あるベッドタウンの駅の裏手にあるラーメン店は、いつも行列ができていた。 さすがにこの時間に行列はないだろうと、午前三時の閉店間際に店の前を通りかかったが、このときも一〇人ほどが列を作っていた。 昼の行列となると、もちろんさらに長い。二、三〇人は並んでいる。 店の名は「タンタン」。 行列のできるラーメン店の隣、一軒も挟まない真隣にラーメン店がある。 店の名は「椿」。こちらには行列ができているのを見たことがない。客が入っているのすら見たことがない。隣で三十人並んでいるのに、ひとりも客が入らない。 地元の誰かと話したわけではないし、そういう声を聞いたこともないが、「ラーメン店は、この街に二つもいらない」と住民が心の中で思っているのかもしれない。「いらない」という念の集合体のようなものが、人気の明暗を分け、人気に差のあるいまの状態にしたのかもしれない。 私はどちらのラーメン店のラーメンも食べたことがなかった。ラーメンに特別な関心はないし、どこのラーメンも味に大きな違いはないと思っていた。だから、タンタンのラーメンも椿のラーメンも、それぞれうまく、タンタンの方に行列ができているのは、わずかの差で人々の好みにより合っていただけなのだろう。 それなのに、片方に三〇人の行列ができて、もう片方にはひとりも客が入らないというのは、行列好きな日本人の性格が極端に出てしまった悪い結果だと、私は椿に同情をしていた。 ある早朝、店の前のコンビニから出て、私はおどろいた。 開店前のタンタンと椿の両店主が、語り合っているのを目撃したからだ。てっきり仲が悪いと決めつけていたが、はた目には両者の間に友情があるように見えた。コンビニの前でヤクルトを少しずつ飲みながら、会話を聞こうとした。 話の内容はスープについて。何時間煮ているかとか、試してみた食材の良し悪しについて。話題は麺にも及んだ。素人にはわからないが深いこだわりが感じられた。お互いが高いプロ意識で仕事をし、技術を磨きあっている。朝からいいものを見たと私は感動した。そして、椿に客がいないのは運命のいたずらで、いつかは両店とも、この街を代表する名店になると確信した。 数日後の晩、飲み会の帰りだった。飲みすぎて終電で降りた私は、ラーメンを欲していた。駅の裏に回ると、二店とも営業をしていた。 黄色と橙色に光り輝いているのがタンタンの看板で、一五人の列ができていた。赤提灯の弱々しい照明の椿には、やはり客がいない。私はタンタンの行列を追い抜いて、椿に入った。私が椿のよさを見出して、この街の住民たちに伝えてやる。 椿のラーメンは、ぬるめのサッポロ一番塩らーめんそのものだった。ぬるい分、自分で作った方がうまいとすら感じた。恐る恐る厨房に目をやると、前に見かけた店主だった。あのこだわりトークはなんだったのか。とりあえず全部食べた。 店を出て家に向かう途中、夜空に一際輝く星があった。 「椿がなくなりますように」 心の中で手を合わせた。
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