ヘヴンスターズ
29. 理想の打撃

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「……キキってさ、理想の打撃、って、どういうのだと思う?」  ララは窓の外に目を遣ったまま、ひとりごとみたいに呟いた。いや、あえてひとりごとを装ったかのような、不器用な言い方だった。ララの野球センスは素晴らしいけれど、野球以外ではそうでもない。うまいことやろうとして彼女が装っていれば、俺はすぐに見抜ける。そんなの俺にとって、どんな投手のどんな球を打つのよりも簡単だ。 「……どんな球が来ても、同じように打ち返せることじゃない?」  俺は皮肉っぽくそう答えてみた。もともと俺は球種を読んで決め打ちするタイプだったのだが、ララの野放図な投球を知り、想定外の球種にもある程度は対応できるようになった。まだその打ち方は完成されていないが、理想には違いない。 「ブブー、不正解」  ララは何故か寂しそうに言った。俺はついアクセルを強く踏み込んでしまい、静かだった車内に少しだけノイズが満ちた。座り心地が悪く、腰を持ち上げて体勢を整える。そうしてララがきっと教えてくれる、彼女にとっての正解を待つ。 「キキ、雪月花って、知ってる?」  しかし、ララが口にしたそれは、正解とも、不正解とも、そもそも回答とはほど遠いように感じられた。俺は運転しながら、ちら、と横目でララを窺う。外を眺めていたはずが、いまはゆったりとシートに体を預け、まっすぐに前を見据えている。俺のよく知る、強いララの姿だった。 「野球の国・アメリカに行ってね。投手として、私は理想の投球と向き合う必要があったの。でも私には、さいしょ全然分かんなかった。ただ投げてるとき、理想の打撃をしてくる最強打者のイメージは常にあったの」  その最強打者はどんな姿をしていたのだろうか。ララはあたかも彼と対峙するときに白球を握りしめるかのごとく、シートベルトを右手で堅く握った。 「その最強打者はね。はっきりいって、弱点だらけなんだ。力まかせのバッティングだし、狙いが分かりやすいし、抑えようと思えばいつでも抑えられる。そのはずなのに、対戦するとき誰よりも怖い。そんな打者。打たれるかもしれない、打たれたらどうしよう、っていつも思わせてくる、そんな、すごく嫌な打者。こいつにだけは絶対打たせたくないって思っちゃう、すごーく、世界でいちばん嫌な打者。そいつのこと考えたら、ノーラン・アレナドだって、マイク・トラウトだって、タイ・カッブだって抑えるのは難しくなかった。だって私がほかの誰かに打たれるわけにはいかないから」  ララはくすりと笑ったあと、口調を真剣なものに戻した。 「それでやっと気づいたのが、その理想の投球っていうのは、理想の打撃とセットなんだってこと。だって球場には、必ずふたりが居るんだもんね。理想の打撃というものがまずあって、その理想の打撃を崩せるものこそ、理想の投球なんだってことが、分かっちゃったの」  そこまでを言い切って、ララは反芻するようにおおきな音を立てて唾を吞み込んだ。 「……その理想の打撃が、雪月花か?」  尋ねたあと、俺はナビに目をやった。目的地まで、あと五分。田舎道を走る車はほとんどなく、五分もかからずにこの会話は終わってしまいそうだった。  視界のはしに、こくんと頷くララが見えた。 「落ちてくる雪と月と花。どれでも打てる打撃が、理想なんだ」

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