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 私は小学五年の美少年である。  もちろんハーフである。頭もいい。ハーフは頭もいいのである。  バイオリンを習っている。私が習いたいと両親にお願いしたのである。だれが見ても、私にはバイオリンが似合うと思うだろう。フォーマルな服装がまた似合うのである。  私は子どもなので、時間がたくさんある。  子どもというものは、時間さえかければ、何をしてもある程度はうまくなる。バイオリンも弾ける。  私には一般の子どもたちにはあまり見られない落ち着きがある。よりよく生きるうえで、落ち着きこそもっとも大切な資質である。  どんなことも落ち着いて、きちんと積み重ねてやっていけば必ずうまくいく。私が断言する。  大人になっても落ち着きのない者は多い。そして、基礎ができていない者のなんと多いことか。基礎を積み上げていないのに、基礎なしには成し得ないようなことをしようとして時間が足らずに失敗する。  落ち着きなく、基礎を固めずに生きてきた、情けない大人の姿である。  美少年であり、賢い私は、情けない大人にはならない。  私の家ではクリーム色のラブラドール・レトリバーを飼っている。  美少年である私は、犬と戯れる姿が、とくに美しいのである。  さて、私には友人がひとりもいない。  友人らしきものはいる。  爪に毒を持った猿、毒猿である。  毒猿は私の半分くらいの大きさで、全身が桃色の毛で覆われている。  顔はなまけものみたいな顔をしている。  のんきなやつで、よく赤い舌を出して眠っている。  言葉は話せないが、言いたいことはなんとなくわかる。  動きがおっとりしていておとなしく、人を襲うことはないのだが、爪に毒があるので、手をつなぐことはできない。  毒猿にその気はなくても、爪で傷付けた相手は高熱が出て、三日間は寝込んでしまうのだ。  世にもめずらしい毒猿という存在は、美少年である私にとってどのような意味を持つのだろう。  毒猿に手袋をさせ、腕に抱えて電車に乗ったことがあった。  美少年である私は乗客たちの注目を一身に集めて、かわいがられた。  抱いている毒猿についても、いろいろ聞かれた。  毒猿は私の腕の中で、大きなあくびをして満足そうにしていた。  平日のお昼。私の大切な思い出である。

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