、最初こそ好意的だったものの、だんだんオレを目の敵にするようになった」  ロダンの瞳が、悲しみの色──紫色に翳ってゆく。   「ロダンはそのあと、どうしたの?」 「卒業試験の結果がよかったこともあって、エリザベートから正式に打診されたんだ。相棒になってほしいって。あんな有能な魔女から直々に申し込まれるなんて名誉なことだって言うやつ、オレが狡猾こうかつな手段で取り入ったんだって陰口を言うやつ、いろいろだったな。協会内にも文句を言うやつはいたようだが、エリザベートは頑として譲らなかった」 「え──その申し込みを受けたらロダンも、魔法協会の会員になるってことだよね?  ロダンは協会があんまり好きじゃないんじゃ」 「おまえの言う通り魔法協会自体はいけ好かないが、エリザベートには恩義があるし、結局どこかの組織に属しないと生きていくのは難しい。オレ自身チャンスだと思ったんだ。登用試験を受けるため、卒業後もアカデミーに残って勉強していたが、まだ理想とする自分には程遠いという気持ちが常にあった……その頃エーテルハート伝説が耳に入って、決めたんだ。もっと強い、誰にも負けない力を手に入れるために、エーテルハートを探すんだって。それからは、おまえも知ってる通りだ」  ロダンの話はそこで終わった。沈黙が流れる。  みのりは、躊躇ちゅうちょしながら切り出した。 「よくわからないんだけど、ロダンはなんで、魔法協会が嫌いなの? 権力のある組織が嫌いなの?」 「それも間違いじゃない。魔法協会は、なんだかんだで自分たちが一番大事で、保身に必死だから。ただオレが一番許せなかったのは、父さんと母さんの死を、馬鹿にしたことだ」 「えっ──」    そういえば、ロダンの両親はなぜ亡くなったのだろう。  みのりの疑問を察したのか、ロダンはぽつりと言った。   「オレも、父さんと母さんがなんで死んだのか、わからない。不幸な事故としか聞かされてないんだ。もしかしたら誰も本当の死因を知らないのかもしれない。でも、魔法協会の役員が言ったんだ。あいつらもあんなに期待されながら、あっけない終わり方だったよなって……」 「そんな、そんなの……あんまりだよ」  みのりは、ロダンの壮絶すぎる過去を聞いて、こんな薄っぺらいことしか言えない自分を恥ずかしく感じた。  うつむいているみのりをまっすぐ見つめ、つぶやくロダン。 「オレは、温かい家庭に生まれて、大切にされてきたみのりがうらやましいと思った。父さんも母さんも兄さんも──そしておまえも。いつも優しくしてくれたよな。うれしかったんだよ。もしかしたら、オレの本当の居場所はここなんじゃないかって思いそうになって……でもそれは、オレが騙してるだけなんだ。偽りなんだ」  ロダンは強く首を振った。まるで、幸せな虚構を打ち消すように。 「ごめんな。この前の……覚えてるだろ。悪い夢を見て動揺して、おまえにあんなこと言っちまった。今も、怖いんだ。昔の力のないオレに戻るのが」 「ロダン──」 「本当はわかってる。みのりの言うことが正しいって……オレは、弱い自分を許せなくて、認められなくて、がむしゃらだった。自分の弱さを受け入れて立ち上がったおまえの方が、ずっと強いよ」 「こんなつらい話を打ち明けてくれて、ありがとう」  自嘲気味に語るロダンを、みのりはそっと抱きしめた。 「──みのり」  ロダンは驚いたのか身を固くしたが、嫌がらずにじっとしている。  みのりはそのまま、ロダンに伝えた。自分の、嘘偽りない気持ちを。 「思ってもいいんだよ。自分の居場所だって。頼ってもいいんだよ、苦しみをひとりで抱えきれないなら。いいんだよ、今のロダンのままで。だってお父さんもお母さんもお兄ちゃんも──私も、ロダンのことを大切にしたいんだから」  ロダンは黙って、みのりに身体を預けている。  触れ合ったところから、温かな鼓動が伝わってきた。   「あのときは、私の方こそ言いすぎてごめんね。だって、私に勇気をくれたロダンが、自分に存在価値がないなんて……あまりにも悲しいことをいうのがどうしても嫌だったの」    いつか逃げ出した先の河原で、「自分には価値がない」と思ったのは、みのりも同じだった。  彼女はもう、そんなことを思わないだろう。  自身の足で、踏み出したのだから。   「さっきのロダンの喜ぶ顔を見たとき、すごくうれしかった。私はロダンのそういう顔をもっと見たいの。もっと、幸せな気持ちを味わってほしい。一緒に、うれしい気持ちになりたい。だから」  みのりはロダンの頭をなでて、言った。 「友達になろうよ」  一瞬、ザッと風が吹いて、回りの木々を揺らした。  言葉に迷っていた様子のロダンだったが、突然吹っ切れたように笑い出し、みのりは真っ赤になる。   「何で笑うのよ!」 「いや……おまえらしいなって。じゃ、友情の儀でもやるか。カペラ王国には、友情を誓い合う者同士が行う神聖な儀式があるんだ」 「え! そんなのあるの? 素敵だね! やろうよ」 「いや、嘘だ。今考えた」 「はあー!?」    からかったのかと怒るみのりに、また笑い出すロダン。  初めて、心から楽しんで笑っているように見えた。  みのりは怒りながらも、ロダンがやっと本音を見せてくれたことに、安心していた。 「……だが、ここでなら魔法を使っても、いいかもしれないな。ここは景色もいいし。──そうだみのり、空を飛んでみたいと思ったことはあるか」 「そりゃあるよ。誰だって一度はあるんじゃない? 空を飛ぶことは昔から人類の夢だったんだから」  唐突な質問に、みのりは怪訝そうな顔で答える。 「なるほど。じゃあ、飛んでみるか」 「えっ⁉︎」  なんだか前にも、こんなことがあった気がする。  ロダンの身体が光りはじめ、変化していった。  小さい猫のシルエットはみのりの目の前で、やがて漆黒の翼とたなびく尾を持つ鳥に変わった。 「…………」 「うん、悪くないな」  ぽかんとするみのりの前で、鳥に化けたロダンはバサバサと翼を振ってみせる。  その大きさは、みのりの身長と大差ない。  こんな巨大鳥が発見されたらきっと、世界中大騒ぎになるだろう。 「ロダン──変身できるの?」 「当たり前だろ。エリザベート直伝の変身魔法だぜ。完璧にできるやつはそういない」  ロダンは自信たっぷりに言った。猫から鳥になっても、エメラルド色の大きな瞳だけはそのままだ。 「すごい──ロダン、かっこいいよ」  みのりはロダンの翼に触れ、頬を寄せた。その羽はふわふわで、とても温かかった。 「どうだ、驚いただろ? もっと驚かせてやるよ。さあ、乗りな──飛ぶぜ」  そういうとロダンは向きを変え、背中に乗るようみのりに促した。    不思議と、恐怖やためらいはない。  みのりを乗せたロダンは、風を切って空中に浮かび上がり、羽ばたいた。 「──うわあ……! 私、飛んでるー‼︎」  頬を切る風が心地いい。  視界が空の紺碧こんぺきと海の群青ぐんじょうに染まり、みのりは歓喜の声を上げた。  鳥になったロダンは速度を上げ、みのりが知っている景色を次々と見せた。  平和記念公園に集まる人々が、豆粒みたいに小さい。  ちょうど試合中なのか、マツダスタジアムは真っ赤に染まっている。  いくつもの川にかかる橋の上を、大勢の車や路面電車が行き交っていた。  ──広島の街だ…… 「これが、おまえの世界なんだな」  鳥になったロダンが、ぽつりとつぶやく。 「うん──」  自分を育んだ街を遥かに見下ろし、みのりは胸がいっぱいになる。  ロダンにもっといろんな景色を見せてあげたいと、強く思った。  かつて彼がみのりに、カペラ王国を見せてくれたように。  ふと遠く──東に目を向けると、海にかかる橋が見えた。  あれは、きっと尾道おのみち大橋だ。  みのりの祖父はもともと広島市内に住んでいたが、みのりが小学生の頃、尾道市に引っ越していた。 「そういえば、さっきの丘は私のおじいちゃんが教えてくれたの。あの丘には魔法がかかってるんだって。ロダン、何か感じた?」  祖父のことを思い出し、何気なく口にするみのり。 「は? なんだよ突然……特に何も感じなかったが」 「えー、そうなんだ。おじいちゃんも魔法使いなのかもってちょっと思ったのに。やっぱり子どもだましの冗談だったのかなー」 「ふっ……」  ──あ……  ロダンが一瞬、笑い声を洩らす。  みのりはまたうれしくなり、ロダンの頭をなでた。   「ロダン今、笑った! 可愛い!」 「笑ってねーし、可愛いとかいうな!」    みのりに指摘され、ムッとしながら否定するロダン。  だがその声には、みのりに心を許した響きが確かにあった。

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