ヘヴンスターズ
28. 墓参り

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 春、俺とララはセブンスターの墓参りをすることになった。父親に借りたプリウスをJR尼崎駅前のロータリーに停めて待っていると、予想通りララは十分遅れで現われた。いや、思っていたよりは早かった。 「やっほー。遅れてごめんね、キキ。電車が行き先を間違えてさ、にひひ」  ララは助手席のドアを開けて体を滑らせるなり、明るい調子でそう言った。謝るところと、言い訳をするところは昔より成長したのかなと思う。よく分からない言い訳ではあるけれど。 「……いいよ別に。さっさと行くぞ」  俺はぎこちない口調でそう答え、LINEであらかじめ教えてもらっていた墓地の住所をカーナビにセットし、案内を開始させた。久しぶりにララに会うと、自分のほうが緊張していて戸惑う。ララは、昔とおなじく化粧をしていないにも関わらず、昔よりずっと可愛くなっていた。 「音楽かけようよ! BLUETOOTH使える?」  ララはスマホを取りだし、ナビを勝手に弄り始めた。いや、画面を切り替えられると案内が見えなくなるんだけどな。それに、車を動かすと純正ナビは操作ができなくなるので、しばらく運転を止めてやった。ララのテンションはいつもより高く、単にアメリカノリが伝染っただけなのかもしれないけど、もし今日の墓参りを楽しみにしてくれているのだとしたら、それはけっこう嬉しかった。セブンスターも、そう思うんじゃないか。  プリウスの音質のよいスピーカーから音楽が流れ始めるのを待って、俺は車を走り出させた。どうせララのことだから、趣味のわるい前衛音楽でも流すのかと思ったら、思いのほかまともな洋楽だった。テラスハウスの主題歌か。わりとベタなのも聴くんだな。 「これねー、いまアメリカでも流行ってて、私の登場曲、これに切り替えようかと思ってるんだけどね。どう思う?」  ララはリズムを取るように体を揺らしながら俺の肩を叩いた。わりと運転の邪魔だ。 「いいんじゃない?」  俺は生返事をかえした。いまのララの登場曲は、たしかインドの仰々しい民謡か何かだったはずだ。どんな曲でも、少なくともあれよりはマシなんじゃないかな。  墓場まで、ナビに表示された時間によれば、およそ一時間。高速道路も使えるはずだが、下道のほうが早いらしい。往復でもたった二時間。きっとすぐ過ぎるんだろうな。  メジャーリーグの開幕戦はときどき日本で行われる。今年は、ララのチームが来日していたのだった。例年のように東京でなく大阪で試合が行われたのは、さしずめララの地元だからか。一見すれば、日本出身の選手によくある放映権がらみの贔屓にも思えるけれど、ララの場合はそうじゃない。女性初のメジャーリーガーだとか、女性初のサイヤング賞投手だとか、みんなが好きそうな「女性」という注釈も、ララは圧倒的な投球だけで吹き飛ばしてしまった。いまメジャーリーグで一番打つのが難しい球は、彼女の決め球「サクラドロップス」なんだって。数多のメジャーリーグの大打者たちが、その球を攻略するために研究を重ねている。ほんとうにすごいと思う。  開幕戦は一試合だけで、この墓参りが終わったらララはすぐ関西国際空港に向かい、アメリカに戻らないといけない。俺は俺で、今日は移動日に当たるため、墓参りが終わったらすぐに新幹線で福岡行きだ。ふたり揃ってシーズン中にオフが取れたのは奇跡といってよかった。奇跡みたいな一日になるのかもしれなかった。  墓場に向かうまでの道のりでは、当然といおうか、昨日の試合の話で盛り上がった。やっぱり俺たちには野球の話がいちばん似合う。ララは開幕投手を任され、7回1/3を2失点のHQSでまとめ、見事に開幕勝利を飾ったのだった。 「私はさあ、完封したいって言ったんだけど、監督どころか、キャッチャーまで降りろって言い出してさ。ひどいよね。ワンアウト一二塁から、私はバックフットスライダーからの463で抑えるイメージあったのに、次のセットアッパーが走者一掃のダブル浴びてさ。私に2失点ついて。珍しくキレたから」  ララの文句を聞いて、俺は苦笑する。昨日は俺はデーゲームだったから夜に行われたララの試合をテレビで観てたけど、マウンドにできた輪のなか、ボールをしかと握りしめて離さなくて、表情いっぱいに不満を現わして、聞き分けのない子どもみたいでおかしかったな。後続が打たれたあとにベンチで見せた顔芸も、カメラにばっちり抜かれてて声に出して笑った。いつもあっさりしてるように感じられたララの真剣な姿を見られたのは、思いがけぬラッキーだったかもしれない。 「キャッチャーがキキだったらさあ。私に降りろなんて言わないよね。ねえ?」  ララは俺の肩を揺さぶってそう言った。昨日の試合は100球近かったし、ララはそのぐらいから被ハードヒット率が大きく上がるというデータがあったので、どうかなと思ったけど、言わなかった。今日だけは喧嘩しない一日にしたいと思った。 「でもね、降りないと今日はオフをくれないって言われたし、やっぱり今日のために勝ちたかったからさ。仕方なく降りたんだよね」  ララは唇を尖らせて、ちいさな声で言った。いつになく素直なララがいつもより可愛くて、ハンドルを持つ俺の手が汗ばむのを感じた。  しかしいざ話題が俺の試合に至ると、ララのダメ出しは容赦なかった。リード面に始まり、キャッチングやら、フレーミングやら、バッティングにすらいくつも注文を付けられた。いったい俺の気遣いはなんだったのか。俺もさすがにキレて盛んに反論し、結局昔と変わらない馴染みのある俺たちの言い合いになってしまった。 「なんの不満があんだよ! 3試合で打率は5割近いし、ホームランもふたつ打ってるし、全試合で打点あげてるんだぜ!? めちゃくちゃ開幕三連勝に貢献してるわ!」  俺ががなるように言うと、ララはさらりと受け流すかのごとくふふんと笑い、 「そりゃあんだけ守備で足引っ張ってたら、打ってやっとトントンでしょうよ。それに何、あのホームラン。打ったの、どっちもエクズキューズミー・ストライクの、緩いカーブボールじゃん」  と冷ややかな口調で言った。俺は、ぐっと黙り込んでしまった。  ララのいった言葉は正しかった。ホームランは二発とも、左投手がカウントを取るために投げた甘いカーブを、掬い上げるようにしてレフトスタンドに叩き込んだものだ。でも俺は左投手を苦手としていたし、特にそのカウント球が苦手だったし、やっと克服できたことを認めてほしかった。  音楽が終わり、もともと静かだったプリウスの車内はさらにしんみりとした。ララはドアに肘をついたまま、じっと外を見つめるだけで、それ以上は何も言わなかった。  俺はつばをごくりと呑み込んだ。ララに、できれば訊いてみたいと思う。あの、サクラドロップスという球種の秘密を。  サクラドロップスはメジャーリーグ屈指の魔球として恐れられており、試合のあらゆる場面で決め球としてもカウント球としても使われる。昨日の試合でも、7つの三振をサクラドロップスで奪っていた。相手打者はいずれも左打ちだった。左打ちの打者に対しては、サクラドロップスは逃げる方向に変化するため、バットは簡単に空を切る。一方、右打ちの打者に対しては、中に入ってくるサクラドロップスは一転、カウント球に変わる。ちょうど、左投手の投げるカーブのように。  絶対そんなこと無いと思うけど、言ったら嗤われるだけだと思うけど、ララに訊いてみたかった。ねえ、その球種、俺のために作ったんじゃないよね。俺が左投手の投げるカーブが苦手だから、俺にその軌道を教えるため、克服させるために投げ出したんじゃないよね。俺は今でも時々、思うことがあるんだ。ララは、俺のために野球をやってるんじゃないかって。

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