ヘヴンスターズ
3. インタビュー

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「野球をやっていて、自分が女だと意識したことはありますか?」  プロ野球に入って少し経ったころ、雑誌のインタビューでそう尋ねられたことがあった。MLBに端をはっするデータ分析が日本の野球にも波及して、いまは昔ほど野球をするのに筋力は求められず、プロ野球界には女性選手が増えてきたし、世界最高峰のメジャーリーグはともかく傘下のマイナーでも珍しくない。ただ、ドラフト一位で指名される女性選手は俺が初めてだったし、華の東京六大学野球で活躍していたこともあり、入団にさいしてはスポットライトが当たっていたのだった。 「そうですねえ……」  どんな質問をされるかはだいたい事前に聴いていたし、あるていど回答を考えていたのに、俺はこたえを迷った。ちゃんと作り込んで、球団にも了承をもらっていたはずの回答が、今はすわりが悪い。もともと、このインタビューにはあまり気が進まなかった。女性向けの雑誌のインタビューで、俺はその雑誌を読んだことはなかったんだが、フェミニズムに意識が高い今どきの雑誌だというのは有名だったから知っていた。  俺はフェミニズムのことがよく分からないし、分かってる範囲では、あんまり好きじゃない。子どものころから男に混じって当たり前に野球をやってきた俺にとっては、実のところ、男女の差を意識したことはそんなにないのだ。たしかに東京六大学で野球をやってたときは、なかなかレギュラーに抜擢してもらえないどころか、長いこと四軍で低迷していたけれど、それは単に俺の実力不足だったと分かってる。一般入試で野球部に入った部員は重用してもらえないのが当たり前で、男女の差というのはぜんぜん関係ない。それに、打てるようになってからはちゃんとレギュラーにしてもらえたし、大事な試合で四番を打たせてもらえたし、だから単独とはいえドラフト一位で指名されたわけだ。  フェミニズムというのは、あたかも「キキは女性だから、下駄を履かせてもらっている」と言われてるみたいで、ぜんぜん好きじゃない。  よく分からないけれど、男女平等というのは、ふたつの考え方がある、らしい。ひとつは、男女ともに力は平等だから、おなじ機会を与えるべきという考え方。もうひとつは、男より女のほうが力が劣っているから、女のほうに多くの機会を与えるべきだという考え方。フェミニズムはどっちなんだろう。よく分からない。その、よく分からないという点において、俺はフェミニズムを信用できないと思っている。俺はずっと、野球をやるなかで、男女ともに力は変わらないと思って生きてきた。 「……そうですね。やっぱり野球をやるなかで女であることを意識したのは、俺がプロ野球に入ってからですかね。高校のときやってた草野球とか、あと東京六大学野球まではなんとか工夫しながらやれてたんですけど、プロ野球では力の差を痛感しました。ああ、男と女では、やっぱりそもそも体が違うようなあ、って」  球団が用意してくれた回答を読み上げるように口にしながら、これは半分嘘だな、と感じていた。確かに男女で筋力をはじめとした体の違いはあるだろう。でもいまは、適切な知識と技術があればちゃんとそれを埋め合わせることができる。例えばバッティング。ボールを遠くに飛ばすためには、力は要素のひとつでしかない。それよりも、いかにバットのスイートスポットでミートできるかとか、どの角度で打ち上げられるかとか、どれだけバックスピンをかけられるかとか、そっちのほうがずっと重要なのはMLBの最先端の研究が証明している。ピッチングだって、女性選手は速くても130㎞/hぐらいしか出ないけれど、変化球と制球と配球でいかようにも翻弄できるのは、星野伸之やティム・ウェイクフィールドなんていう少数の男性選手が先達として示してくれているし、これからは女性選手が証明していくことになると思う。  唯一、男性と女性とで明確な差がつくのは送球ぐらいじゃないか。俺はキャッチャーだけれど、盗塁を刺すのだけは昔から大の苦手で、大学野球レベルですら盗塁が致命的になる終盤には守備固めでベンチに下げられたり、一塁に回されたりした。プロ野球に入るにあたり、俺のほとんど唯一の不安は送球だった。それでも俺がキャッチャーを止めようとしなかった理由。ああそれが、「野球をするうえで女を感じた瞬間」なのかもしれないと思ったけれど、きっと理解してもらえないだろうと思ったから、言わなかった。 「その男女差を埋めるために、心がけていることはありますか?」  その質問も、あらかじめ用意されていたものだった。 「そうですね。男の得意分野では勝負しない、ということですかね。女には女の得意なものがあるので。たとえば、体のやわらかさとか。そういう、あくまで女の強みを活かして、男との勝負を優位に進めていく、というのが、俺が心がけていることですね」  俺の回答は、球団が用意したものではなく、事前に雑誌の担当者から与えられていたものだった。女の強さを活かす。男に勝つ。いかにもフェミニズム系の雑誌が好きそうな文言だな、とげんなりする。少なくとも俺の実体験では、そんな考え方が正しいとは思えない。戦う相手は男じゃないし、女としての強みも意味を持たないと思う。ただだんだんとインタビューが面倒くさくなってきたので、適当にこなして早く帰って、ティーバッティングでボールを思い切りかっ飛ばしたかったし、余計なことは言わないよう心がけた。インタビュー前の写真撮りのために用意されたおろしたてのユニフォームからは汗の匂いがしなくて心地悪い。気づいたらテーブルの下で指が勝手に硬球の握りを確かめていた。 「そうですか、素晴らしいですね。これからプロ野球選手を目指す少女とか、社会に出て行く女性が勇気づけられる言葉だと思います」  若い女性のインタビュアーは、リベラルな正しさを追い求める記者らしい、よくできた笑顔で口角をぐっと引き締め、真っ赤なネイルの映える指先で卓上のICレコーダを停止させた。そういえば、この質問でインタビューは終了だったはずだ。俺はほっと息を吐いて肩の力を抜く。明治神宮野球大会の決勝戦のほうがよっぽど緊張しなかった。  力を抜きすぎていたのかもしれない。彼女が、世間話のように口にしたラストクエスチョンにふいをつかれた俺は、はっと息を呑んだ。 「野球以外ではありますか? キキさんが、女を意識した瞬間というのは」  言われて気づいた。あるいは、気づいていた。俺にはたしかにそういう瞬間があった。  これはインタビューではない。だから答える必要もない。少なくともそれは、フェミニズムという文脈で答えられるべきではない。 「あたし、は……」  それだけ言って、俺は口をとざした。それ以上に何かを言う必要はなかったし、言わなかった。

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